31話 傀儡の皇帝
やはりわたしの想像通りの答えに、わたしはぎゅっと目を瞑る。
裏切り者のイキイキとした笑顔を見れるほど、わたしは強くない。
「あのころは、あなたは皇帝になったばかりだった」
「今もそうでしょう……」
「違いますよ。戦争を終わらせた英雄王と、妾腹あがりの皇帝――雲泥の差です」
ヨハンはメガネを外す。呑気にレンズを拭き始める様は、とても皇帝を前にした臣下の態度とは思えなかった。
「あなたは存じあげなかったかもしれませんが、あの頃はこんな噂が出回っていたのですよ――あなたを皇帝に押し上げたヘイムダル将軍が、あなたを傀儡の皇帝にして国を牛耳ろうとしているのではないか――と」
「そんなはずはない! わたしが皇帝になったのは将軍だけでなく、そなたの父の後押しもあって――」
そこで、わたしは思いついてしまう。
そんなことはない。これもただの悪い妄想だ。
そう……思いたいのに。
わたしは『違う』という答えが欲しくて、つい尋ねてしまう。
「もしかして、マイヤー前宰相を殺したのも……?」
マイヤー前宰相……すなわちヨハンの父は内部抗争による暗殺者の襲撃で、ヨハンの兄は前皇帝と同じ流行り病で亡くなっている。……少なくとも、わたしはそう聞いている。
私はおそるおそる目を開けた。
すると、ヨハンがとてもおだやかな笑みを浮かべていた。
「あなたを皇帝に押し上げたことで、多くの貴族から反発がありました。しかし、あそこで不幸が重なることで、我々の価値は上がる。親の亡き意思を引き継いで、未熟な息子らががんばる――そんな美談は印象がいい! 失敗しても未熟のせいにすればいいのです。年寄りたちを一時的にでも味方につけるに、父の死ほど便利な演出はありませんでした」
この胸に湧く感情は、とても言葉にできるものではない。
恐怖。悲しみ。失望。怒り。
あるいは絶望か。
そのどれもが、サラシと共にわたしの胸を締め付ける。
「もともと兄が亡くなってから、父のあとを継ぐのは僕の予定でしたし。何か問題が?」
背筋に寒気が走る。
彼のあげた疑問符が無垢だからこそ、わたしは彼が同じ人間だとは思えなかった。
彼が人間でないなら、何なのだろう。
現実逃避にそんなことを考えだしたときだった。
「捕らえたメイドは、ノア姫のペットでしたね」
この流れで、ポチの話題を出すということは。
「……やはり、ポチの件もおまえの目論見か」
「おやおや。僕は結婚式のスケジュールを調整するために話しかけただけだと申したでしょう? それなのに……まるで僕がノア姫を悪魔の生贄にするとでも勘違いしたように激昂してきて……平和のための生贄に、彼女がアニス帝国に捧げられた事実は変わりありませんのに」
結婚式の演出は、すべてヨハンに任せてあった。
他国からの来賓も多いため、過度にノア姫を侮辱するような演出はないはずだが……。
それでも、それは見る者の見方次第だ。
和平の象徴となるか。それとも敗戦国からの貢ぎ物となるか。
だからこそ、わたしはこの数日、ノア姫をこれでもかと大切に扱ったつもりだった。
式の前から寵愛を露わにし、まるで初恋に浮かれる様な……そんな男を演じたつもりだった。
それが、彼女とシャルル王国への最大の敬意になると信じていたのに。
ヨハンは「どうでしょう?」と笑顔で切り出す。
「謹慎中のノア姫の代わりに、あなたがペットの躾をしては?」
「あなたの目的は、わたしとノア姫を仲違いさせること?」
「仲違いなんて……ただ、ノア姫には不幸な花嫁でいてもらいたいだけです」
誰かの結婚式に、妾腹の姫だったわたしは参加したことないけれど。
それでも、幼い頃はひとりの『女の子』として憧れていた。
真っ白いドレスを着て、大好きな人の隣に立つ。
多くの人に祝福してもらって、誰よりもしあわせな自分を見てもらうのだ。
そんな眩しいくらいの女の子の夢に、ヨハンは苦言を呈する。
「彼女は己の立場をわかっていません。アニス帝国の繁栄のために、彼女は哀れな生け贄でいてくれないと。どんな化粧を施すよりも、彼女の心を折ってしまうほうが効果的でしょう?」
それは、まるで公務の相談をしているときのように。
彼は自信を隠さず、ニコニコと告げてくる。
「だから、結婚式の直前に髪でも刈ってもらおうかと、あのメイドにご提案したわけです」
たとえ脅しだとしても、それは女性に対して告げていい言葉ではない。
ヨハンも本気で実行するわけでなく、主目的はポチを激昂させるためだったのであろう。ノア姫なら、自身の髪よりも、ポチの処遇や身の安全を大事に思うはずだから。
だけど、わたしは思い返してしまう。それは一年ぶりに再会した数日前の光景だ。
暗殺者を倒した後で、返り血のついた髪を気にしていたノア姫の姿。
それは、ひどく美しかった。
どんな戦場であっても、自身が女であることを忘れない。
意識してようが、無意識であろうが、そんな彼女の何気ない仕草が、たまらなく可愛らしくて、たまらなく羨ましかった。
男として生きることを決めたわたしにとって、意識的にやめた仕草だったから。
わたしはきっと、死ぬまで彼女のように髪を伸ばすことはできないのに。
下ろしたこぶしをいくら握っても、痛みを感じない。
それは、わたしが爪も短く切りそろえているせいだろうか。
「……最低だな」
「そうですかね? 本当は指輪の交換のときに薬指をご本人に切り落としてもらおうかとも考えたのですが……血が苦手な来賓もいるかと思いまして。僕、優しいでしょう?」
そのとき、扉がノックされる。
こんな話を誰かに聞かれてたまるものか、と、慌てて声を張った。
「わたしは人払いをしたはずだが!?」
「いいえ、入りなさい」
わたしは、この国で一番偉い『皇帝』のはずなのに。
部屋に入ってきた兵士は、ヨハンに向かって一礼する。
「会場の準備が整いました。ぜひ観戦したいと来賓らも喜んでおられます」
「それはよかった。おまえたちもご苦労」
すると、メガネをかけたヨハンが微笑む。
宰相として頼もしいくらいに、とても穏やかな笑みだった。
「あなたは示さなくてはなりません。戦争の勝者はどちらなのか……ね」




