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アーリア  作者: 猿蟹月仙
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第98話『森をゆく』

森の中での出来事です。


 ハインツは泡立つ様に汗が吹き出るのを実感した。

 吐き捨てる様なフースの言葉は、これまでに聞いた事の無い響き。急に息苦しさを覚え、胸元で強く拳を握り締めた。


「こいつはいけませんぜ。一刻も早く、この場を離れましょう」


 急に声のトーンを落とし、周囲を気にし出したフースは、やおら腰の小剣を鞘から引き抜くと、その刀身を残る左腕で隠す。


「・・・危ないの?」


 釣られ声のトーンを落としたハインツに、小さく頭を左右に振るが、その瞳は周囲の藪を鋭く見渡し続けた。


「判りませんね・・・まったく・・・」


 ごくり。つばを飲み込み、ハインツはフースに倣って剣を抜き、その場に腰を屈めた。



 しばらく時が過ぎた。


 フースはゆっくりと立ち上がり、小剣を鞘へ収めた。


「・・・どうやら、この辺にはいねえみたいだ・・・」


 やれやれと肩の力を抜き、ほうと息を吐く。


「もう! 脅かさないでよ!」


「いやあ~すいません、お坊ちゃま。もしや待ち伏せしてはいないかってね」


 軽く似合わぬウィンクを。口元をにやりとさせた。


「ですが、ここいらで引き返した方が良いですぜ。どこにどんな奴が潜んでいるか、判ったもんじゃねぇ」


「だけど、お婆さんが・・・もし、この先に向かっていたとしたら・・・」


「足跡は一つですぜ。という事は、別方向って事か・・・この足跡が、あの婆さんのものか・・・だとしたら、あっしらは何と一緒に居たんでしょうねぇ?」


 ぞっとする話。その言葉に、ハインツの心は戻る方へとぐらり傾くのだが。


「いや! やっぱり先に行こう! 先を行く村人の馬車が狙われているのかも。危険ならば知らせてやらなければ。間に合わないかも知れないけれど・・・」


「う~ん・・・」


 そう来たかと、フースは腕を組んで思案する。

 ここで引き返して、おかしなのが徘徊していると知らせる事が大切であるが、確かに領民を守ってやる事も大事だ。それをハインツ様が選択した事は、その成長を喜ぶべきなのだが、余りにリスクが大きい。下手に急げば、例のオーク鬼の群れに飛び込む危険だって無視出来ぬ。


「う~~~~~ん!」


「フース!」


 ぐいぐいっと揺さぶられ、フースはついに腹をくくった。


「仕方・・・ありませんねぇ~・・・」


「やった」


 鼻をぷっくり膨らませ、小さく喜ぶハインツは、さっさと馬に跨った。


「さあ急ごう!」


「あ~あ~・・・お坊ちゃま。行くとなったら、あっしが馬を引きますぜ。この先、どんな化け物と遭遇するかも判りませんからね!」


「でもそれじゃあ、間に合わないかも!」


「いいですかい? 森には危険がいっぱいなんですぜ!」


 有無を言わせずハインツから手綱を奪うと、フースは慎重に歩を進めるのであった。




          ◇



 思わぬアクシデントだった。

 C(セイ)は人目につかぬ所まで歩くと、そこから走り出した。最初は調子が良かったのだが、段々とおかしくなり、立ち止まってしまったのだ。


「砕けた?」


 見れば、足元の形がかなりいびつ。取り込んだオーク鬼の足の細かい骨が、消化が進んでしまいばらばらとなり、脚の骨が下まで突き出てしまっていた。


「あ~あ~・・・オーク鬼、残念・・・」


 気落ちしたけれど、割れたり裂けたりした小骨を溶かして、少しすっきるする。


(折角、アーリアの手がかりが掴めたのだから!)


 全身を奮い立たせ、Cは己の肉体に更なる変異を求めた。


 老婆の全身が、ぷるると震えるとたちまちにその色を失い、次には形を失った。後に残るは虹色に煌くゼリー状の物質。次には、そこからぬっと2枚の板状のものが生え、それが次第に扇の様に広がっていく。


 ほんの数分で、その変異は終わった。


 木々の間に、子牛程もある大きな蝶とも蛾とも取れるものが。その羽をゆっくりと動かし、次第にそれを強めていく。


(この形態には、嫌な負け方をした記憶が新しいのだが・・・)


 それは、水銀のゴーレムでの飛翔形態。その雛形であった。



(空からなら、見えるかも。いや、見たい! 早く! 早く!)


 風を巻きながら、羽ばたきを強めると、ふわり浮かび上がるC。


 森を抜け出ると、陽光を全身に浴び、眼下に木々の間を走る小道を見下ろし、前へ前へと進み出す。


 胸の内には、再び飛べた喜びと、獲物へ向かう逸る想いが一緒くたになり、Cの衝動を突き動かした。


(アーリア! アーリア! アーリアはどこに!?)


 声にならない歓喜!


