第五話 最初の監査で食費が三倍に水増しされていました
翌朝、リーゼロッテは公爵夫人の朝食として、冷めたパンと薄いスープを出された。
銀の盆は磨かれている。皿も上等。だがパンは昨日のものらしく硬く、スープには具がほとんどない。
運んできた若い侍女は、申し訳なさそうに目を伏せていた。
「お口に合いませんでしたら、お下げいたします」
「あなたの名前は?」
侍女はびくりとした。
「ミラ、と申します」
「ミラ。これは普段の朝食ですか」
「奥さま用としては、その」
「怒っているのではありません。確認です」
リーゼロッテがそう言うと、ミラは少しだけ肩の力を抜いた。
「厨房には、奥さま用の食材はまだ届いていないと聞きました。ですが、公爵家の朝食としては、いつも似たようなものです」
公爵家の朝食がこれ。
リーゼロッテはスープを一口飲んだ。味は悪くない。ただ、明らかに材料が足りていない。
「厨房の者たちは?」
「少ない人数で回しております。薪も節約するようにと」
「薪も?」
「はい」
ミラはそこで口を閉じた。
言いすぎた、という顔だった。
リーゼロッテはパンを少しだけ割り、皿に戻す。
「ありがとう。下げなくて結構です。それと、ロッシュを呼んでください」
「家令さまを、ですか」
「ええ。昨日の契約に基づき、家政関連書類の閲覧を希望します」
ミラは目を丸くしたが、すぐに礼をして部屋を出た。
ロッシュが来たのは、それから半刻後だった。
「奥さま。昨夜はお疲れでございましょう。本日はお休みになられては」
「休むためにも、生活環境を確認します」
「生活環境でございますか」
「朝食、暖房、侍女の配置、衣服、私室の変更。昨日の契約で具体化した項目です」
ロッシュは穏やかな顔で頷いた。
「もちろん手配中でございます。なにぶん急なご婚姻でしたので」
「急だったのは、そちらだけではありません」
「それは、ごもっともでございます」
彼は謝る姿勢だけは完璧だった。
だからこそ、言葉ではなく書類を見る必要がある。
「直近三か月分の食材、薪、リネン、薬品、使用人賃金の契約書と支払い台帳をお願いします」
「奥さま」
ロッシュの声が少し低くなった。
「公爵家の帳簿は複雑でございます。ご覧になってもお疲れになるだけかと」
「疲れるかどうかは、見てから判断します」
「家政の実務は私どもにお任せいただければ」
「私は実務を奪いたいのではありません。契約上の権利を行使したいだけです」
契約上の権利。
その言葉を出すと、ロッシュは拒めない。
彼自身が清書した契約書に、アルベルトとリーゼロッテの署名がある。
「承知いたしました」
笑みを貼りつけたまま、ロッシュは頭を下げた。
一時間後、リーゼロッテの部屋に箱が三つ運び込まれた。
重い。
そして、古い。
台帳の革表紙には埃が残り、紐の結び目は不自然に固い。誰かが急いで整えたのだろう。
リーゼロッテは袖をまくった。
前世なら、ここで栄養ドリンクが欲しいところだ。だが異世界の公爵家には都合よく眠気を飛ばす飲料などない。あるのは薄い茶と硬いパンだけ。
それでも、契約書は読める。
最初に開いたのは食材納入契約だった。
納入業者はハルマン商会。
小麦、干し肉、根菜、乳製品、香辛料。数量は多い。価格は高い。
高い。
リーゼロッテはもう一度、単価を確認した。
高すぎる。
王都価格に詳しいわけではない。だが伯爵家で家計を任されていた時期がある。姉のドレス代を捻出するため、食費を何度も削った。小麦一袋の相場くらいは知っている。
この価格は、少なく見ても三倍だ。
しかも納入数量に対して、厨房に届いている食材が少なすぎる。公爵家の朝食があの薄いスープなら、帳簿上の食材はどこへ消えたのか。
次に支払い台帳を開く。
支払いは毎月きちんと行われている。遅延なし。公爵家からハルマン商会へ、多額の金が流れている。
リーゼロッテは別の紙に数字を書き出した。
小麦。干し肉。乳製品。薪。
同じ商会名が何度も出てくる。
ハルマン商会。
保証人欄には、バルト・ロッシュの署名。
「なるほど」
思わず声が出た。
ミラが部屋の隅でびくりとする。
「奥さま?」
「ミラ。公爵家の厨房で、最近、食材が足りないと言っていたのは誰ですか」
「料理長のエダンです。ですが、料理長は何度も家令さまへ」
言いかけて、ミラは口を押さえた。
リーゼロッテは優しく頷いた。
「ありがとう。言いにくいことは、今は言わなくて大丈夫」
言葉より、書類のほうが先にしゃべってくれる。
彼女は契約書の末尾を確認した。
自動更新条項。
価格改定条項。
検品条項。
そして、解除条項。
「納入物の品質または数量が契約内容と相違する場合、公爵家は書面通知により即時解除できる」
あった。
穴だらけではない。これは逆だ。
解除できる条項があるのに、誰も使っていない。
リーゼロッテは羽根ペンを取った。
「ロッシュを呼んでください。それから料理長と、倉庫番も」
ミラが青ざめる。
「今から、でございますか」
「ええ」
リーゼロッテは食材契約書を閉じた。
離縁準備の第一歩としては、少し派手かもしれない。
だが、公爵夫人の朝食に冷めたパンを出しておきながら、帳簿上は三倍の食費を受け取っている者がいる。
それを見なかったことにするほど、リーゼロッテは従順ではなかった。
「最初の監査を始めます」
窓の外では、止まったままの噴水に朝日が当たっていた。
公爵家の一日は、どうやら今日から少し騒がしくなる。




