朝の幸せな日常
2巻の8話です。
第二章
1
教導士団が学園にやってきてから、数日が経った朝。
窓から差し込む光に照らされながら、目を覚ました。
……う、眩し。
俺は腕で顔を覆おうとした……なのに。
腕が動かない⁉
まさか金縛りか⁉
それとも束縛魔法⁉
……なんてことはない。
俺の両手は、暖かくて柔らかいものに包まれていた。
いつものように。
ガッチリと。全く身動きが取れないくらいに。
エレナとセラムが、俺の両腕に抱きついていた。
ここは、賢者学園の生徒会用の寮にある一室――ここに来たばかりのときに使わせてもらっていた部屋と同じ場所だ。
最近は、何をやるにもネイピアと協力することが常態化していたから、便宜上、またこの部屋を拝借していた。
正直なところ、気心が知れる相手が近くにいるという安心感は、だいぶ有り難い。
逆にネイピアも、口ではいろいろ言いながら、俺たちのことを信頼してくれているんだと思う。
……多分。
この部屋で朝を迎えることは、自分にとって当たり前のことになっている。
この部屋から、今日も一日、幸せな日が始まるんだ。
「んふふ~」
耳元で、俺の右腕をキープしているエレナが、目を閉じたまま吐息混じりに小さく笑っていた。
きっと、これから始まる朝の日課が楽しみなんだろう。
まったく、建前上は『目覚めの日課』のはずなのに、笑ってたら寝てないことがバレバレじゃないか。
……まぁ、そんなこと言ったら、そもそも精霊は寝る必要もないんだけど。
「…………」
一方、俺の左腕を確保しているセラムは、無言のまま。
つーか、俺の腕に顔も身体も押し付けるように抱き付いてるもんだから、そんな状態なら喋れるわけもなかった。
セラムもエレナも、『自分たちの間にはちょっとの隙間も許さない』をモットーにしているから、こういうときもしっかり抱きついてきてくれる。
ふたりともに両手が掴まれているから、俺からは抱き返すことができない。だけどそんなときは、ふたりからもっとしっかりと抱き寄せてきてくれる。
俺は、この朝の時間が大好きだ。
目を覚ましたら、大切なひとが必ず隣にいる。
俺のことをしっかり抱き寄せてくれている。
それが本当に嬉しい。
……まぁ、朝の時間だけじゃなくて、昼の時間も夜の時間も同じくらい大好きだけど。
ずっと、いつでも、大切なひとは隣にいてくれるんだから。
「……んん~?」
ふと、エレナが困惑したような声を漏らしていた。
チラリとエレナを見ると、薄目を開けて俺の様子を見ていた。
そこで目が合って、思わず笑い合う。
どうやら、いつまでも日課が始まらないから心配になってしまったみたいだ。
それじゃあ、と俺はそのままエレナに顔を近づけてゆく。
エレナが目をギュッと瞑って、息を止めた。
彼女の《風》が、俺を傷つけることがないように。
そのまま、互いの唇が触れようと……
ドンドンッ!
「うぁっ⁉」
いきなり壁が乱暴に叩かれて、思わずふたりを抱きかかえながらベッドから飛び起きて、臨戦態勢で身構えていた。
「ど、どうしたんだよ? 今朝はまだ何もしてないだろ⁉」
俺は慌てて壁の向こうに声を掛けた。
「……『まだ』って、どういうことかしら?」
壁の向こうから返事が来た。
叩かれた壁の向こうからではなく……
反対側の壁の向こうから――
ネイピアの声が、聞こえてきたんだ。
「…………ぁ」
壁を叩いていたのは、ネイピアじゃなかった。
少し考えて気付く。ネイピアの部屋は逆側だ。
すると今度こそ、叩かれた方の壁の向こうから声がした。
「ううー。変な夢を見てて、ベッドから落ちちゃいました。ジードさん、何かあったんですか?」
プリメラの声だった。
「あ、いや、まだ何もないぞ」
思わずそう返していた。
……そういえば、プリメラは今、生徒会寮の空室――この隣の部屋に滞在しているんだった。
教導士団は、そもそも一つの街には定住せず、各地の学園や軍を指導している。団員の中には帝都に実家がある者もいるらしいけど、今回は皇帝の意向もあって、城内の一室に滞在しているという話だった。
だがそんな中、プリメラは、
「せっかく親戚のネイピアちゃんがいるんだし、生徒会寮を使わせてほしいんですけど、ダメですか?」
なんて言い出していたのだ。
そして、それが了承されていた。
あのガルビデ団長の性格からしたら、不許可にしそうだと思ったのに。
案外あっさり了承したものだから、かなり意外だった。
すると今度は、ネイピアの声。
「今からそっちの部屋に行くわ。正座して待機してなさい」
「は、はいっ!」
つい良い返事をしていた。
そのとき、エレナとセラムと視線が合って、小さく笑い合った。
なんとなく、こんな騒動も含めて、朝の日課になっている気もする。
そして、そんな朝の日課が、大好きなんだ。
そのまま見つめ合う俺たち。
ふと、誰からともなく、顔を近づけていって……
エレナ、セラムと、今度こそ朝の日課を交わした。
「ぷっはー。……えへへ」
「ん……」
ふたりが嬉しそうに頬を緩ませる。
俺も、顔が痛くなるくらい緩んでいる。
やっぱり、これがないと俺たちの一日は始まらない。
そして、これがある限り、俺たちにとって今日という日が幸せであることは決定したようなものなんだから。
その後、俺たちは制服に着替えて、ちゃんと正座をしながら、ネイピアが来るのを待った。
部屋の中で、扉に向かって横並び。これから怒られるのは確実なのに、どこかわくわくしてしまっている。
なんだか、学生をしているんだなって実感できるんだ。
666年前の学園生活は、本当に静かで暗くて、ずっと一人だったから。
こうして怒ってくれることも、正直言ってありがたい。
まぁ、もちろん怒られない方がいいんだけど。
すると、ネイピアの到来より先に、《風》の通信魔法が部屋の中に届けられた。
「ジード・ハスティ、エレナ・ハスティ、セラム・ハスティ、皇帝ルードボルフ様がお呼びであらせられる。至急、城内の謁見の間まで来い」
ガルビデ団長の声だ。
本当に、いきなり呼び出しをしてきた。
しかも、皇帝直々の呼び出しだという。
「とりあえず、行くとするか」
俺はふたりに声を掛けながら、正座をといて登城の支度を始めた。
「うん、そうだね」
「早く行くべき」
エレナもセラムも、身体を弾ませるほどウキウキしている。
前にも似たようなことがあったけど、みんなで『ハスティ』一家として呼ばれることが嬉しいんだ。
いや俺も嬉しいんだけどね。
精霊は、もともと苗字を持たないけど、だからこそ、同じ苗字で呼ばれることが、一つの家族になってるって実感できるから。
俺たちが廊下に出ると、両隣の部屋から、ネイピアとプリメラも廊下に出てきていた。
同じ内容の通信魔法が、2人にも届けられていたようだ。
軽く挨拶を交わして、せっかくだから揃って王城へと向かう。
道中、ネイピアがぼそっと呟いてきた。
「貴方たち、今朝のことは、改めて後で話をさせてもらうわよ」
「……はい」
次話の投稿は、本日(6/11)18:30を予定しています。




