20 幸せの時間
しばらくリビングで二人で抱き合った後、子守メイドを呼んだ。
彼女が抱えていたシグルドを受け取ってエドガーに向き直ると、それまではフレドリカにはなめらかに愛の言葉を紡いでいたエドガーががちっと固まり、おずおずといった様子でシグルドを見つめた。
「……なんだか緊張します」
「そうね。……シグルド、あなたのパパよ……って、もう分かっていたのよね」
フレドリカが呼びかけると親指を吸っていたシグルドは顔を上げ、こわばった表情で自分を見つめるエドガーを見てぱちくり瞬きした。
そしてふにゃあっと笑うと「ぱー!」と弾けんばかりの声で言ったため、エドガーが「わっ」と声を上げた。
「僕のことを、パパと呼んでくれるのでしょうか……」
「そのようね。……ほら、抱っこしてみて」
「え、ど、どうやって……?」
わたわたするエドガーのことが可愛らしい、と思いつつ、フレドリカは赤ん坊の抱え方を教えて、そっと彼の腕にシグルドを移した。
思いのほか重かったようでエドガーの体が少し揺れたが、彼はぎこちなくもしっかりとシグルドを抱きしめ、その目を見てくしゃりと笑った。
「……可愛いですね」
「あなたにそっくりな気がするわ」
「そうでしょうか? 目元はリカに似ていると思います」
「私はエドガーに似ていると思うけれど……」
「こんなに可愛いのだから、絶対にリカ似です」
……その根拠はどこから来るのかと問いたくなるが、遠回しではあるが「フレドリカは可愛い」と言ってもらっているということなので、フレドリカは頬を熱くしつつも小さくうなずく。
「……あなたって昔から、こんなに甘かったの?」
「ええと、自覚はありません。ただ自分に正直にあろうとはしているので」
エドガーはふふっと笑ってから、シグルドを見て目を細めた。
「……あなた一人にシグルドのことを任せて、申し訳ないです」
「そんなことないわ。あなたは知らなかったのだから」
「……」
「エドガー、申し訳ないとは思わないで。確かに知らないうちに妊娠していて、驚いて困って泣いて悩んだけれど……でも、この子を産んでよかった、って思っているから」
エドガーの手にそっと手を重ねて言うと、彼は目を少し潤ませてうなずいた。
「……そうですね。僕たちのところに生まれてきてくれたシグルドに対して、失礼になってしまいますよね」
「そうよ。……過去の私もきっと、あなたの優しいところに惹かれたのね」
フレドリカは目を細めて、そっとエドガーの肩に身を寄せた。彼は少し躊躇いつつも手を伸ばし、フレドリカの肩を抱いてくれる。
こんなに優しい人だからこそ、過去の自分は惹かれたのだろうし……シグルドも自分たちの間に生まれてきてくれたのだろう、と信じていた。
その後二人は一緒にシグルドをあやしながら、これからについて話すことにした。
「私の立場が不安定である以上、やっぱりシグルドのこととかあなたと交際していることは言わない方がいいと思うの」
フレドリカが言うと、エドガーもうなずいた。
「そうですね。少し癪ですが……ヴァルデゴート将軍にも相談しておきましょう」
「そうね。でも……できればこれから、シグルドに会いに来てほしいわ」
「それは当然です! なんなら今日からここで一緒に住みたいくらいですが……さすがにそれは自分からバレに行っているようなものなので、我慢します」
「やめます」ではなくて「我慢します」と言うあたりからエドガーの気持ちが見えてきて、くすぐったいような嬉しさにフレドリカは微笑む。
「シグルドも喜ぶから、手の空いているときでいいから来て……そうね、ご飯だけでも食べていってほしいわ」
「はい、喜んで。もし皆に何か言われても、『今後のことで、食事をしつつ相談していた』とでも言っておきます」
「……あの、今言った『今後のこと』だけれど」
今言わなくてもいいだろうか、だがこういうのは早く済ませた方がいい、と判断したフレドリカは、エドガーから受け取ったシグルドを抱き寄せてから、口を開いた。
「……第六部隊のこと、そろそろちゃんと考えた方がいいと思って」
「……解体か存続か、のことですか」
「ええ。……ずっと、考えていたの。もし記憶が戻ったとしても、私はもう若くないし、前のように動けないと思う。それに……隊長になったら、シグルドと一緒にいる時間がなくなる」
フレドリカの言葉に、エドガーは静かにうなずいた。
「アントン様もおっしゃっていたし、私が記憶を取り戻して隊長に戻るのが一番いいと分かっているわ。でも……私が何を一番大切にするべきなのか、大切にしたいのかを考えると……ごめんなさい。あなたたちではなくて、シグルドなの」
「……はい」
「一年半も待ってもらっておきながらこんなことを言うのは、おかしいと分かっている。あなたを、ブリットたちを裏切ると、理解している。それでも――」
「それは違いますよ、隊長」
エドガーはあえてフレドリカを役職名で呼び、そっと肩を抱き寄せた。
「僕たちは、あなたという人が大好きなんです。あなたに隊長に戻ってほしいという気持ちもありますが、それであなたが不幸になるのなら絶対に止めます。……僕たちは一年半、あなたと生きて再会することを目標にしていたのです」
「……」
「あなたにやりたいことがあるというのなら、皆も分かってくれるでしょう。もし隊長でなくなっても、どこかで生きて元気でいてくれる……それだけで、僕たちは十分です」
だから、とエドガーは背筋を伸ばし、フレドリカを見つめた。
「……僕も、ずっと逃げていた問題に立ち向かおうと思います」
「エドガー……」
「隊長、もしあなたがお望みなら……どうかこの僕を、あなたの後任としてください。あなたが守り育てた魔法騎士団第六部隊を、僕に引き継がせてください」
エドガーの声は、しっかりしている。
彼はずっと、フレドリカの役職を引き継ぐことを渋っていたそうだ。それは、生きているか分からないフレドリカを裏切ってはならないと思ったからだろう。
だが彼は、フレドリカの望むものを聞き、受け入れてくれた。第六部隊を解体させることなく存続させ、フレドリカが息子との時間を取れるようにする。
そのために、自分がフレドリカの跡を継いで部隊長となると言ってくれるのだ。
それでいいの? とか、本当に? とは聞かない。
もう、エドガーの瞳から迷いは見えないから。
「……ありがとう、エドガー。あなたに未来を、託させてください」
「あなたとシグルドのためなら、喜んで」
エドガーはそう言ってフレドリカの頬にキスをして、そして彼女が抱えるシグルドの額にも唇を落とした。
――きっとこういう時間を、人は「幸せ」と呼ぶのだろう。
息子がいて、将来を誓い合った恋人がいて。そして自分が職を退くことになろうともきっと、部下たちはその気持ちを受け入れてくれる。
フレドリカは、幸せだ。
それなのに。
『だから、さようなら』
かつての自分がエドガーに告げたという別れの言葉が、胸の奥でよどんでいた。




