背中合わせの距離
大学の講義棟4階。いつも通りのゼミ室。
俺――セイタがいつもの席に着くと、もう沙耶が来ていた。窓際の席で、静かに資料を読んでいる。
いつもより少しだけ前髪が短くなった気がしたけど、そんなことを言うと茶化されそうで黙っていた。
「先輩、こっちの課題、見てもらってもいいですか?」
沙耶の声は静かで、いつも感情が読みにくい。
けど、俺にだけ少し柔らかくなる気がして――それが心地よかった。
沙耶は俺のゼミの後輩。俺が卒業すれば、もう一緒に講義を受けることもなくなる。
「ありがとう、先輩。やっぱり分かりやすいですね」
そう言って小さく笑うその顔が、いつからか目に焼きつくようになった。
***
ゼミが終わって、他の学生たちが帰っていく中、俺はまだノートの整理をしていた。
沙耶も帰る気配がなく、静かに座っていた。外から夕陽が差し込み、彼女の横顔を赤く染める。
「……莉子と帰るんですか?」
突然の一言。語調は平坦なのに、少しだけ刺さった。
「別に、気にしてるわけじゃないですけど。よく見かけるから、なんとなく」
目は合わせない。でも、手の中のトートバッグを強く握る指先だけが、彼女の心を代弁していた。
「……先輩が卒業したら、会えなくなるんですね」
その言葉に、胸が締めつけられる。
沙耶は何でもないふうに言うけれど、本当はちゃんと見ている。
俺が誰といるか、誰に笑ってるか、誰を気にかけているか――全部。
「思い出って、時間が経つと消えるんです。
だったら、今のうちに残しておきたいと思うの、変ですか?」
変なわけない。
俺はただ、立ち尽くしていた。
いつも少し冷たくて、近づくと逃げるようで、だけど気づけば隣にいてくれる――
そんな沙耶が、今こうして素直な気持ちを見せてくれている。
「今日だけでいいんです。帰り道、一緒に歩いてもらえませんか?」
その瞳はまっすぐで、迷いのない優しさが宿っていた。
「……焼きつけておきたいんです。先輩と歩く時間を」
俺は――沙耶のその想いを、聞かなかったことにはできなかった。




