迷子の迷子のお巡りさん(1)
「困ったな」
「うん、困ったね」
ピカピカの高校一年生の秋。
秋深まり、次第に肌寒さを覚え始めたそんな季節に、俺は毎日のように自宅から駅一つ離れた河川敷に通っていた。河川敷と言っても、河川敷の中の上に国道が通っている橋の下だ。
学生服の上に適当な上着を羽織ってはいるものの、やはり川沿いは空気が冷える。
いや、なにも不良の真似事でもするみたいにわざわざこんな場所に通っているのは、別に夏休みに友達みんなでバーベキューとかしたことないからせめて季節をずらして人のいない時にこっそりその雰囲気を想像してみようとか、花火とかやったことないから憧れるなあ、線香花火って青春の匂いがするよな……などという理由ではない。
「困ったなあ」
「うん、どうしよう」
三度目の保護施設訪問もあえなく撃沈に終わり、いよいよ迷宮入りも覚悟しなければいけないほど追い詰められてきたこの問題に、さてどうしたものかと「困った困った」と適当に呟いてみると、同じく国道下の河川敷で俺の横にちょこんと腰かけたちびっ子も同じように腕を組んで、いかにも困っています然とした中々味のある表情で首を傾げて見せる。
「もう一週間か」
そんなちびっ子の困り顔に苦笑交じりに頬を緩めつつポツリと漏れた独り言。それにまた少女は「うん。もう一週間だね」と同じように繰り返した。
しゅんとして俯くその様子からは、おそらく彼女なりにこの事態に多少なりとも自責の念を抱いているのだと分かる。
「……まあ、何とかなるだろ。気楽に行こう」
言いながらそのちっこい頭に手をやって、安心しろと伝えるつもりで優しく撫でた。すると、
「おじさん、これってセクハラっていうんじゃ」
「ドッグフード代は割り勘だ」
今時の子供はしっかりしてるな。
*
一週間ほど前のことだ。
「おいおっさん、今帰り?」
「あっ、その鞄高そうだねえ⁉」
「なっ、何だ君たちは!」
「うわっ、いい腕時計してんじゃん。たっかそう~♪」
「ちょっ、やめないか。いい加減に」
「あっ?」
「ヒッ」
「うっわ、ヒッだってよヒッ」
「アッハハ、全然似てねえ」
「ねえおじさん、俺達お金なくて困ってんだよね」
「いやマジ帰るとこねえわ~。凍え死んじゃうわ~」
「哀れな子供たちにお恵みすると思って、な? カンパだよカンパ」
「小遣いちょうだい小遣い」
「なっ、ふざけるな! こんなこと」
「あ? 哀れな子羊に同情できねえってのか⁉」
「……チッ。黙って金さえ出せば面倒なことしなくて済んだのに」
「うっわ、ひっさしぶりに派手にやるか⁉」
「バカ、盛り上がってんじゃねえよ」
「そういうお前だって実は結構楽しんでんじゃねえか」
――……
学校からの帰宅途中。思いのほかバスの車内が混雑してきたため、席を譲ったついでに運動がてら少し歩くかと言い訳して適当なバス停で降りた俺は早々に迷子になり、川沿いをプラプラ歩いていると河川敷の橋の下の方からそんな醜い声が聞こえて来た。
ちょっと覗いてみるかと性懲りもなく首を突っ込んでみると、そこには四~五人の他校の高校生がいかにもオヤジ狩りの標的になりそうな風貌の、金持ちそうな、けれど家庭での立場は低そうなおっさんから小遣いをむしり取ろうとしている一幕があった。
またか……。
人生でもう何度目の経験だろうとふと考えて心中で呟きながら、しかし脳裏をちらつく既視感に浸る間もなくそいつらに近づいた。そして、
「カンパカンパってお前ら妊娠してんのか?」
それからまたいつものように不良たちと喧嘩(コンプラを意識した当て字だ)をし、とても人様にお見せできるような服装ではなくなった俺は、ほとぼりが冷めるまで河川敷の下で待つことにした。早く帰って桃華の勉強をみたいところだが、生憎まだ午後六時過ぎ。じわじわと周囲が暗くなってきたとはいえまだ明るい。こんな格好で外をうろついていては目立ってしまい、それこそポリスメンのご用になってしまう。こんなくだらないことで税金を浪費させるわけにもいかないからな。
