天空島に死す?
聖王宮を出ると、外は朝にしては薄暗かった。
それは曇りとも違う妙な暗さで、空を見上げてなぜそんなに暗いのかが分かった。これは雲が作った影ではなく、天空島の作る影で聖王宮全体が影の中にいるのだ。
天空島が南側に流されて、湖の上からはみ出てしまっていた。
「島が動いてます! このままでは、天空島が失われてしまう!」
聖王宮の中から飛び出した女官が、頭を押さえて上空を見上げ、震えている。
厩舎の近くに行くと、中から神官長が出てきて、私たちの姿を確認するなり、はっと顔をあげた。
「陛下。お待ちしておりました。急いで向かいましょう」
神官長がユニコーンを二頭連れ、ルイズィトに駆け寄る。
ルイズィトはそのうちの一頭のたてがみに掴まり、背に飛び乗る。
「まって、陛下。私も乗せて下さい!」
「貴女は王宮の中にいなさい」
「危険です! せめて、もっと護衛を揃えてからにしてください!」
「私はそれほど、弱くはないぞ?」
願いは聞き届けられなかった。
急いでいるルイズィトは強気な発言を残してユニコーンの脇腹を軽く蹴ると、止める間も無く空へと駆け上がっていく。
ユニコーンに乗れるのは、全能神の子孫である王家の者か一部の神官だけだ。すぐにサラに命じる。
「王太子を呼んできて!!」
「ど、とうして…」
「良いから! 王妃が呼んでると言って、超特急で連れてきて!」
前世では陸上選手だったのかもしれないと思えるほどの猛ダッシュでサラが走り去り、再び姿を現すまでは時間にして十分もなかった。だがその時間すら、もどかしい。
聖王を天空島に行かせたくない。ガル=アルトはまだ近くにいるかもしれない。
サラは借り物競走のように王太子を引っ張って駆けてきた。
その後を、何事かと心配した十人ほどの侍従や侍女達がゾロゾロと追いかけてくる。
王太子は近くまで来ると、口を開いた。
「お義姉様、一体これは…」
「ユニコーンを出して! 私を天空島に連れて行って下さい!」
「それはなぜ…」
「陛下がお一人で行かれたの。陛下が危ないかもしれない!」
当惑する王太子に最後まで言わせず、彼の背を厩舎に向けて押す。私はとにかく焦っていた。
厩舎から王太子がユニコーンを出すと、私は彼の手を借りて急いでユニコーンの背に乗った。王太子が続き、なぜかその後にサラが続こうとして、けれど乗る場所がもうなくて尻から滑り落ちる。
同乗は諦めたのか、サラが近くにいた神官の手を引き、厩舎へと駆け込む。
「飛べ!」
王太子がユニコーンの脇腹を蹴り、私の後ろから両腕を回して同じくたてがみに掴まる。
狭いユニコーンの上で王太子は王妃である私に極力触れないよう気をつけていたので、私達は少々不安定な姿勢のまま上空へと舞い上がった。
身体がぐらぐらと揺れたが、恐怖は感じなかった。私はただ、雲間に浮かぶ天空島を、真っ直ぐ見つめていた。
はやく、はやくと。
ユニコーンが天空島の上に到着すると、その背から滑り落ちるように降りる。その足で芝の敷き詰められた島の上を猛ダッシュし、白亜にそびえる天空神殿の入り口に向かった。
上空にあるせいか風が強く、髪が暴れる。
神殿の正面にある両開きの入り口は、片方が外側に向かって開いたままの状態になっていた。片手で素早く開け、中に飛び込む。
天井はとても高く、廊下が長く伸びている。
聖王と神官長は、きっとこの奥にいる。
廊下を走って奥へと進む。
床も壁も、全てが白い石造りで、平衡感覚を失いそうなほど、内部は白一色で満ちていた。
やがて巨大な広間に出た。
円形のその大広間は中心部に直径五メートルほどの穴がポッカリと開いており、円の中央部には透明な石の台座が浮かんでいる。
その穴の下から冷たい風が向き込んでおり、ドレスの裾をなびかせる。これが、島を貫通するという大穴だろう。深く空くその不気味な暗さに、鳥肌が立つ。
聖王と神官長は穴のすぐそばにいた。二人で並んで立ち、その向かいにはなんと、見覚えのある少年ーーテレンスがいた。
テレンスはシャツに黒いズボンといった小綺麗な格好をしており、きっちりとその茶色い髪の毛をオールバックにして整えていた。相変わらず貴公子然としている。
