プリメラの過去と、ネイピア
2巻の14話です
「あの、ジードさん、エレナさん、セラムさん――」
プリメラが改まって言ってきた。
「私の、愚痴を少し、聞いてくれませんか?」
そう言われて、俺たちはチラリと顔を見合わせてから頷き合って、
「俺たちで良ければ、少しと言わずに構わないぞ」
「わ、ありがとうございます。でしたら、とある日から15年分、積み重なってきた私の愚痴を聞いてください」
「お、おう。解った」
その年数に、思わず苦笑する。でも、きっと冗談ではないんだろう。
「……私、すごく弱いんです」
プリメラが話し始めた。
「ご存知の通り、魔法の力も弱いですけど、それよりも、心の力が弱くって」
そんな話を、以前もネイピアの口から聞いていたし、プリメラ本人からも聞いたことがあった。
他人と戦うのが嫌で、戦わないような職業を目指した。
聖霊大祭の審判になりたくて、教導士団に入ったんだと。
ただ、それと同時に、世界を救いたいとも言っていたんだけど。
「でも、実は、本当の私は負けず嫌いなんです」
「そうなのか?」
「はい。すごく負けず嫌いなんですよ。どんな手を使っても負けたくないくらい――」
プリメラは、昔を思い出しているのか、中空を見つめながら微笑んで、
「5歳下のネイピアちゃんにも本気でぶつかってって、そして最初の頃は勝ってたんです。それはそうですよね、相手はまだ何も知らない幼児だったんですから。おっぱいを飲んでいたり、歩くこともできないくらいだったり」
「それはまた、筋金入りだな」
「母が、いろいろ指導してくれましたから。「弟の家には絶対に負けたらダメよ」「アイツの娘――ネイピアには絶対に勝ちなさい」なんて言って」
プリメラの言う『母』は、要するに、皇帝ルートボルフの姉だ。
姉であるが故の――年上であるからこその、プライド。
それが、ネイピアの従姉であるプリメラにも注がれていたのか。
「母親に、筋金を入れられてたんだな」
「ですね。私の背骨は、そんな筋金で固められているんです――」
そう言って自嘲するプリメラ。
「なのに、そこまでやっても、私が勝てたのは、自分が10歳になったときまででした。今でも覚えてます。騙し討ちでも不意討ちでも、全然勝てなくなったときのこと」
「てことは、ネイピアが5歳のときか」
「はい。彼女にとっては、遊びだったんだと思います。私が不意討ちで襲い掛かるのを、『糸』の結界で守りながら、みっちり縛り上げて動けなくして、コチョコチョくすぐってくるんです。……あれは本当に苦しかったですよぉ」
そう言って笑うプリメラ。
その表情は、無理をしているわけじゃなく、本当に楽しそうに見えた。
「それからネイピアちゃんに会うたびに、せがまれてました。『プリメラおねえちゃん、今日は蜘蛛さんごっこしないの?』って」
「蜘蛛さんごっこ……」
子供らしい無邪気さなのか、それとも、子供ながらすべてを理解して、弱肉強食を皮肉っていたのか……。
正直、ネイピアだと後者の可能性もありそうだと思ってしまうのが、なんとも言えない。
「ネイピアちゃんに勝てなくなったことで、私はもう、ネイピアちゃんとは対決するようなことをまったくしなくなったんです。どうせ対決をしても、負けるのは確実だから。負けず嫌いの私の性格には、それが耐えられなかった」
「じゃあ、もしかして、教導士団を目指したっていうのは」
「はい。ネイピアちゃんと対決しないように、そして、ネイピアちゃんに負けることがないように、別の道を目指しただけなんですよ。そのお陰で、私はただの親戚としてネイピアちゃんに接せられるようになりましたけど。あはは――」
プリメラは、自嘲しようとしたようだけど、失敗して、泣きそうな顔になっていた。
「私の魔法陣も、そんな『逃げ』から生まれたモノなんです」
「巨大な魔法陣のことか?」
「はい、そうです。世界中の魔法士で、『魔法陣を大きくする』ことに特化して魔法を使うような人なんて居ませんでしたから。つまり、競争相手が居なかった――負けることがない場所だったんです。だから私は、ここだって思って、魔法陣を大きくし続けてたんです。そしてだからこそ、今の自分があるんです」
そう言うプリメラは、ほんの少しだけ誇らしげな表情になっていた。
「その魔法陣の研究が認められて、教導士団の副団長に抜擢されたんだな」
「……そうですね。『魔王』を封印するためには、巨大な魔法陣が必要だから。私の力は、世界平和のために必要だから、と」
話が『魔王』に戻ってきた。
その話を聞いた俺は、プリメラに伝えたいことがあった。
「残念だが、今回、プリメラの力は必要ないよ」
「え……。それは、どういうことですか?」
ひどく困惑しているプリメラに、俺は言ってやる。
