86話 公爵へのお手紙
「アスタキシア嬢はすぐに寝てしまったようだね」
「そうですねえ。わたしと一緒の部屋だから、最初はぶうぶう言ってたんですけど、ベッドに乗ったらすぐに夢の中でした! 危うく、抱き枕にされちゃうところでしたよー」
「ほう、抱き枕とは、時折賢者諸氏が使っているという、抱いて眠る枕のことかね。存在意義が分からない」
「なんていうかですね、師匠も使ってるんですけど、眠りの質がよくなるんだそうです」
「トラボー殿が! 意外だ……」
「自作のすごい枕を使ってますよ」
そのような会話をしつつ、今は開拓地の夜の時間。
私の執務室には、騎士の代表が待っていた。
明らかに焦った顔をしている。
「ビブリオス準男爵。我々も、手ぶらで帰ることはできないのです。六女とは言え、公爵令嬢をお連れしてこちらからの返答がお断りでは、公爵家の面子が丸つぶれです」
「だから、私は公爵家と繋がりを作ることなど求めていないと言っているだろう」
「普通、そんな返答は想定していません……!」
「どうしてなのかね?」
「貴族はそういうものだからです! 何よりも、面子を重んじるのですよ」
私はよく分からなかったので、首を傾げつつ席に着いた。
隣にはナオ用の藁クッションがついた椅子があり、彼女はそこにすっぽり納まる。
「私は実利主義だ。だが、貴族と繋がることで得られる利益は、この開拓地にとって毒となりうると判断したのだよ。それゆえのお断りだ」
「しかし、公爵家と繋がりを持てば、金銭的な援助や貴族間でのあなたの発言力も増します」
「その代わり、私には首輪が付けられる事になる。スポンサーに縛られて、好きな研究もできなくなるのはごめんだということだよ。幸い、今の国王陛下は学術への理解がおありだ。研究に必要なだけの費用はいただけることだろう」
「再度……申し上げます。サッカイサモン公爵の誘いを無下にするということは、王国中の貴族を敵に回すことになるのですよ……!」
「であれば、我が開拓地で得られた研究の成果や知識は、それらの貴族が抱える土地にはもたらされないということだ」
目の前の騎士が、剣呑な雰囲気を匂わせてきた。
腰には剣を佩いている。
私を斬るつもりかな?
「先輩」
ナオは手の中に、陶器の人形を握り締めている。
いつでもゴーレムを発動できるということだろう。
「必要ないよ。マルコシアス、質問がある」
『待っていたぞ』
突如、私と騎士の間に、翼を持つ魔狼が出現した。
「うおおっ!!」
騎士は驚き、咄嗟に剣を抜いてしまった。
じろりとマルコシアスが彼を睨む。
『それがお前の質問か』
ワイルドエルフたちが、手も足も出なかった恐るべき悪魔。
それがマルコシアスだ。
騎士がどれだけの腕前を持っていようと、太刀打ちできるものではない。
「マルコシアス、質問は私からだ」
『よし、早くせよ』
魔狼は私に振り返り、尻尾をぶんぶんと振った。
この、喜んでいる犬めいた仕草に、ナオがにこにこする。
「サッカイサモン公爵が私に嫁がせようと、令嬢をよこした。彼女と結婚するべきかね?」
『その質問に答えよう。すべきではない』
即座に応じると、マルコシアスは満足したらしく、ぺろりと自分の鼻の頭を舐めた。
「ということだ。悪魔の返答も私と同じらしい。どうかね?」
「悪魔マルコシアスがそう答えた……。り、了解しました。自分が間違いなく、その言葉は聞き届けました。これを公爵にお伝えします。ですが、せめて準男爵からも書状を……」
「手紙が必要かね。面倒だなあ……。形式的な言葉遣いなど私は知らないぞ」
「じゃあ、アスタキシアさんに手伝ってもらいましょう!」
ナオがとてもいいアイディアを出してきた。
素晴らしい、まさしくそれだ。
「そうしよう! 彼女なら貴族としての教育を受けているから、手紙の書き方にも詳しいに違いない!」
「えっ、婚約をお断りする手紙を本人に代筆させるんですか!?」
騎士が驚きの声を上げたのだった。
翌日。
結局、ナオはベッドに戻った所、アスタキシア嬢に抱き枕にされてしまったらしい。
「とてもふかふかしていて、寝心地抜群でしたわ……! あんな粗末な藁のベッドなのに。今まででも最高の寝心地なんて悔しい……!」
「アスタキシアさんはいい匂いがするので、これはこれでよかったです」
