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きみが未来を知らないなら  作者: 鷹雄アキル


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第6話 ふたりだけの世界、その手のぬくもり


◇TIME: 00:03


 音楽のない車内。

 ルーの白いセダンは、夜のバイパスを静かに滑っていた。


 街の灯りを避けるように、黒いアスファルトの筋だけを拾って走る。

 冷たい風が窓を撫でるたび、隣に座る彼女から、小さな震えが伝わってくるような気がした。


 ワイパーの残り水が乾いていくたび、夜が少しずつ深くなる。

 タイヤのロードノイズだけが、ふたりの間に均等なリズムを刻んでいた。


「予知……使えそうか?」


 ぼそりと訊くと、ルーは前を見つめたまま、短く首を振る。


「……だめ。視界が濁ってる。昨日まで拾った断片が混ざりすぎて、焦点が合わない。それに……」


 彼女の横顔は夜の闇より薄く、目の奥の光も、肌の温度も、ひどく冷たく見えた。


「あなたの未来も、ひどく濁ってるの。ひまわりと別れてから、予知しようとするたび未来が歪んでいく。きっと、あなたが本当に特異点になっちゃったから」


 その震える声には、互いに『触れる』という行為そのものが、もう後戻りできない事への、確かな怯えが混じっていた。


「ひとまず逃げ切れたんだし、深呼吸くらいしようぜ」

「……できない」

「じゃあ、目を閉じて。風の音だけ聞いてみて」


 俺はそっと手を伸ばし、ハンドルを握る彼女の冷たい左手に、自分の手を重ねた。


「運転中だよ?」

「一瞬なら、大丈夫さ」


 ルーは小さく息を吐き、ほんの数秒だけ瞳を閉じる。

 沈黙が車内に降りてきて、重なり合った手から、微かな震えが伝わってきた。


 

◇TIME: 00:17


 日付が変わって少し。

 俺たちが辿り着いたのは、山間にある廃墟だった。

 

 かつては宿泊研修施設だったらしいが、看板のロゴは色を失い、ロビーのカウンターには書類一枚残っていない。

 自販機は空で、ガラスは半分割れ、床に溜まった埃は誰の足跡も拒んでいた。ただ、静かな時間だけが降り積もっている。


 俺たちは剥がれた案内矢印には従わず、建物の奥へ進み、一番端の部屋のドアを押し開けた。


「ここは?」


 訊くと、ルーは部屋の隅にある薄いマットレスの端に腰を下ろし、ふっと口元を緩めた。


「私の部屋。……隠れ家って言った方が近いかな」


 その声には、遠い昔の記憶を愛おしむような、かすかな懐かしさが滲んでいた。


「もともとは、能力者の避難拠点だったんだって。断片に触れすぎて現実が壊れそうになった人が、世界と距離を置く場所」


 彼女の言葉に、張り詰めていた部屋の空気が、少しだけ優しく解けていく。


「誰にも予知されず、記録されず、構造の外側にある時間。ここにいるあいだは、自分で自分の断片を決められるの」


 自分で自分を決める。

 当たり前だと信じていたことが、当たり前じゃなかった。

 俺は、ひび割れた窓の向こうに広がる夜の森を見つめて訊ねた。


「ふたりでここにいるってことは……構造の外に来たってことか」


 ルーは、ゆっくりと頷いた。


「私たち二人で選んだことだよ」


 

◇TIME: 00:21


 彼女がベッドの下から、鍵付きの小さな金属ボックスを取り出した。

 錆が浮いた鍵を回すと、中から革張りの厚いノートが現れる。


「ひまわりがくれたの。“回声記録”って呼んでる。断片を扱う者たちの分類と、過去の逸脱事例がまとまってる」

「……ひまわりって、結局何者なんだ」


 俺が訊ねると、ルーはどこか誇らしげに微笑んだ。


「“オブザーバー”。能力はないけど、断片の履歴と逸脱ログを拾い続けてる。視えない分、絶対に見落とさない。能力者より未来に詳しくて、能力者より冷静なの」


 彼女は嬉しそうにノートの表紙を撫でる。


「それに……わたしの、唯一の親友」


 そう言って、少しだけ恥ずかしそうにうつむいた。



◇TIME: 00:27


 ページを開くと、かすれたインクで能力者の定義が記されていた。


 反響者(Echo):触れた相手の“近い断片”を視る。

 連鎖者(Chain):対象の周囲行動を未来に繋ぐ。

 投射者(Projector):断片を他者に干渉させる。

 凍結者(Freeze):視えた未来をそのまま固定・再現する。


 インテグラサービスの社長。富田。そして、ルー。

 これまで出会ってきた顔を思い浮かべながら、ひまわりの言っていた呼び名を当てはめていく。


「予知って、する側にも影響があるのか?」


 ルーはノートから顔を上げ、静かに頷く。


「あるよ。基本、自分自身の未来は予知できない。でも、あなたに触れて予知すると、あなたの視線を通して『私自身』が映り込むことがあるの。合わせ鏡を覗き込むような……そんな感じ」


 その声は淡々としているようで、言葉の奥に、仄かな熱を帯びているのがわかった。


 

◇TIME: 00:36


「……ねえ」


 ルーが小さく息を整え、ぽつりと零す。


「私、ほんとは未来が視えるのが怖いわけじゃないの」


 彼女は、膝の上で自分の指をきつく握りしめた。


「でもね、あなたに触れてからずっと、視界が濁っていたの。たぶんね、私が視えなくなったのって——自分が、大切な誰かを巻き込んでしまったって、ずっと後悔してたからだと思う」


 未来を壊し、追われる身になった。すべては自分の能力のせいだという、強烈な罪悪感。

 俺はゆっくりと手を伸ばし、きつく結ばれた彼女の手を包み込んだ。


「違う。ルーのせいじゃない」


 彼女が、息を呑む。


「これは俺が選んだことだ。出会ったことも、触れたことも、逃げたことも。ぜんぶ、自分で選んだんだ」


 ルーの長い睫毛が、震えるように瞬きをした。


「だから、未来が視えなくなったのは、俺を巻き込んだからじゃない。今は一緒にいるんだから、視えなくてよくなったんだ。それはさ、“ここにいていい”ってことなんだと思う」


 俺の言葉が届いた瞬間、彼女の表情がはにかむように変わった。

 繋いだ手から、冷たかった彼女の指先に、確かに柔らかな熱が宿っていくのがわかる。


 彼女はもう泣かなかった。

 ただ、心の底から安堵したように、とても小さな声で言った。


「……ありがと」


 

◇TIME: 00:51


 窓の割れた隙間から、青白い月の光が差し込んでいる。

 それは断片でも予知でもなく、ただ「夜がそこにある」という、揺るぎない証拠だった。


 隣から聞こえる静かな吐息が、俺の呼吸と重なっていく。


 選ばれた未来を拒むこと。

 視えた断片に抗うこと。

 特異点として生まれたこの『熱』を——最後まで守り抜くこと。


 すべては、ここから始めるんだ。


 

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