22 エドガーの嫉妬
いずれフレドリカが退職し、エドガーにその後を継がせる予定だ、と部下たちに報告したところ、四人が見せたのは「やっとか!」という反応だった。
やはり皆、フレドリカが生きて帰ってくることを一番に望んでいた。そのフレドリカが退職を望むなら止めないし、その後釜がエドガーならばまあ、悪くないだろう、みたいな感じだった。
またアントンの助言を受けて、フレドリカとエドガーは若手の練習風景を見に行くことにした。
「懐かしいですね……。四年前の冬に、僕はここで隊長に声を掛けられたんです」
まだ十代半ばから後半くらいの、正騎士になったばかりの若者たちが魔法武器を手に訓練をする風景を見ながらエドガーが言ったので、フレドリカは彼の顔をのぞき込んだ。
「確か、あなたに声を掛けたのは私が初めてだったのだっけ?」
「はい。ヴァルデゴート将軍もおっしゃっていたように、当時の僕は小柄でグズで女顔で、誰にも相手にされませんでした。そんな僕に声を掛けてくれて……本当に嬉しかった。太陽を背に僕に手を差し伸べるあなたの姿は、女神のようだと思ったものです」
「そ、そこまでなのか?」
エドガーの中の自分が美化されすぎているようで気恥ずかしくなってくるが、エドガーは「本当ですよ」と微笑む。
「だから僕、あなたのために頑張ろうと思ったのです。そうしているうちに……っと、すみません。これ以上はまた、家で」
「……そうだな」
人前では恋人らしい振る舞いをしないと決めているので、そこで二人は表情を切り替えた。いちゃつくのは、家に帰ってからだ。
若手たちはフレドリカたちに気づくと、ひそひそ話をし始めた。魔法騎士団の部隊長で女性なのは、まだフレドリカだけだ。そんな姿が珍しいのか遠巻きに見てくる者もいる中、こちらをきらきらした眼差しで見る者いた。
「……女性もそれなりにいますね」
「そうだな。私が入団した頃は、女性騎士は数えるほどしかいなかったそうだが」
そうしていると、たたっとこちらに駆けてくる二人の騎士がいた。どちらも、女性だ。
「あ、あの! あなたはもしかして、第六部隊のフレドリカ様ですか!?」
片方の少女騎士が頬を赤らめて問うてきたので、フレドリカはどきっとしつつうなずいた。
「ああ。最近復帰したばかりだが……」
「わあ、やっぱりそうだ!」
「私たち、フレドリカ様に憧れて騎士団に入ったのです!」
「格好よくて美人で優しい、素敵な部隊長様だと聞いていました!」
「事故に遭われたということですが……お会いできてよかったです!」
少女たちにぐいぐい詰め寄られてフレドリカがたじろぐと、その背中をそっとエドガーが支えてくれた。
「あ、はは……それは嬉しい。だが知っているかもしれませんが、今の私は無力なんだ。尊敬されるような人間でいられなくて、申し訳ない」
「ええっ、そんなの関係ありませんよ!」
「フレドリカ様っていう人がいた、ってことだけで、私たちは頑張ってきたんですから!」
「あの、もしよかったら、練習するところを見ていてくださいね!」
「頑張りますので!」
「……ああ、分かった。訓練、頑張るんだぞ」
たじろぎつつも励ますと、少女たちは「ありがとうございます!」「さ、行こう!」と連れだって訓練に戻っていった。
なんとも言えない気持ちで少女たちの背中を見ていると、背後でふふっと笑う声が聞こえた。
「さすがの人気ぶりですね、隊長」
「……。……あの子たちは、私が無力でも気にしないんだな」
ぽつんとつぶやくと、隣に並んだエドガーが力強くうなずいた。
「分かっていただけたようで、何よりです。……進む道に立ちはだかる者がいようと、果敢に立ち向かい戦果を残していった、第六部隊長。あなたのその姿が皆の羨望の的となり、努力するきっかけになっているのです」
「……」
「しかし……あなたがここまで慕われていると、僕がきちんと後を継げるのか自信がなくなりますね。さっきの少女たちも、僕には見向きもしませんでしたし……」
「これからだろう。大丈夫だ」
さすがに眼中にもなかったのはショックだったらしく、フレドリカは少し落ち込む副隊長を慰めることにした。
一日の仕事を終えると、馬車で帰宅する。
毎日ではないが、たまにエドガーが「ご自宅までお供します」と言って、しれっとして馬車に乗り込むことがある。それを見たブリットたちは「過保護~」と言い、他の部隊の騎士たちは「犬が飼い主にまとわりついている」と白い目で見てくる。
彼らもまさか、帰宅したフレドリカとエドガーがシグルドと遊んで夕食を食べ、その後二人ソファで身を寄せ合って穏やかな時間を過ごしているとは夢にも思っていないだろう。
