日常に現れた転校生
「いってきます」
玄関のドアを開けて外に出る。六月のまだ肌寒い風が部屋に舞い込んだ。
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
妹の桃華の声を背に受けつつ、ドアを閉めてマンションのエレベーターへと向かう。
途中、住人たちとすれ違ったので軽く会釈した。
暦の上ではすでに夏に突入している。それに、昨今の異常気象や気候変動から考えても、今年の夏はきっと例年通り、期待に反して易々と最高気温を更新することだろう。テレビの向こうの有識者の貴重なご意見を参考にするまでもなく、あと一月後には暑さでへばっている自分の情けない姿が、容易に想像がつく。いつ頃からエアコンをつけるべきか迷う、今日この頃だ。
何度経験しても、相変わらず毎年同じことの繰り返し。一向に、夏の暑さには慣れない。
……だから、早めの暑さ対策なのだろう。会釈して、返ってくるその視線の温度が、空調の冷気のように涼しいのは。ひんやりと冷たいのは。まさに生活の知恵。
……関わりを避けるようにフイと逸らされる目にはもう、慣れたものだ。
「おっはよう、薫ちゃん! 今日もイカしてるね~、その真っ赤っかヘアー」
学校に到着した俺は、玄関で上履きに履き替えて教室へと向かう。その途中、会って早々俺の頭を見て、指を差してケラケラしているこいつは杉原菜月。ブラウン色の明るいボブヘア。幼い頃と変わらない整った顔立ちに栗色の大きな瞳。いつの間にか化粧を覚え、年相応にお洒落になった彼女は小学生の頃からの腐れ縁で、俗にいう幼馴染だ。別に家が隣同士というわけではないがそれなりに近く、今でも偶にうちを訪れ、不登校となってしまった妹の話し相手をしてくれるお人好しだ。
中学の頃に髪を赤く染め、すっかり周囲から煙たがられるようになってしまった俺にも臆することなく、昔と同じように接してくれる彼女には感謝している。
「まあな。お前と桃華だけだぞ、分かってくれるのは。こんなにお洒落なのにな?」
俺がいつもの調子でそう返すと、菜月は「ね~。センスがないよね!」と、どちらのことを言っているのか分からないちょっと気になる言い方で言って、何が面白いのか上機嫌に笑った。
二人で廊下を歩いて教室へと向かう。俺たち二年四組の教室は二階だ。
「あっ、そういえばもう聞いた? 今日、新しく転校生がくるんだって。トモちゃんがこの前、職員室で他校の制服着てる子を見たらしくて、すっごい美人だったって言ってたよ!」
肩を並べて廊下を歩く道すがら。ふと思い出したようにそう言って、わくわくを隠しきれないとばかりに、両手を胸の前で握る菜月。身長差があるため上目遣いの形だ。
菜月の言う「トモちゃん」とは、中学時代からの菜月の親友である古谷友美のことだ。この赤い髪のおかげでいろいろと面倒な噂がたった俺は基本、菜月以外からは煙たがられているため、彼女との面識はあまりない。初対面でいきなり「菜月に近づかないで、この不良!」と釘を刺されたからな。お互いにあまり進んで会いたい間柄ではない。
「へえ、そうなのか。それは楽しみだな」
興奮気味に詰め寄ってくる幼馴染をいなしつつ、素直な感想を口にする。
「だよねっ、私もすっごく楽しみ! 私、可愛い子大好きだから!」
俺の返答がお気に召したのか、フンスフンスと鼻息荒く上機嫌に笑う菜月。
「相変わらずだな。……お前は女に生まれたことを感謝した方がいいぞ。今でこそ皆さんドン引きで済ませてくれているが、お前がもし男だったら問答無用で通報されてる。……今でもわりとギリギリだけどな」
そう。何を隠そうこの幼馴染、美女と美少女に目が無い変態なのだ。
席替えで隣になった古谷が美少女すぎて、思わず抱き着いてしまったのだという馴れ初め話には、付き合いの長い俺も流石にドン引きした。
「そりゃそうだよ! 綺麗なものはみんな好きでしょ? ただちょっと、私はそれが我慢できないだけだよ」
そう言って、「たはは」と手を後頭部に当てて笑う菜月。
「それでも限度があるって話だ。……それにしても転校生か。こんな時期に珍しいな」
今は六月。二年に上がって約二カ月が経過している。そういうのは学期始めにくるものだと思っていたが。
「確かにねえ。まあ私はそんなことより、どうやってお近づきになろうか楽しみだけど!」
