2話:それは桜が舞うが如く④
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「えっと……椿ちゃんどうしたの?」
椿のお願いとは歓迎会が終わった後に近くの公園に来て欲しいとの事だった。
日もすっかり沈み、街灯の光により満開の桜が綺麗に舞っていた。
「ごめんね。どうしてもせいちゃんと話がしたくて……」
誠吾が公園に着く頃には椿は既に待っていた。
……木刀を持って。
「その前に……一本手合わせしないかな? 今のせいちゃんを知りたい」
椿は手に持っていた木刀を誠吾に差し出した。
「えっ、なんか急だね? いいけど、椿ちゃんの期待に応えられるかどうか分からないよ?」
誠吾は木刀を受け取り構えた。
(……やっぱりせいちゃん腕は落ちてない)
椿は思わず息を飲み、静寂の中、風に舞う桜の花びらが月光に照らされ、淡い光を放っていた。
誠吾が木刀を握りしめ、ゆっくりと構える。
その立ち姿に無駄な力みはなく、静かに流れる水のような自然さがあった。
——変わらない。
昔、道場で見た誠吾の構えと同じ。
いや、以前よりもさらに洗練されている。
「……じゃあ、始めようか」
椿は一度深く息を吸い、静かに木刀を構えた。
二人の間に、ぴんと張り詰めた空気が生まれる。
ザッ——!
椿が踏み込んだ。
正面から一直線に打ち込む、迷いのない一撃。
誠吾はその攻撃を見極め、すんでのところで木刀を横にずらし、最小限の動きで受け流す。
カキィンッ!
乾いた音が響き、椿の攻撃が逸らされた。
「っ……!」
体勢を崩す前に、椿は即座に跳び退き、再び構える。
「相変わらず速いね。でも、まだまだいける?」
「……もちろん!」
椿は地を蹴り、再び誠吾に向かう。
次は横薙ぎの一閃。
誠吾はその攻撃を最小限の動きで避けつつ、逆に木刀を繰り出して反撃する。
ヒュンッ!
鋭い風切り音とともに、誠吾の木刀が椿の横腹を狙う。
(——見える!)
椿は瞬時に反応し、誠吾の一撃を受け止める。
ガキィン!
二人の木刀が交差し、互いの間合いを潰し合う形になる。
至近距離で誠吾が微笑んだ。
「昔より、ずっと強くなったね」
「せいちゃんこそ……まだまだ本気じゃないでしょ?」
椿は目を細め、ぐっと木刀に力を込める。
誠吾は少し驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情を和らげた。
「……そっか。じゃあ、少し本気を出そうか」
次の瞬間、誠吾の動きが変わった。
まるで風のように軽やかに、しかし確実に迫る一撃。
椿は受けようとしたが——
——ドンッ!
誠吾の木刀が椿の肩を軽く打ち抜いた。
「っ……!」
衝撃とともに、椿の体がぐらりと揺れる。
すぐに踏ん張るが、誠吾はもう一歩詰めていた。
「終わりだね」
誠吾の木刀が、椿の首筋のすぐ横で止まる。
——完敗。
椿は肩で息をしながら、悔しそうに木刀を下ろした。
「……やっぱり、せいちゃんにはまだまだ敵わないや」
息を整えながら、誠吾を見る。
彼は微笑みながら木刀を下げた。
「いや、正直驚いたよ。椿ちゃん、強くなったね」
「でも……せいちゃんにはまだ勝てない」
「うん。でも、それは今の話でしょ?」
誠吾は椿の肩を軽く叩く。
「これからも鍛え続ければ、きっと追いつけるよ」
「……そうかな」
椿は微笑みながら頷いた。
「それで、本当は何の話をしたかったの?」
誠吾が問いかけると、椿は少し言葉に詰まった。
「えっと……」
夜風が吹き、桜の花びらが舞う。
椿は一呼吸置いて、意を決したように口を開いた。
「せいちゃん……私との約束忘れちゃったのかなって」
誠吾の表情が一瞬、僅かに曇った。
「……それを、今聞くの?」