「いててて。あいつら素人か? 本気で殴りやがって」
言いながら、鞄の中から桃華に持たされている救急セットを取り出し、傷を負った箇所に絆創膏を貼っていく。似たようなことを繰り返しているうちに、すっかり手当も手慣れて来た。
「……あっま」
ついでにやさぐれた心を癒すため、ポケットから飴玉を取り出して口に放り込む。
相変わらず甘ったるい。
しかし、今はその砂糖の下品なくらいの甘みが逆に心地よかった。
しばらくそうして川の流れの行く先を眺めながら、なんとか今回はどうにかなったが、今後あのおっさんは大丈夫だろうかとお節介な思考をしていると、ふと川を眺める俺の前を子供が通りかかった。
微笑ましい光景かと思えば、しかしその少女の表情には焦りの色が見え、その足取りは速く、必死に何かを探しているようだった。
「おい」
「ッ!」
声をかけた瞬間、しまったとすぐに後悔した。
そもそも俺は元があれなのに、今はさっきの喧嘩(※ダンスパーティーだ)のせいで学生服のシャツにはあいつらのものか自分のものかも分からない鮮血が薄く飛び散っているし、手や顔は傷だらけだし、何なら服も結構ボロボロだ。
そんな状態の不審者(俺)が河川敷の橋下といういかにもな場所で幼女に話しかける。……今すぐ通報されても仕方ない状況だ。その証拠に、
「ちょっ、おいちょっと待て。何を押そうとしてる? それを押すのはまだ早いぞ。ほら、お兄ちゃん手ぶら手ぶら。怖くな~い」
「ッ!」
俺の精一杯のニッコリ笑顔に、笑えないくらい幼女の顔が強張った。今にも泣き出しそうだ。
「わ、悪かった。もう声かけないし近づかないから、だから泣くな。飴を……いや、こうするとまた危ない感じになるか。……悪い、もうここには近づかないから」
これ以上ちびっ子を怖がらせるわけにもいかないので、俺はボロボロのカッターシャツを鞄につっ込み、学生服のズボンに白シャツ一枚というこの季節には中々痺れる格好でその場を立ち去ろうと立ち上がった。立ちあがった瞬間、またしても幼女の顔色が変わったので、じわりじわりと慎重に、泣かせないように距離を取っていく。そのついでに、
「悪かったな。何か困ってるみたいだったからつい声をかけてしまった。もう遅い時間だし、子供は早く帰った方がいい。どうしても譲れないなら、駅の近くに交番があったはずだ」
こんなところで喧嘩(……まあ、読んで字のごとくだ)をするような社会の掃き溜めであるところの俺のような年長者に注意されてもこれといって説得力はないかもしれないが、しかしこんな時間に子供が一人で出歩くというのも心配だ。何とかしてやりたいが出来ない以上、これが俺にしてやれる精一杯だ。それに困ったときにお巡りさんに頼むのは正当な理由だろう。
そんな風に言い訳しつつ、子供一人の助けにもなれない自分の不甲斐なさにさすが俺だなと酔いしれながらこの場から立ち去ろうとした俺に、しかし呼び止める声がかけられた。
「まって!」
「!」
驚いて幼女の方を振り向くと、今度は防犯ブザーに手をやることなく、真っすぐに俺を見ていた。その目にはさっきまでの怯えの色は薄まり、どこか罪悪感を悔やむような、そんな目だった。
そして、寒さを堪えつつ次の言葉を待つ俺に、勇気を振り絞るようにぎゅっと小さな拳を握った彼女は、言った。
「ごめんなさい! おじさん。じつはわたし――」
おじさん……。
何とも正直というか子供らしいというか悲しいというか。ちびっ子の言葉に一瞬胸のあたりにグサリと突き刺さった何かを引き抜いていた俺は彼女の次の言葉を聞いて、悟った。
「――犬を探してるの!」
どうやらまだ、晩御飯には遠そうだ。