俺の疑問を華麗に無視して、菜月は楽しそうに言う。
「お前らしいな。……ま、頑張れよ」
ちょうど教室の前に着いたので、別々に入るため一度その場で立ち止まった。
「ん、それじゃね」
手を上げて、友人たちの下へと駆けていく菜月。その背中を見送って、少し時間を置いて俺も教室のドアをくぐった。入室してすぐ、一瞬菜月たちの方に視線を向けた拍子、目が合った古谷さんが険しい顔つきになったので、さっと視線を逸らしてそそくさと席に着く。
一番後ろの窓際の席。ふと隣に目をやると、見慣れない机が一席あった。転校生のものだろうか。
ガラッ
「おはよう諸君! 今日もいい朝だな」
朝のホームルーム開始のチャイムが鳴ると同時、担任の安桜先生が血色いい顔で入って来た。
「では日直、号令を頼む」
朝から凛々しい声で教室全体に挨拶した先生は、生徒たちが全員着席したことを確認した後、今日の日直である男子生徒に指示を出す。先生に言われ、黒板隅の日直のプレートの下に自分の名前を確認した彼は、慌てた様子で号令をかけた。
それにしても。先生は黒板の名前を一瞥すらしなかったので、事前に今日の日直の名前まで把握していたようだ。そういうことを平然とやってのける安桜先生は、長身でモデル体型のからりとした美人ということも相まって、学校中の生徒から慕われている。若干男勝りな荒々しい言動ではあるが、それもまた親しみやすいという美点になってしまうのだから、学校の恥部である俺としては羨ましい限りだ。
起立し、言っているのかいないのか分からない適当な挨拶を終えた後。いつもであれば先生が一言二言今日の用事やらを伝えて終了となるのだが、今日は少し様子が違う。
先生は生徒たちが何となくそれを察してソワソワしている様子を微笑まし気に眺めた後、
「既に知っている者も多いかもしれないが、今日から新たに一人、このクラスに加わる生徒がいる。天ノ目さん、入りたまえ」
安桜先生がそう指示を出すと、教卓に近い側の教室のドアが開き、一人の女子生徒が入ってきた。
『――っ』
彼女を一目見て、教室の誰もが息を呑む音が聞こえた。
背中まである真っ黒で艶やかな髪に見惚れてしまうほど整った顔立ち。背丈は菜月より少し高いくらいだろうか。全体的にやや細い印象を受けるが、花顔柳腰。羞月閉花。沈魚落鴈。それらの言葉が驚くほどにしっくりくる美少女だった。見れば、美少女大好き幼馴染の菜月は感動で目を潤ませている。……気持ちは分かるが教室の真ん中で泣くんじゃない。周りの連中が驚いてるだろ。
「本来なら二年の進級と同時に転入する予定だったのだが、事情があって少し遅れることになってしまった。隣の県から越してきたばかりでいろいろと困ることも多いと思うので、みんな手伝ってやってほしい。では天ノ目、自己紹介を」
先生に促され、天ノ目と呼ばれた彼女はチョークを黒板に這わせながら自己紹介する。
「陽明高校から来ました。天ノ目紗月です。分からないことばかりでご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、気軽に話しかけてくれたら嬉しいです」
お手本のような自己紹介だった。黒板に書かれた字も生徒が書いたとは思えないくらい大きすぎず小さすぎず、ちょうどよい大きさで美しい字だった。ただ一つ気になったのは、彼女が使用したチョークは黄色のものだったため、黒板に書かれた彼女の名前もまた黄色であったということくらいだ。おそらく、たまたま手に取ったものがその色だったのだろう。
「いろいろと質問などもあるとは思うが、くれぐれも天ノ目をあまり困らせないように」
天ノ目の自己紹介の後、口々に騒ぎ始める生徒たちを静めつつしっかりと釘を刺す先生。興奮気味だった生徒たちが落ち着きを取り戻すのが分かった。
「それではこれでホームルームを終了する。……天ノ目、君の席は一番後ろの……あの妙に堂々とした校則違反の、赤い髪の生徒の隣だ。あんな感じだが、何かあれば頼るといい」
先生の言葉にクラスメイトたちの視線が一斉に俺とその隣の空席に向けられる。しかしほとんどの生徒が俺と目が合うとサッと視線を逸らす。菜月だけはニコニコと上機嫌に笑っていた。そしてもう一人、俺と目が合っても視線を逸らさない天ノ目は、俺の隣の席を見た後、じいーっと観察するように俺を見ていた。というか、あんな感じってどんな感じだ? こんな感じか?
