封印したはずだった、ジードの黒魔術
第35話です。
六
「ところで」
と、ネイピアが話を切り替えるように口を開いた。
「……実は私、論文の著者に直接聞きたいことがあったのよ」
ちょっと言いづらそうに、視線を逸らしている。
よく見ると、頬が真っ赤だ。
「そんなこと言ってもらえるなんて、なんか嬉しいなぁ。何でも聞いてくれ。こんな機会なんてないだろうしな」
「まったくね。666年前の著者になんて絶対に会えないと思ってたのに、不思議なものだわ」
ネイピアは、少し感慨深げに微笑むと、
「それじゃあ早速質問をさせてもらうけど……」
少し早口で言いながら、一冊の本を取り出した。
黒い革の表紙に、赤い液体で魔法陣の模様が描かれている。
それに加えて、頑丈そうな鎖が巻かれ、重厚な鍵も取り付けられていた。
666年前の物でもすぐに思い出した。それほど見覚えのある本だった。
「……そ、その本は、まさか⁉」
俺は、驚愕と恐怖に打ちのめされて、震えた声を漏らしていた。
「この本の名前は、『クロノ・クロニクル』……。やっぱり、これも貴方が書いたものだったのね──」
ネイピアが、まるで恍惚しているかのような声を漏らす。
「──これは以前、論文集と一緒に……というより、論文集より解りにくい場所に、厳重に保管されていたのを発見したのよ」
「あ、あぁ……。それは、誰にも見つからないように、隠していたんだ」
「ふふ。《風》の情報収集能力をもってすれば、どれだけ完璧に隠したところで、気付くことができるのよ」
挑戦的に微笑んでくるネイピアに、俺は、乾いた笑いすら出てこなかった。
「これほど厳重に隠されていた本。しかも、魔法ではなく物理的な鍵で封印をしている。そこにはいったいどんな情報が記されているのかしら……」
ネイピアは顔を紅潮させて、何度も声を裏返らせながら早口で言った。
「……そ、それは」
その質問には答えられない。
何でもとは言ったけど、無理なものは無理だ。
今の俺には、黙秘するしかない。
「だから私は、鍵を壊して中身を見たのよ!」
「…………え」
それが質問じゃないのかよ⁉
よく見れば、本に巻き付けられていた鎖は、文字通りに巻かれていただけで、とっくに鍵が壊されていた。
……中を、見たのか?
なんてことを⁉
「そこに書かれていたのは、これまで誰も見たことのないような秘密の呪文だった。でも私には魔法として使うことができなかった。だから、私はこの作者に聞きたかったのよ。あの呪文は、いったい何の呪文なの?」
「そ、それは……」
俺が言葉に詰まっていると、ネイピアは待ちきれないかのように、その呪文を読み上げてしまったのだ。
「『愚者よ! 時は来た! 今こそ我がもとに集い賢者を滅ぼせ! 紅き血を断ち、玄き闇に沈め! 深淵の常闇』」
「うああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」
俺は思わず悲鳴を上げ、その場に蹲った。
胸を抉るような激痛。
頭の中を穿り返すような吐き気。
俺は気力も体力もごっそり削られ、力無く床に倒れ込んだ。
「ジードくん!」「……ジード」
心配そうにエレナとセラムが駆け寄ってきた。
……あぁ、ふたりとも。
俺はもう、再起不能かもしれない。
「な、なんなの、この呪文はっ⁉ いったい何が起こってるの⁉」
ネイピアが、困惑と不安と期待を入り混ぜたような表情で叫んでいた。
俺は、息も絶え絶えに答えた。
「……俺が妄想して考えた、かっこいい呪文だよ」
「…………え」
図書館の会議室が、しんと静まり返った。
「……その本は、魔法を使えない俺が、もし魔法を使えたらすごい活躍をしてやるんだって思って、いろんな夢とか妄想を書き留めていた鍵付きノートなんだよ。俺の考えた最強の魔法とか、めちゃくちゃ強いモンスターとか……。誰にも見られないように鍵を掛けて、隠しておいたんだけどなぁ……」
……まさか、666年も経って、他人に目の前で音読されるなんてなぁ!
しかも、俺の論文のことを好きでいてくれる子に!
こんなことなら、ちゃんと身辺整理しておくんだった。
「あー、えーと……」
ネイピアが、遠慮がちに声をかけてくる。
「じ、実は私も、こっそりポエムを書いているのよ。……その、あとで貴方にも読ませてあげるわね」
顔を真っ赤にしながら、絞り出すようにしてまで言ってきてくれた。
「……いや。いいんだ。気にしないでくれ。ネイピアまで無駄に傷つく必要はない。そんなことまで相互関係になる必要はないよ」
「……解ったわ。でも、今後何かあったら力になるから、何でも言ってちょうだいね」
「あぁ、ありがとう」
ネイピアが、とても優しく声を掛けてくれた。
エレナもセラムも、今は俺のことを優しい目で見守ってくれている。
『深淵の常闇』の呪文には、人を優しくしてくれる効果があるようだった。
次話の投稿は、本日の20時30分を予定しています。