「今じゃなきゃ……駄目な気がしたんだ」
椿はまっすぐ誠吾を見つめる。
夜の静寂の中、二人はしばし無言で向かい合った——。
夜風が桜の花びらを舞わせる中、静寂が二人を包み込む。
誠吾は木刀を握ったまま、目を伏せた。
「……そっか」
椿のまっすぐな眼差しを受け、誠吾はゆっくりと木刀を下ろした。
その仕草は、まるで長い間閉じ込めていた思いを解き放つかのようだった。
「約束は忘れてないよ。一緒に正義の味方になるって事だよね……?」
誠吾は微かに笑ったが、その目にはどこか寂しげな色が宿っていた。
「椿ちゃんは、俺がずっと剣の道を進むと思ってた?」
「……うん、せいちゃんの剣の腕なら、最前線で活躍してるって……」
「そうだね。僕も昔はそう思ってたよ」
誠吾はふっと夜空を仰ぐ。
「でも、分からなくなったんだ。《正義》ってものが」
その言葉に、椿の胸がざわついた。
「……分からなくなった?」
「そう」
誠吾は一拍置き、静かに続ける。
「僕が引っ越してから色々とあってね。何が正義か悪なのか分からなくなったんだ」
「……」
椿は息をのむ。
「そして、僕は軍学校には行かず、働いていたんだ。そしたら今の仕事に就いたんだ。初めは分からない事だらけだったけど、料理を作る事は楽しくてね」
「……それで、戦う道を捨てたの?」
誠吾は苦笑した。
「椿ちゃんは僕が剣の道から逃げたって思う?」
「……思わないよ」
椿は即答した。
「……でも、後悔はしてるんじゃないの?」
誠吾の目が一瞬揺れる。
そして、少し自嘲するように笑った。
「確かに……後悔はしてないかな。確かに僕は正義の味方になれなかったけど、今の仕事だって十分に楽しいしね」
「……」
椿は誠吾をじっと見つめた。
「だから、料理を選んだの?」
「……うん」
誠吾は優しく微笑んだ。
「今の僕は仲間を支えることはできる。僕の作った料理で、少しでも皆が力をつけてくれるなら……それが僕の役目なんじゃないかって思ったんだ」
「……」
椿は目を閉じ、一度深呼吸をした。
「……でも、せいちゃんは今も剣を握れる」
「……?」
「今、こうして私と手合わせしてくれたように……せいちゃんは”剣を捨てた”わけじゃない」
椿は静かに木刀を握りしめた。
「だから……私は、せいちゃんがこのままでいいのか知りたい」
誠吾は少し驚いたように椿を見つめる。
「私は……せいちゃんの剣が好きだよ」
その言葉に、誠吾は瞳を揺らした。
「強くて、綺麗で……私の憧れだった。だから……本当に、それを”ただ仲間を支える”ためだけに使っていいのかって……そう思うんです」
「……椿ちゃん」
「私は、せいちゃんに戦ってほしいわけじゃない。無理に正義の味方を目指してほしいとも思わない。でも……」
椿は誠吾をまっすぐ見つめる。
「せいちゃんが剣を握れるのに、それを見ないふりしてるなら……それは、違うと思うよ」
誠吾は言葉を失ったまま、静かに夜風に吹かれていた。
しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……椿ちゃんには、敵わないな」
「ふふ、昔から剣では勝てないけど、口では負けなかったよ!」
椿が少し得意げに笑うと、誠吾は苦笑しながら木刀を腰に下ろした。
「……少し、考えてみるよ」
「うん、私はせいちゃんと一緒に正義の味方になるのを楽しみにしてる!」
二人の間に流れる空気は、さっきまでの緊張したものではなく、穏やかなものに変わっていた。
「そろそろ戻ろうか。春とはいえ夜は少し冷えるよ」
「そうだね」
二人は並んで公園を後にする。
舞い散る桜の花びらが、夜の静寂に溶けていった。
——この会話が、誠吾の心にどんな変化をもたらすのか。