「日直、号令を頼む」
天ノ目が俺の方に視線を向けていることを確認した先生は、少し間を置いた後、さっきの日直に指示を出す。
号令が終了すると、教卓の方で何事か先生と話し終えた天ノ目が、席に着こうと俺の隣の席へと歩いてきた。
「天ノ目紗月といいます。どうぞよろしくお願いします」
席に着く前、そう言って俺に会釈した天ノ目。この前席替えをしたばかりだが、所詮は数週間のあいだ席が隣というだけ。そこまで丁寧にする必要もないだろう。
そう思っていたが、天ノ目のその探るような視線を見て、そういえば彼女にとってはこれがこの学校の生徒との初めて、若しくはそれに近い会話なのだということに気づいた。初めての環境で必要以上に気を遣ってしまう気持ちは、分からないわけではない。クラスメイト達はその相手が俺だということで、彼女を気の毒そうに見ている。
「ああ。……一色薫だ。あまり俺と関わらない方がいいとは思うが、まあ頑張れ」
俺の若干突き放すような挨拶に、目の前の天ノ目も困ったように目をぱちぱちさせていた。
「え、ええと。はい、頑張ります……?」
そんな俺にも愛想よく微笑みを向けてくれるのだから、ますます罪悪感は募るばかりだ。
それに俺は「ああ」と短い返事を返し、席を立つ。俺がいると他のクラスメイト達が近づき辛いだろう。菜月はニコニコ顔でこちらに近づいてきていたが、それは無視だ。
教室のドアを開けて外に出た直後、扉を閉め終わる前にちらりと天ノ目の方に目を向けると、既に彼女の周囲には大勢の生徒達が集まっていた。見た限りでは女子が大多数だ。お近づきになりたい男子生徒が多々いることは間違いないが、あれほどの美人となると躊躇うらしい。
どちらにせよ、言葉通り深く関わるつもりもない。向こうだって俺なんかと関わり合いたいとは思わないだろう。まさにウィンウィンの関係ってやつだ。ルーズルーズかもしれない。
「一色」
そんなことを考えながら廊下に出た俺に、ふいに声がかけられた。
呼ばれて声の方を振り返ると、先ほど教室から出て行ったばかりの安桜先生が廊下の壁に背を預け、腕を組んで佇んでいた。まるで映画のワンシーンのようだ。
「先生。……なに勝手なこと言ってくれてんですか。ああいうの、けっこう気まずいんですよ?」
一年の時にも担任だった先生は何かと俺のことを気にかけてくれていて、こうして気安い口調で話す程度には知った仲だ。さっきのようなお節介には迷惑しているが。
「まったく。それでもうほっぽりだしてきたのか? 君はもう少し情のある男だと思っていたんだがな」
呆れたように言って軽口を叩く先生。
「ほっぽりだしたって……。むしろ俺がいた方があいつに迷惑ですよ。それにあいつだったら、きっとどうとでもなりますよ」
別に情がないと言われたことを否定したいわけではないが、この先生は何かと俺を買いかぶりすぎている節がある。無理に俺と関わりを持たせてしまうのは、天ノ目に迷惑だ。
「ふふ、まあ今はそうだろうな。けれど、君は必ず彼女と関わるようになるよ。君が髪を赤く染めた理由を考えれば、君はきっと彼女と関わらざるを得ない」
「――ッ! ……あまりその話はしないでくださいと伝えたはずです。それに、言っている意味が分かりませんよ」
触れられたくない話題に、ついきつい言葉を返してしまった。そんな俺の様子に一瞬はっとした表情を浮かべた先生は、自分の失言を恥じるように謝罪の言葉を口にする。
「……すまない、少し配慮に欠けていた。軽率に扱ったつもりはないんだ。不快な思いをさせてしまったなら悪かった」
それから、先生は預けていた姿勢を正して、いつになく真剣な表情で言った。
「なあ、頼むよ一色? もう少しだけ、彼女のことを気にかけてやっていてくれないか? 別に深く関われとか、世話を焼けというわけではない。ただ少し注意して見ていてもらえるだけでいい。頼むよ、一色」
