142話 泳がない賢者たち
オーラスの提案で、海で泳ぐという行為をしてみることになった。
確かに、シサイド王国と言えば海水浴と言われるほど、海での遊びは一般的である。
私も泳ぐことに抵抗はない。
フィールドワークの際、水辺に住む生き物を調査することもあったのだ。
その際に、足を滑らせて川に落ちたこともある。そんなこともあろうかと、私は泳ぎをマスターしていた。
「しかし、この水着というのはどうなのかね」
「むむう、準男爵、なかなかいい体をしてますな」
オーラス将軍が唸った。
「賢者出身と言うから、もっとひょろっとしているかと思ったのですが」
「私は野に出て研究することも多いからね。それに、常に運んでいる研究道具は重いのだよ。自然と体も鍛えられるというものさ」
「ははあ、この筋肉の盛り上がりは自然に鍛えられたものですか……。なるほど、いい肉付きだ。ちょっと触っても?」
「構わないよ。だが私は大変なくすぐったがりなので、慎重にやってもらいたい」
「おお、了解です。では失礼して……。ほう……ほうほう……むむむう!! これは凄い……。実用的な筋肉だ……」
「オーラス将軍、大変くすぐったいのだが」
そんな事をやっていると、ナオも着替え終わって出てきたようだ。
私にオーラスがペタペタ触っているのを見たようで、後ろから大きな声が聞こえた。
「ああーっ! ずるいです! 先輩にペタペタ触るの、わたしもやりますー!!」
ばたばたと砂浜を走ってくる音がして、振り返るよりも早く、背中に思い切りタッチされた。
「おおー。普段からおんぶされてますけど、こうして裸を見ると、先輩の背中はひろーい」
その後、柔らかいものがくっつく気配がしたので、ナオが抱きついたのであろう。
「ナオ、くっついていては泳げないのでは?」
「あっ、そうでした! おもわず!」
柔らかいものが離れた。
一部分に限らず、ナオは割とどこもかしこも柔らかい人なのである。
かくして、白いものがとことこと目の前に現れた。
水着に身を包んだナオである。
真っ白い生地の、これはなんというのかな?
ワンピースの水着?
「おっふ」
オーラスが変な声をあげた。
「す……すごいですな」
どこを見ているのか。
「おい、お前たち近寄ってくるな! 護衛に戻れ!」
「そんなあ」
「俺たちにも準男爵夫人を拝ませて下さい!」
「遠くから見ても凄いのが分かるじゃないですか!」
「あ、俺は準男爵の肉体の方が好み……」
「えっ!?」
これは、我々の護衛に呼ばれた、シサイド軍兵士たちのものである。
彼らも水着に、前が開いた上着を羽織り、砂浜のあちこちに立っている。
「おしごと、おつかれさまでーす!」
ナオが彼らに手をふると、兵士たちは一斉に笑顔になり、手を振り返した。
「諸君、お勤めご苦労さま」
私もナオに倣い、彼らをねぎらう。
何人かの兵士が、大変な笑顔で手を振り返してきた。
友好的なのは良いことだ。
さて、それでは泳ぐとするか。
ナオを連れ立って波打ち際までやってくる。
「こうして裸足で踏みしめると、きめ細かい砂の質感がよく分かるな」
「うひゃー」
ナオが不思議な悲鳴を上げた。
「どうしたね?」
「せ、先輩! 足の下の砂が、波に持ってかれちゃいます!」
「なんと? ふむ……。おおっ。おおおっ! 確かに」
これは面白い感触だ。
二人で波打ち際に立って、足の裏の感触を楽しむ。
どんどん砂が減っていく。
『ピャアー』
ディーンの声がした。
波がやって来ないところで、マルコシアスと遊んでいるようだ。
砂で山を作っているのか、無邪気である。
「マルコシアスがディーンを見ていてくれるようだ。我々はもっと、挑戦的なことをしてもいいのでは?」
「挑戦的! 心躍るひびきですね! なにをするんですか?」
「波打ち際の生物を掘り出す……!」
「あっ、なるほどー!」
ナオが手を打った。
遠くから、オーラスと兵士たちが「泳がないのかよ!」とか言っていた気がする。
さて、研究用具を取り出して、じっくり波打ち際を掘り返すか……、と私が構えた時。
兵士たちが走ってきて、何やら平たくて大きな物を、ナオに手渡した。
「わー、おっきい! あれ? かるい!」
「準男爵夫人! 我々からプレゼントです! 上に乗れる浮き袋です!」
「近くで見るとすげえ」
どうやら、彼らからの厚意のようだ。
海で遊ぶものかな?
