2話 遠き日の追想~輪舞曲~
そよそよと風が吹く。
東の果てから運び込まれたと言われる緋色の雁の様な姿の花がゆらゆらと揺れ、隣に咲くチューリップをトントンと叩く。
果てしなく青い空の下、青黒い色の広がる大海を眺め、風車はガラガラと小麦を挽いて粉にする。
――――――――――――――――――――
古ゲルミアの偉大なる英雄王アルナリルに基づくアルナリル歴によれば、この日この時は、1988年10月26日
――――――――――――――――――――
デウスは、果てしなき大自然を眺めながら、隣のシャリアをちらりと見やる。
大木の枝の上でまるでサスペンスの正念場でも始まりそうな白波を見ていることに意味などない。重要なのは、デウスの隣でシャリアが楽しそうにしてくれていることなのだから。
村の端の方、海沿いの林を抜けた先。緋雁華の群生地がある。
今から、デウスはそこに向かおうと思う。
まぁ、理由というほどのものは無い。
強いて言うならば、シャリアにそこを見せたかったから。というか、シャリアと共にそこが満開となるのを見たかったからというののほうが正しいだろう。
ぶっちゃけると、デウスは綺麗な花だと喜ぶシャリアが見たかったので。
アインズはいない。
脳筋候補生でも空気は読める。まず、村のお姉さま方(平均年齢33歳)に目を付けられるし。直感という奴はよく働く。
群生地への道中、野生の果物を見つけて採るためにこんな所まで昇っただけなのだ。特にすることも無い。だから、にこにこしているシャリアを見て、細い目を更に細くするデウスは、シャリアの笑顔を見てニコニコとする。
ぴょんと飛び降りると、シャリアに手を差し出して、彼女が下りるのを手伝う。さぁ、林を抜けよう。
あと少し、あと少しで―――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「兄ちゃん、こんな田舎に何の様だい?その服見るに結構いいとこの坊ちゃんだろ?」
タカラッ、タカラッ、と小さな馬車をロバが牽く。
ネーテルランドの端も端、北の辺境であり、ジャメニー軍国の属国ベルグと接しながらも、戦火に巻き込まれる可能性などゼロ以下のやせた土地。それがロバの主の生まれ育ったルイム村。だから、―――故郷は好きだが―――好き好んでこんなところに来るのなんて訳アリの向こう脛に傷を持つやつ以外以内と知っているのだ。
―――やっぱ、追放された貴族様か何かねぇ……村人なんなら働いてくれねぇと困んだよなぁ。
これがこの男の本音である。
そして、そんなぶしつけな本音を隠された問いかけをされた相手は、金髪青目の優男としか説明方法の無い眼鏡の青年だ。
荷台に腰かける姿からですら優雅さが漂っている。
かちゃりと眼鏡を直して髪を耳に掛けると、にこりと笑った。
「いえいえ、私はねぇ。あれですよ、アレ。一介の研究者にすぎませんね。多少、調べてみたいことがありましてね。ここいらに来るのが一番いいかなという感じだったんですよ。あと、あれですよ、緋雁華の買い付けでもしようかと、ね」
はきはきと自分のやりたいことを告げる。それはすなわち、村人になる気はないという宣言でもある。
ピョロロロロと高い空の上で鳥は啼く。
あと少し、あと少しで―――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ああ、何ということだ緋い花。
まことに緋色の雁の華。華々しき美しさか。麗しき雁なのか。
否。
それは別たれた時の流れにより生まれた別の名なれば。
遥か東方、東国。
桜の花降る日出の国。その場では、こう呼ばれる。
―――〝彼岸花〟と。
死者の迎えの道標。
林を抜ければ、美しく、艶やかなあかいろがデウスとシャリアを迎えてくれる。
「ほら、シャリア!満開だぜ、満開になったんだぜ!わっちはシャリアと一緒に見たかったんだぜ、だから、連れてきちゃったぜ」
変な喋り方だ。大げさにクルリと回ってにっこにこしながら口から出た言葉は成れていなければ分かり辛いだろう。一人称が変だったり、語尾が変になまっていたり、首を傾げざるを得ない。
しかし、シャリアにとっては聞きなじみのある声だ。
小さな、本当に小さなころに村に来た吟遊詩人のの唄う詩―――おとぎ話の英雄に影響された彼の喋りまわしは、小気味のいいテンポだとシャリアは感じるのだ。
「とってもきれい!ありがとう、デウス!」
デウスの手を取って微笑みかけて礼を言う。
見る人が見れば、あざといとも感じるかもしれないが、素だ。
だからこそ、狐目の少年の頬を緋雁華の色に染め上げるのはお手の物。
優しいシャリアに赤色は似合わない。白や水色なんかの涼やかな、純粋な色が似合う。
こう言ったのは誰だったか。
デウスは思うのだ。
シャリアは何色だって似合う。だってほら、緋雁華のティアラを頭にのせるシャリアはとってもきれいじゃないか。
緋色の華に囲まれながら、二人は笑い楽しむ。ただずっと笑い合う。
花冠は光を浴びて輝き、鼻にちょこんと乗った花びらは蝶の羽ばたきに揺らされる。ましてや、彼らの笑い声に揺れないことがあろうか。
―――アインズは思う。村に残った彼は、出歯亀しようとする大人たちを抑え込みながら、ふっと笑う。あの二人はどうせちゃんと楽しんでんだろうな、と。
だから、のどかで平穏な、恋人たちの輪舞曲はもう少し続く。
楽しく、楽しい時間は流れていく。
楽しいと思う時間はすぐに流れて行ってしまう。
―――苦しさなんてかけらもないのだから。
緋色の輝きに目を輝かせる三人の御話が始まり、続いていく。
この輪舞曲のアンコールが聞こえたとして―――――再び舞台に流れられるのは、何時なのか。
十四年続いた三人の優しい物語。
それは序章。
青天の霹靂とは、予想だにしなかったから、驚くことである。
予想外とは、経験が役に立たないことを意味するし、想定外とは人生の主人公の嫌だと思うことがあるということだ。
急転直下とは、まさしく、青天の霹靂で、予想外な想定外である出来事が、怒ってしまう事を言うのだろう。
だから、この日は、彼らの物語が急転直下する。
夕方、ロバに牽かれた馬車に乗ってきた研究者は、萎れたもの、折れたもの、花が散ったものという不可思議な三本の彼岸花を摘んできた。
気味が悪かった。
ただ、そんなことは意識の外に捨てられた。
―――赤黒く濡れた二枚の上着が右手に提げられていた。