「君は、どうやってここに?」
何者なのか判断に迷った聖王が、テレンスに尋ねている。彼らもちょうど顔を合わせたところなのだろう。
「ユニコーンに乗ってだよ。もちろん。――僕も王族の端くれだからさ」
「君は、王族なのか?」
「もちろん。僕はテレンス・デュエ・シュヴァルトだよ。魔王家の者さ」
「王太子殿下。テレンスは殿下と同い年なんです。仲良くしてくれますか?」
聞き覚えのある声が、唐突に背後から上がった。
まさかと思って振り返ると私のすぐ後ろ、大広間の入り口にはガル=アルトがいた。
その右手に剣を持ち、左腕で王太子のアーサーを羽交い締めにしている。私は怒りのあまり叫んだ。
「王太子殿下を放しなさいよ、この人でなし!」
王太子は顔面蒼白になり、目をパチパチと激しく瞬き、ガル=アルトに押されながら大広間の中程まで歩いてきた。
「何者だ! どうやって…」
そこまで言って、ルイズィトは言葉を止めた。
ここまで来られるのは、二種類の人間しかいない。私は震える声で問いかけた。
「あんたが神官のはずないわよね。神官らしくないもの」
まあ、とんだ俗物神官長がいるらしいから、神官らしさがどんなものなのか、少々分からなくなって入るけど。
「だとすれば、あなたも王族――魔王家の人なの?」
ガル=アルトは答えなかった。だが微かに笑った。それは肯定の仕草に見えた。
視線を戻すと、ルイズィトが驚愕に目を見開き、私を凝視していた。
「ベル。この男を知っているのか?」
私が答えるより先に、ガル=アルトが口を開く。
「ようやく好機が整いました。天空島ならば、余計な邪魔が入りません。ーー聖王妃様、お手柄です。その目覚ましい働きぶりに、魔族の一人として、心から感謝申し上げます」
なんのこと、と問おうとして、あっと気がついた。
不覚にも、私はガル=アルトの狙い通りに動いてしまったのだ。私がここまで来ることで、この天空島へ通じる道をガル=アルトに作ってしまったのだ。
(私がガル=アルトを案内したようなものだ! この聖界の繁栄の要に!!)
ショックで言葉を失う私の動揺を気にする素振りもなく、ガル=アルトは動いた。彼は力づくで王太子から指輪を奪い、王太子を中央部の巨大な穴に向かって蹴飛ばした。
「アーサー!」
ルイズィトが急いで手をかざし、王太子の体が何か見えない壁にでもぶつかったように、その場で止まって膝から崩れた。聖術で動きを止めたらしい。
私は王太子に駆け寄り、その体を起こした。
王太子は引きつりつつも、笑った。
「大丈夫です、お義姉様。あの神玉石の指輪は、本物ではないので」
どうやらガル=アルトにもそれは聞こえていたらしい。彼は奪ったばかりの指輪を一瞥し、チッと舌打ちをすると、床に放った。カツン、と冷たい音が響く。
ガル=アルトは王太子と一緒に石の床にしゃがみ込む私の方へゆっくりと歩いてきた。
「さぁ、聖王妃殿下。約束を守ってもらいましょうか。例のものを、こちらに」
ガル=アルトは右手を私に差し出した。彼は聖王の神玉石を、要求している。
「貴方に渡すつもりはないわ」
私が首を左右に振ると、ガル=アルトは両手を腰に当て、ため息をついた。
「では、聖王から力づくで奪うまで」
ガル=アルトは剣を聖王に向けた。その剣先をビュン、と横に振る。するとルイズィトがはっと息を飲み、大きく後ろに下がった。二人の間にはそれなりの距離があったのに、ルイズィトの纏う長いローブの裾が、はらりと切れる。どうやら魔術を帯びた剣らしい。
ルイズィトも逃げるだけではなかった。
彼は握りしめた拳を開きながら前方に突き出し、ガル=アルトに向けた。
ルイズィトの手から光の粒が噴出し、金属音とともにガル=アルトを襲う。
ガル=アルトはマントで体を庇いながら、横に飛び退いてその攻撃を避けた。そのいくつかはガル=アルトに当たり、マントやジャケットに切り裂いたような、細かな傷ができる。
「なかなかやるじゃないですか、聖王! だがここ数日の聖術の駆使で、かなり消耗しているお前が、果たして俺に勝てるかな?」