大きいが、スーパーベビー級の腕力であるナオが持ち上げられるのだから、軽いのであろう。
いや、ナオも研究道具を持ち運んだりはするから、いわゆる貴族の女性などよりはずっと力があるのだろうが。
「先輩、先輩!! これ、もらっちゃいました!!」
「ああ、良かったじゃないか。諸君、ありがとう」
「どういたしまして準男爵! 我々も良い物を見せていただきました!」
「近くで見るとすげえ」
誰か、本心がだだ漏れな者がいるな。
さて、せっかく浮き袋をもらったのだ。
波に浮かべて、我々も乗ってみるとしよう。
ナオが、「えーいっ」と気合を込めて浮き袋を投げる。
だが、全然飛ばずに波打ち際にポトッと落ちた。
「あーん、思ったよりも重いです!」
「ナオ、そもそも我々が乗るのだから、投げてしまってはいけないのでは? 任せたまえ」
私は浮き袋を担ぎ上げると、水の中へと進んでいく。
「さすが先輩! パワフルです!」
ナオもあとに付いてきた。
さて、腰までの高さになったところで、浮き袋を水の上に置く。
ほう……。ぷかぷかと浮いている。
「ひえーっ、ふかーい!」
おっと、ナオには胸の下までの深さだ。
振り返ると、彼女が私に近づこうと、波に逆らって歩いているところだった。
「ナオ、泳げばいいのだよ」
「泳げません!」
「そうだったか……!!」
これは私の不覚である。
深いところまで彼女が来るのは危険である。
私はナオの両脇に手を差し入れると、
「きゃっ、くすぐったいです!」
ひょいっと持ち上げた。
彼女を浮き袋の上に座らせる。
ほう……。
ナオが乗ってもなんともない。素晴らしい浮力だ。
「きゃー、これ面白いです! なんだかぷかぷか、ふわふわしますよ! 先輩も乗りましょう!」
「よし」
私も浮き袋に足を掛けて、乗り込もうとした。
この時、私は浮かれていたのだろう。
ナオと私の体重差を考えていなかった。
彼女よりもずっと重い私が乗ろうとしたことで、浮き袋のバランスが崩れ……。
「ひゃーっ」
浮き袋がひっくり返った。
ナオは水の中である。
「むむっ!」
私は素早くナオを助けようとする。
だが、ナオは既に、水面に浮かんでいた。
「わーっ、海の水って簡単に浮くんですねえ」
のんきな事を言っている。
「君が特別浮かびやすいのかもしれないな。脂肪は比重が軽いからね」
「な、な、なんですとー! わたし、ギリギリ太ってはいないです! えっと、こっちに来てから食事が美味しくて、いつもお腹いっぱい食べてますけど!!」
「なに、脂肪を蓄えるのは生物として当然のことだ。ホムンクルスであった君がその機能を備えているということは、ナオが人という生物に近づいているという証拠でもあるのさ。さあ、せっかく水に浮かんだのなら、ここで泳ぎの練習でもしないかね? 私が激しい渓流にも負けず、岸にたどり着くための泳ぎを伝授しよう……!」
「な、なんとー! 先輩の秘伝ですね! やります!」
やる気充分。
仰向けにプカプカ浮かびながら、鼻息を荒くするナオだった。
だが、ここまで水に浮くのなら、私の泳ぎ方をしてもすぐ流されていってしまうのでは……?
ナオにマッチした泳ぎ方というものを開発せねばならないかも知れない。
これも、シサイド王国滞在中の課題であろう。
波に流されそうになるナオの足を掴んで固定しながら、私は考えるのだった。