「さっきも言っただろ。俺は、魔王封印計画を阻止してやるってさ」
「封印計画を、阻止……あっ!」
「そうだ。魔王は俺たちが倒す。倒してしまえば、封印する必要なんてない。そもそも倒したモノを封印することなんてできない。だから今回、プリメラの出番なんて無い。プリメラの力は必要ないんだ」
「そういうこと……。もう、紛らわしい言い方をしないでください!」
プリメラが膨れながら俺を小突いてきた。
「はは、悪い悪い。でもどうせなら、こう言った方が心に刺さると思ってな」
「刺さりすぎです! ……本当に、言われた瞬間、すごく痛かったんですから」
「それは本当に悪かった。だけど、プリメラは、魔王を怖がってるみたいだったからさ。それって、俺たちが魔王を倒してやるって言ったのに、プリメラはそれを信じられなかったってことだろ?」
「あ……それは、その」
「まぁ、信じられないのは当然だ。知り合って間もないし、立場もいろいろ違っているし。それでも、俺はもう一度、その心に刺さるように伝えておきたかったんだ……。魔王は俺たちが倒す。それを信じてほしい」
俺がそう伝えると、プリメラは固まったように呆然として、そして、彼女の頬を涙が伝っていた。
「え? あ、ごめん! 俺の言い方が酷すぎた。『必要ない』なんて言い方したら、そりゃ辛いよな。傷付けること言って、ごめん」
俺が慌てて謝ると、
「あわわ、ち、違うんです! 辛くないですから。だ、大丈夫ですから。これは、安心したからで……そうです、嬉し涙みたいなものです」
プリメラはもっと慌てて否定してきた。
「そっか。それなら良かった……」
「あ、でも、ジードさんの言い方が酷かったのは事実ですから、そこは否定していませんからね?」
「……はい。ごめんなさい」
俺は素直に謝った。
すると、プリメラが微笑んでいた。
細められた瞳から、ふたたび涙がこぼれる。
ふと、それを見て、今が夜で良かったなんて考えてしまった。
街中で女性を泣かせている男。
こんな光景を誰かに見られていたら、妙な噂が広まっていたに違いない。それがネイピアの耳目に触れてしまったら、どうなっていたことやら……。
俺は思わず、帝都の中心にある建物の高層部――賢者学園の生徒会室を見やっていた。
既に明かりは消えていた。
どうやらネイピアも寮に帰ったらしい――
「こんな時間に、ここで何をしているのかしら?」
――嘘だ。
ネイピアはここに居た。
「……やぁ。ネイピアこそ、どうしてこんな時間に、ここへ?」
「警察に、『街中で卑猥なことを叫んでいる男女が居る』っていう通報が入っていたのを耳にしたのよ」
ネイピアは言いながら、髪に隠れた耳をトントンと叩いて見せた。
《風》による情報収集を表すサイン。
「へぇ。ネイピアは、警察の仕事もやってるってことか」
「違うわ。『犯人』に心当たりがあったから引き取りに来たのよ」
「保護者かよ⁉」
「少なくとも、似たような気分にさせられているわね。毎回毎回、厄介ごとを巻き起こしたり持ち込んできたりするものだから、ね」
「……申し訳ございません」
俺は、ネイピアにも素直に謝った。
「まったく。こんな場所で話をしていたら、また通報されてしまうわ。みんな帰るわよ」
まさに保護者みたいなことを言いながら、先を歩いていくネイピア。
その背中を見て、ふと思った。
ネイピアは、本当は警察への通報を聞いていたんじゃなくて――
俺たちの話を、直接聞いていたんじゃないか、って。
それくらい、タイミングのいい登場だった。
するとネイピアは、俺たちにだけ聞こえるように、《風》に乗せて言ってきた。
「プリメラは、貴方たちには心を許しているみたいね――」
やっぱり、俺たちの話を聞いていたみたいだ。
それを明言しなかったのは、プリメラに気を遣ってのことだろう。
「貴方たちさえ良ければ、また彼女の愚痴を聞いてあげてくれないかしら。それは、私にはできないことだから」
そんなに、プリメラのことも気に掛けてるんだな。
まったく、この皇女さまは周りに気を配りすぎているんだよなぁ。
そんなことを思いながら、俺とエレナとセラムはこっそり視線を合わせて、小さく口の中で「ああ」と返していた。
「……ありがとう」
《風》に消え入りそうなほど小さな声が、俺たちに返ってきた。
冷え込んでいたはずの夜風が、どこか温かく感じた。
「そういえば、貴方たち――」
ネイピアは、ふと気付いたかのように言ってきた。
その声は、どこか楽しげで。
「『夜は魔王』っていうのは、どういう意味なのかしら?」
「…………ぁ」
どこか温かく感じていたはずの夜風が、ふたたび、一気に冷え込んだ。
本日(6/11)の投稿は、以上です。
次話の投稿は、明日(6/12)の18:00を予定しています。