 風に乗ると、地上を走る数倍もの速さで天駆ける。地上を老婆が異様な速度で走り抜けるのも常軌を逸した光景だったが、この飛翔も異質な意思を明確に示していた。


 その飛翔がぐらりと揺れた。


 Cを体を衝撃が。羽を引き千切られまいと、もんどりうって丸め込み、木々の直上で再度羽を広げた。


(どこだ!? どこから!!)


 虫を模した複眼が、興奮に赤く染まった。頭の中で、撃たれた衝撃の角度から大まかな方向をイメージしようとするのだが、一瞬にして生じた大気の歪みが、枝葉を舞い散らせCへ敵の存在を明らかにした。


(そこか!!?)


 即座に形態をひも状に変え、蛇ののたうつ様に樹木の上を這い伝う。と同時に、取り込んでいたオークの骨の残りを鋭く尖らせ、その切っ先を全身より林の様に突き出しては、まだ見えぬ敵へと猛追した。


(!?)


 再度、飛来する衝撃に、その身をくねらせ逃れるCは、ちらり見えた相手の正体に、怪訝な想いを沸き立たせた。


(何故!?)


 巨木を盾につうっと這い降りると、そこでその身を蟠(ワダカマ)らせ、一つの塊とした。そして、そこで普段の姿に、人間の若い女性の姿へと変じた。普段、Mの元で侍る際に用いる、一見して美しいと思われるらしい形態である。


「どういう事です!!? 何故、私を襲った!!?」


 相手に姿を見せず、声だけで問い正す。


 すると、木々に木霊する様に、不気味な含み笑いが響き出した。嘲弄する様なその声色で、Cは相手の正体に確信を得た。


「何故、お前がここに居る!!? イチ!!」


「ふふふふ・・・」


 周囲に拡散していた気配が、明確に一つの形へと集約された。

 そこには、紳士と思しき姿の男が一人、佇んでいた。


「お久しぶりですね。Cさん。随分と苦労されているご様子・・・」


「質問に答えなさい! 何故、私を襲う!?」


「襲うなどと、とんでも無い。お急ぎの所、申し訳ありませんが呼び止めさせて戴きました。あなたのご主人様からのメッセージがあります」


「何?」


 このイチと名乗る悪魔は、エルアラの作戦の為に雇われた者で、何者かに敗れて離脱していた筈。

(この者が動くという事は、M様は新たな契約を結ばれたのか・・・)


「聴こう」


 そう告げて、Cも大樹の影からその身をゆっくりとさらした。


 イチは、そのきつねの様な細い目をことさらに細め、Cの姿をじっとりと観察するに及んだ。


「ほお。貴方も敗れたと聞き及んでおりましたが、大分回復されたご様子。おめでとうございます」


「御託は良い。要件だけを伺おう。私は今、とても忙しい」


 悪魔を相手に感情で話をしても意味が無いので、Cはさっさと済ませようとしたのだが・・・


「あ~あ・・・大丈夫ですよ。アーリアの元には、私のスパイが入り込んでいますからね。貴方さえ良ければ、いつでも手を貸して差し上げます」


「何!?」


「ですから、焦る必要はありません。最適なタイミングで、存分になさると良い。そこで、貴方のご主人様からのお託(コトヅケ)です。これを、お使いなさいと・・・」


 イチは、懐から小瓶を二つ取り出して見せ、ひょいと放ると、それは不思議な力場に囚われているのか、ゆらゆらと空中を泳いではCの元へと漂って来た。


「なんですか、これは?」


 それを受け取り、Cはそのポーションらしきガラスの小瓶をしげしげと眺めた。


「惚れ薬・・・とでも申しましょうか? それを飲ませれば、アーリアの意識はおかしくなり、貴方の言うがままになるでしょう。そのまま連れ去れば宜しい」


「何故、2本もあります?」


「2本分材料が手に入ったので、作りました。私が持っていても仕方ないので、予備に差し上げます。試しに、アーリアの身近な者で効果を試してみてから、その者に協力させて・・・なんて使い方もあるでしょう。その際には、私の手の者も協力させましょう」


「ふん・・・いたせりつくせりですね? 何故、そこまでする? それも今回の契約の内ですか?」


 悪魔の行動には裏がある場合が多い。今回のそれも、気持ち悪いくらいにお膳立てが済んでいる様に思えた。


「なあ~に。私も恥を晒しますと、アーリア達には煮え湯を飲まされた口でしてね。個人的に、復讐の機会を狙っている・・・半分は契約、半分は個人の意思です」


「私がアーリアをどうにかしてしまっても構わないのですか?」


「はい」


 そこでイチのまとう空気が、ゆらりとどす黒いものへと変容していく。


「アーリアには、ではありません。が、アーリアを見張っていれば、その者が姿を現すかと・・・ですから、貴方にはアーリア『達』を、出来るだけ苦しめて戴きたい」


「ふん。復讐か? 悪魔のくせに下らない事に」


「悪魔だからこそ! ですよ・・・」


 にいっと笑うイチの唇の下から、ぞろりと鋭い牙が覗く。


「こんな想い、生まれて初めてですからねぇ~・・・」




悪魔イチの再登場です。

余りCと仲がよさそうではありません。


さて、次回はアーリア達のお話になるでしょう。

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