「今日の新人たちの様子を見て、いかがでしたか?」
エドガーは口では事務的なことを問いつつ、フレドリカの肩に手を回して身を抱き寄せ、フレドリカの頭に頬をくっつけるような体勢でいる。
どうやら彼はフレドリカにくっつくのが好きらしく、最初のうちは緊張していたフレドリカも、彼の体温が心地いいと感じるようになっていた。
「そうね……。アントン様の言っていたように、玉石混淆ではあったわ」
「あなたに声を掛けてきたあの少女たちは、訓練も頑張っていましたね」
「私も思ったわ。それぞれ武器は両手剣と棍棒で、前衛向きだった。優秀なアタッカーになりそうね」
そこでフレドリカは、自分にすりすりと顔を擦り付ける恋人を見上げた。
「エドガーは、あの子たちがよさそうだと思った?」
「候補に入れてもいいと思えましたね」
「そう。なら、早めに声を掛けた方がいいわ。優秀な人ほど、引き抜かれるのも早いらしいから」
「……」
「エドガー?」
黙ってしまったエドガーの顔を見ると、彼はうつむいてフレドリカの肩に額をくっつけた。
「……僕が女性の部下を持っても、あなたは気にされないのですね」
「ゆくゆくは、ブリットとカタリーナだって部下になるでしょう?」
「あの人たちは僕を弟のような子分のような扱いをするので、勘定に入れなくていいです。そうじゃなくて……僕が女性騎士をスカウトして……」
「嫉妬しないのか、ってこと?」
さては、と思って問うと、うつむいたままのエドガーがぐうっと唸った。
(……これが恋の駆け引き、というものなのかしら?)
恋愛経験初心者のフレドリカにははっきりとは分からないが、エドガーは嫉妬してほしかったのかもしれない。だがフレドリカが嫉妬するからといって優秀な人材を逃したら、結果として彼にとって不利益になるのではないか。
フレドリカの考えに気づいたのか、エドガーは顔を上げて眉を垂らした。
「……面倒くさい男で、すみません。仕事と恋をごちゃ混ぜにするな、とかつてのあなたにも叱られたのに……」
「あら、叱ったことがあるのね」
「それは、はい……。主に……将軍関連で」
「アントン様のこと?」
心当たりのある将軍は一人しかいないのでその名を出すと、エドガーがフレドリカを抱きしめる力が強くなった。
「仕方ないと分かっています。ヴァルデゴート将軍は僕より六つも年上で、あなたの方が年が近くて、僕よりずっと先にあなたと出会っていて……。あなたが将軍にこれっぽっちの恋愛感情も持っていないのも、分かっています。それでも、あなたとあの方が親しげにしゃべっているのを見るたびに、胸の奥がむかむかしていて……」
「……それは、今も?」
よしよし、と年下の恋人の頭を撫でながら問うと、彼の頭が上下に動いた。
「ええ、今もです。なんならこの家の所有者が将軍であることさえ、気に食わないと思ってしまいます。あの方があなたのことを『フレッド』と呼ぶのを聞くのも、僕が知らない昔の話をするのも、僕よりも先にシグルドと出会っていたというのも……全部、悔しくて」
「……」
「……ああ、もう、すみません。だからこういうのが、面倒くさいのですよね――」
「エド」
恋人の名を呼んだフレドリカはソファの上でぐるっと回転し、エドガーの両頬に手を添えた。そうして少し背伸びをして、彼の頬にキスをする。
ぱちり、と至近距離でハシバミ色の目が瞬かれる。長いまつげの先で、フレドリカの頬がくすぐられる。
「……今の私も、それからきっと、過去の私も。こうしてキスをしたいと思える人は、世界で二人だけよ」
「二人……」
「あなたと、シグルド。私の恋人と、息子だけ。そして……」
とん、と右手の人差し指の先でエドガーの唇の端に触れて、微笑む。
「ここにしたい、してほしいと思うのは、あなただけ。それじゃあ、不満?」
「っ……ふ、不満だなんて。まさか、そんなことはっ……」
「してくれる?」
「します!」
元気よく応えたエドガーはこほんと咳払いをしてから、フレドリカの頬に手を添えた。どこか熱で浮かれたような眼差しのエドガーの顔が近づき、そ、と唇が重なる。
労るような、恥じるような数秒間のキスの後に唇が離れたので、フレドリカはくすっと笑う。
「可愛いキス」
「むっ……ご不満ですか」
「いいえ、満ち足りるほど幸せよ。……昔の私たちは、もっと濃厚なキスをしていたのかしら?」
「えっ。……ええと、それは……はい……」
「ふふ。じゃあいつか……してね?」
フレドリカがエドガーの真っ赤な耳元に唇を寄せて言うと、顔を両手で覆った彼はこくこくと何度もうなずいたのだった。