ナオもまんざらでも無さそうである。
「ふかふか……」
「ふかふか……」
「ふかふか……」
「ふかふか……」
集まった、ナオの仲間の女子たち四名、何か情景を想像しているようだ。
こうして見ると、シーアもカレラもサニーもアマーリアも、似たような感じだな。
ちなみに、ここに彼女たちが集まっているのには理由がある。
手紙の文面のチェック担当はアスタキシア嬢。
書くのは、意外にも字が上手いという特技を持ったアマーリア。
サニーは、神殿で文書の管理もやったことがあるそうで、そちら方面からのアドバイザー。
カレラには手紙の作法などを覚えてもらう必要があるので、同席。
「なぜ俺が呼ばれている……?」
「トーガは私の護衛だよ。滞在している騎士たちは、アスタキシア嬢の護衛ではあるが、その本質はサッカイサモン公爵の私兵だ。かの公爵の意に沿わぬ私を、手に掛けようとする可能性もないではない」
「ああ、それか。昨夜、お前の家の周りを奴らが囲んでいたから、軽く撫でてやったぞ。魔法の心得すらない人間など、相手にもならん」
「なんと、既に仕事を終えていたとは……」
「ふん、俺を見くびるなよ? 常にお前の身辺には目を光らせているからな」
ふと気付くと、女子たちが私とトーガを見ている。
「どうしたのかね?」
「なんでもないですよ、先輩!」
ナオがとてもいい笑顔で返答した。
他の女子たちが、ナオによからぬことを教えているのではあるまいか。
心配だ。
かくして、手紙の作成が始まる。
周囲からの期待の目を受けて、アスタキシアが腕まくりする。
「よくご覧になるといいですわ。まず、最初の一文はこう。時候の挨拶を入れ、当たり障りなく始めますの。サッカイサモン公爵領の気候を考えて、今ならば向こうは夏が来る頃合いですから……。“日に日に初夏の日差しが強くなる今日このごろ、お体など崩されてはおりませんでしょうか”」
「おおー」
我々はどよめいた。
未知のテクニックである。
人と人との、腹芸でのやりとりを始めるため、最初の一文を、毒にも薬にもならぬ言葉で飾るのだ。
私には無い発想だった。
だが、こうして意味合いを説明されると腑に落ちる。
アスタキシアが書いてみせたものを、アマーリアが清書する。
公爵令嬢の筆致では、向こうにばれてしまう可能性があるからだ。
何しろ、紋章鑑定の専門家である紋章官に似て、文章鑑定の専門家がいてもおかしくはない。
アスタキシア嬢は、嬉々として自分の婚約願いを破棄する文章を考え出していった。
あらかじめ彼女に渡しているのは、手紙全体ではこのような意味になるようにしてくれというメモである。
これを彼女なりに解釈して、文面を作っていく。
なるほど、アスタキシア嬢の専門分野は文章なのである。
公爵令嬢にしておくのが惜しい。
そして我が開拓地の全力で書かれた公爵への手紙が完成した。
私は手紙の良し悪しは分からないが、一通り目を通してみて、私が言いたかったことが不足なく盛り込まれている事が分かる。
いや、内容も少し盛られている……?
学問に於いて、内容を盛ることは禁じ手である。
事実をそのまま正確に書くべきなのだ。
だが、手紙だからな。
こういう作法かもしれない。
特に最後の、“アスタキシア殿はサッカイサモン家よりの大使としてビブリオス準男爵領に”というのは私が考えたこともない記述である。
「ビブリオス準男爵のメモにこういう意味合いの事が書いてありましたわよ」
「ふむ、そうだったか? そうだったかも知れない……」
そんな気がしてきた。
手紙は正式な作法を以て、蝋で封をされる。
これに押し付ける印は作っていなかったので、この場でサニーに作ってもらった。
「な、なんでまた私なんですかー!! ひぃー、よりによって公爵家に提出する印を私が彫ることになるなんて……!」
ぐにゃりと不思議にうねった、味のある印である。
これは偽造はできまい。
まさに神がかりな造形だ。
多分、無意識の内に魔法的な効果まで付与されていそうな……。
手紙は騎士に手渡され、彼らは令嬢の世話役であるごく一部の者を残して開拓地を離れていった。
公爵領と我が開拓地は、人の足で片道三週間ほどの距離がある。
返答があるのはしばらく後であろう。