信頼してくれているのだと分かる、真剣さの中にも親しさが込められた優しい目だ。
ずるいな。そんな風に頼まれてしまっては、大恩ある身としては断ることなどできない。
「……まあ、気にするだけでいいんなら」
根負けした俺は、先生から目を逸らしつつ承諾の返答をする。
別に関わらないでいいというのなら何の問題もない。俺がストーカー扱いされないかという問題はあるが、それは腕の見せ所だ。……自信があるわけではない。
「ああ、よろしく頼んだぞ、一色!」
そんな俺の返事に満足したのか、先生はニカッといつもの凛々しい笑みを浮かべると、どこか安心したような表情でそう言って、いつものように迷いのない足取りで去って行った。
「……いてえ」
その背中を見送りつつ、去り際に勢いよくバシンッと叩かれた背中をさする。
どちらにしても、俺が何をしてやれるわけでもない。
*
キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン
一限目を知らせるチャイムを最後まで聞き終えた俺は教室に入る。慌ただしく椅子を引く音が聞こえていたが、その頃にはもうほとんどの生徒が自席に戻っていた。
早く席に着けという数学教師のやる気のない注意を聞き流しつつ着席し、『数学Ⅱ』と書かれた教科書を机から引っ張り出す。ふと気になって隣を見ると、天ノ目の机の上にも数Ⅱの教科書はあった。しかしそれは俺たちの使っているものとは若干異なる装丁のものだ。
「ああ、転入生――天ノ目の教科書はまだ揃っていないんだったな。来週には揃うと思うが、今週は悪いが隣の席の奴にでも見せてもらってくれ」
そんな数学教師の無責任な言葉にも「はい、分かりました」と丁寧に返した天ノ目は、申し訳なさそうに、遠慮がちにこちらに身体を向けてくる。
クラスメイト達は皆一様にこちらに視線を向けようとしたが、その前に教師が「はいはい、とりあえず授業を始めるぞ」とさっそく黒板に授業内容を板書し始めたため、書き写すのに必死でそれどころではなくなったようだ。
一方、もちろん現在進行形で天ノ目から視線を向けられている俺はとても困っていた。先ほどの挨拶であんなことを言った俺に遠慮しているのか、天ノ目は自分から席を近づけようとはしてこない。……これは俺の方からいくべきだろうか。
「そっちにくっつけてもいいか?」
もたもたしていては授業がどんどんと進んでしまうので、俺はそう言って、返事を待たず机を動かす。
「は、はい。ありがとうございます」
俺の言葉が意外だったのか、いいか?と聞いたくせに許可を得る前に実行していることに驚いたのかは分からないが、天ノ目は一瞬目を丸くして、すぐに慌てて机の上を片づけ礼を言う。
「……気にするな」
極力少ない言葉で、しかしできるだけ不愛想になりすぎないよう気を配ったつもりだ。
机をくっつけ天ノ目が見やすいように教科書を差し出す。俺が見づらくなることを気にした様子だったが、必要ないと伝えるため無視した。
視線を教卓に向け、遅れを巻き返すため急いでノートをとる。いつもより少し雑になってしまうが許容範囲だ。
そんな俺の様子を見て、天ノ目も自分の作業を開始する。授業内容が新しい範囲に突入したこともあり、授業に集中していたため、お互い必要以上に相手を気にすることはなかった。
*
キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン
授業終了を知らせるチャイムが鳴り、一・二時間目が終了。
「どうもありがとうございました」
号令が終わり少しして、先生が文字を消し終える寸前にノートを取り終えた天ノ目は、思い出したようにそう言って、俺に教科書を渡してくる。
「ああ。……面倒だから席このままでいいか?」
それを受け取りつつ尋ねと、一瞬何のことだか分からない様子だった天ノ目だが、今くっつけている席のことだと気づき、