ガル=アルトが前方にかざした手から、火の玉のような塊が放たれ、ルイズィトに向かっていく。ルイズィトの前でそれは四つに分かれ、避け切れずに一つが彼の腕に当たり、服に火がつく。
「陛下!」
王太子と私は抱き合って叫んだ。
ルイズィトはそれを消そうと動きを止め、ガル=アルトはそれを好機を見た。
ガル=アルトは剣を振りかざしながらルイズィトに向かった。
気がつくと私は立ち上がり、二人のもとに駆け出して叫んでいた。
「ルイズィトを殺したら許さないわよ! やめて、ガル=アルト!!」
走っていたはずのガル=アルトが、突然足を止めた。なぜか恐ろしいものでも見るように目を見開き、私の方を振り向く。間抜けにもその口が驚愕に開かれている。
その正面にいたルイズィトも、火を消すのを忘れて私を凝視した。
二人とも、なぜか物凄い形相で、こっちを見ているのだ。
私がルイズィトのもとにたどり着くより先に、彼はこちらへ走りだした。その勢いで服についた火がようやく消えたが、袖から黒い煙がまだ上がっている。
ルイズィトは私の目の前まで来ると、私を怒鳴りつけた。
「ばかな!!」
どうしてここで私が罵られるのか、分からない。訳がわからず見上げる私に、ルイズィトが掴みかかってくる。
彼は私の両肩に手を押し当て、そのまま猛烈な力で私を押し始めた。
(何、何するの!?)
倒れまいと両足で踏ん張るが、物凄い力で押してくるので、耐えられない。掴まれた肩から押し倒されるようにして、体勢が崩れる。
頭がごつんと床にぶつかり、頭の中に星が散る。
「やめて、何…」
私の抗議は一切無視された。
ルイズィトは私を石の床に押し倒した上、さらに半ばのしかかってきた。その猛然とした力に、全く抵抗できない。
「動くな! 動かないでくれ!!」
なぜかその声が震えている。ルイズィトを襲っていたガル=アルトが近くにいるのに、彼に背を向けてなぜ私を倒すのか。
ルイズィトは渾身の力で私の左腕を掴み、それを持ち上げようとしている。なぜか彼は必死の形相で、あろうことかその両眼には涙が滲んでいる。
あの涙は、なんだろう。
怯えたような引きつる頬は、一体何に?
ーーそして、私はルイズィトの恐怖の理由を、理解した。
煙幕のような白い煙が、視界に入った。私の左手首からゆらゆらと立ち込めている。
その煙の出所である手首は、指先まで真っ白に凍り付いていた。
既に全く感覚がなく、動かせないことに気がつく。
煙は手首から上るように腕から肩へと広がり、そこを氷へと変えていく。
全身が凍り始めているんだ、とやっと理解する。
ルイズィトは少しでも煙の動きを抑えようと、自分の長いローブを引き裂いて私の左腕に必死に巻きつけていた。でも、もはや全身をめぐる血すら、今や刺すように冷たい。
この状況を考えれば、それが意味をなすとは思えない。
(ああ、やっちゃった。ガル=アルトの名前を口にしちゃった……)
腕輪の魔術が発動し、私は……。
ひどく頭が痛み、意識が曖昧になりはじめる。体の中の血が凍りつき、巡らなくなってきたのだろう。
首すら動かせなくなって来たから、まもなく心臓も止まるんだろう。
そういえば、ヒロインが姉を庇ってこんな風にラストで凍っちゃうアニメがあったな……、なんてことを朦朧とする頭の片隅で思い出す。
「ベル! 今すぐ治癒術をするから、目を閉じるな! ベル。ベル!!」
ルイズィトが叫んでいる。視界の端に、王太子が剣を持ったのが見えた。
あれは多分、ガル=アルトの持っていた剣だ。彼も私の状態に驚きすぎで、うっかり落としたらしい。
私を覗き込もうとする涙目のガル=アルト。なんでお前が泣く。泣きたいのはこっちだ。
そのガル=アルトを、王太子がその剣で背後から貫いたのが見えた。
皆が叫んでいる。でも、一切の声が遠のいていく。
やっと到着したのか、途切れ途切れにサラの声も聞こえる。
そうして最後に私はハッキリと聞いた。サラが悲鳴をあげたのを。
「嘘やん! なんで魔王がここにおるん!?」
遅まきながら、分かった。
ガル=アルトは、魔王だった。




