32話 ペットと飼い主①
こんな決闘など、やりたいはずがない。
だけどノア姫とポチを守るために、わたしは逃げられなかった。
『陛下が躾をしなければ、もちろんアニス帝国の法に則って処罰しなければなりませんね。どんな事情があれ、公爵を害した事実は変わらないのですから』
……あぁ、サラシが苦しい。
決闘場所は、先日もノア姫がセべクと『手合わせ』したという兵士たちの訓練場。
この場に似つかわしくないドレスを纏った貴族たちで、嬉々と賑わっている。
人が殺し合う姿を見て、何が面白いのか……。
そう思ってしまうわたしは、やはり皇帝など相応しくなかったのだろう。
だけど、わたしは戦わなくてはならない。
時代のせいだった。環境のせいだった。望まれたせいだった。
色々と言い訳はあるものの――皇帝になると決めたのは、わたしだ。
「ポチ、体調はどうだい?」
「グルルルルルル」
会場の真ん中で、ポチはすでに呻き声をあげていた。
身を低く屈め、こちらを真っすぐに見据えて。
黒と白の髪、そして頭の上の獣耳や尻尾の毛が魔力を帯びて逆立っている。
兵士の持つ鎖に繋がれる姿は、まるで本物の獣。
わたしの魔法で気絶させた以上、身体の痺れでも残っていたら可哀想かと思ったが、一瞥ではおかしい箇所は見受けられない。ただ、その瞳は血走っており、まぶたも少し腫れぼったい。少なからず、彼女が泣いた痕が見て取れて、わたしこそ泣きたくなってしまう。
それでも、わたしがこの場で泣くことは許されない。
わたしはエーデルガルド=フォン=アニス。
アニス帝国の皇帝なのだから。
「話は聞いているね? この決闘で、きみが勝てばノア姫と共にお咎めなし。わたしが勝てば……刑が処されるまで、大人しく牢に入っていてもらおうか」
わたしがいつもの皇帝スマイルで告げたときだった。
ポチは周囲をキョロキョロと見渡す。彼女が怪我を負わせたヨハンなら、これみよがしに負傷した肩のアピールをしながら観戦席の後ろに来ているが……彼女は舌打ちするだけで、視線の動きは止まらない。
もしや、と思ってわたしは告げてみる。
「ノア姫なら、部屋で謹慎させているよ」
次の瞬間、ずっと動かなかったポチの口角が歪に上がった。
「キャハ……キャハハハハハハハッ!」
けたたましい笑い声に、思わずわたしも目を見開いてしまう。
ポチは口元を手で隠しながらも笑い続けた。
「キャハ、決闘? いいよ、ポチは喜んでオマエを殺してやるよぉ。エーデルガルドォ!」
いや、こわいって……。
ノア姫のそばでは無表情だからこそのかわいい顔が、狂気でゆがんでいる。
夜中に枕元に立たれたら、全力で泣いてしまいそう……。
そんな気迫に、わたしは皇帝として立ち向かう義務があるらしい。
「もしこの場で謝罪するなら、穏便に取り計らうことも――」
「ヤダヤダヤダヤダヤダぁ~。せっかくオマエをメッタメタのギッタギタにできるチャンスを~、無駄になんかしないってぇ。ジワジワと痛ぶってぇ、『殺してください』って泣くまで踊らせてあげるぅ」
ノア姫、どうやってこの子を手懐けたの!?
ポチが構えたような体勢をとるが、武器が見えない。
よくよく考えれば、普段は何か所持していたとしても、牢に入れられる際に回収されているだろう。実際、ポチが攻撃した初日のメイドらも、ヨハンも、切り傷がついていたのだから。
「武器の配慮が足りなかったね。何でも用意させるよ」
「ドーモお気遣いなく」
ポチのウインク姿を、ノア姫は見たことあるのだろうか。
まったく嬉しくない優越感にたじろいでいる間に、ジャランとした音が会場に響く。
それは、ポチを繋いでいた鎖が強制的に外れた音。
それに気がついた瞬間には、目の前にポチが肉薄していて。
ポチが何かをつぶやく。
首のまわりに、張り詰めた気配を感じた。
――首が取られる!
「破ッ!」
それは魔法でも何でもなく、ただ瞬間的に最大出力で魔力を放出しただけ。
だけどポチはあっという間に飛び退き、わたしのまわりにはらりと何かが落ちた気配がする。
「……糸?」
拾ってみれば、それはどうってことない、ツヤツヤした裁縫の糸。
ポチの両手には、それぞれ銀色の針が摘まむように持たれている。
「なるほど。ポチの武器は針と糸なんだね?」
よくよく考えれば、初日のときのメイドたちのときも凶器の話を一切聞かなかった。針と糸――彼女はなかなかメイドらしい武器だ。牢に入れられるときも、その小ささから隠し通せていたのだろう。まるで暗殺者だね。
そんなノア姫のペットがまた舌打ちする。
「ナニ? 文句ある?」
「いや……よく修練されていると感心していた」
「ハッ、エラソーにっ!」
ポチが再び攻撃をしかけてくる。
今度は針を複数投げてきた。玄人が目を凝らせば見えるのかもしれないが、しょせん魔法使いにすぎないわたしが目視するのは難しい。
ポチが叫ぶ。
「《御針の散歩》っ!」