「はい、お願いします。すみません、ご迷惑をおかけして」
承諾した後、申し訳なさげにそう言って、曖昧に笑みを作った。
彼女からは言い出しづらいだろうと思い、俺の方から提案してみたのだが、その気遣いは正しかったと見ていいだろう。
「気にするな。……やっぱりお前、几帳面なんだな」
「はい?」
脈絡のない俺の言葉に、困ったように首を傾げる天ノ目。
二時限目と三時限目の間の休み時間はわずか五分。天ノ目の下に集まってもろくに話せる時間もないだろうと思い、俺は席を立たずに次の授業が始まるのを待つことにした。別に話をする必要もないのだが、あまりにも不愛想でよく知りもしない相手に借りを作るのは、天ノ目にとってストレスに感じるかもしれない。
そう思い、適当に話題を振ってみたのだが、なかなかコミュニケーションとは難しいものだ。
「その色ペンとか、ちゃんと一本一本に何色なのか書いたシールを貼っていたり、物ができるだけ重ならないように整理していたり。かなり几帳面なのかと思ったんだが……違ったか?」
天ノ目の机の上に並べられている筆記用具を指さして言う。
「いえ、まあ、そうですね。こうしておいた方が効率的ですから」
天ノ目は少し困ったような様子でそう言って、曖昧に笑った。
「確かにな。……でもお前、意外とこだわりも強いんだな」
「? なんのことですか?」
次なる話題をすかさず提供する。なかなか俺もつかんできたぞ。
「だって、せっかく効率的にするためにわざわざカラーペンにシールまで貼っているのに、前で先生が使っていた色とお前がノートに同じところを書き写していた色が違っていたから、お前の中で何か決まりでもあるのかと思って」
たしか集中力を上げる色は青色だったか。そういう話を聞いたことがあったので、てっきりそういう理由なのかと思ったが。
「ああ、いえ、同じ色のペンが手持ちになかったので違うものを使用しただけです。私自身にそういったこだわりは特にありません」
「そうだったのか。適当なことを言って悪かった」
「いえ。……それにしても凄い観察眼ですね。そんなに細かなところまで見られているとは思いませんでした」
天ノ目は感心したようにそう言って、貼り付けた様な笑顔を浮かべる。これは……
「いや、たまたま目に入ったから気になっただけだ。あまりジロジロ見ていたつもりはないが……不快に感じさせてしまったなら悪かった」
先生にできるだけ見ていてやってほしいなんて言われたので、少し意識して観察していたが、ストーカー扱いされるのはごめんだ。
「あっ、い、いえ、そういう意味で言ったわけではありません。純粋に驚いたというか感心したというか。ですので、その」
困ったように、慌てたように言う天ノ目。どうやら別に責められているわけではないようだ。
「そうか。嫌われたわけじゃなくて何よりだ」
適当言いつつ時計をみると、あと少しで三時限目が始まる。
俺はそれだけ言って机の中から英語の教科書を取り出し、先ほどと同様、天ノ目が見やすい位置に置いた。
「あ、ありがとうございます」
「……いや、どうせ今週中はずっとこうなんだ。一々礼なんて言わなくていいから」
毎時間毎時間礼を言われていては気恥ずかしいし、いい加減面倒だ。
「は、はい。……すみません」
なぜ謝られたのか分からないが、これ以上の馴れ合いは不要だろう。
キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン
俺がそう判断し姿勢を正して前を向いたちょうどその時、三時限目開始を知らせるチャイムが鳴った。それを合図に、俺は意識を授業に向ける。
既に、隣で教科書に目を這わせる天ノ目のことは意識の外だった。
「……鋭い人は、苦手です」
だから小さく漏れ出た鈴のような声が、俺の耳に届くこともなかった。




