6話:吾輩は犬である③
「……随分と賑やかだな」
ピリッとした空気が駐屯所を包み込む。
振り向くと、そこに立っていたのは――尾前司令だった。
「尾前司令……!」
その場にいた全員が一瞬で背筋を伸ばし、直立不動になる。
尾前司令は普段、厳格で知られる人物だ。駐屯所の規律を重んじ、決して情に流されることはない。
東雲が許可を出したとはいえ、犬を勝手に連れ込んだ小梅は、怒鳴られることを覚悟した。
――しかし。
尾前司令は、一歩、犬の前に進み出ると。
「…………おお」
ゴツゴツした手で、そっと犬の頭を撫でた。
犬は気持ちよさそうに目を細め、小さく「くぅん」と鳴く。
その瞬間。
「……ぬぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
尾前司令が、顔を両手で覆い、膝から崩れ落ちた。
全員、固まる。
厳格な司令の、まさかの反応。
――そして次の瞬間。
「なんだこの可愛い生き物はァァァァァ!!!!!」
尾前司令が絶叫した。
「えっ!? 司令!? 司令どうしました!?」
「可愛いッッッッ!!! なんだこのぬくもりは……! こんな尊い生き物は!!」
隊員たちがどよめく中、尾前司令は犬を抱き上げ、その頬にすりすりと顔を押し付けた。
「ふわっふわだ……ああ、癒される……! もう駄目だ、仕事にならん……!!」
隊員たちは口をあんぐりと開けたまま、誰も言葉を発することができなかった。
「尾前司令、あの……?」
東雲が恐る恐る声をかける。
「東雲、この可愛い生き物はどうしたのだ?」
「えぇっと……狛坂が今朝寮の近くで弱っているのを発見したみたいで、とりあえず駐屯所に連れて来たみたいで……」
「狛坂っっっ!!!!」
「はいぃぃぃっっ!!!!」
「でかした! こんな小さな生き物を守ることも、また平和を守る上で大事なことなのだぞ!!」
(うわぁ……司令って愛犬家だったんだね?)
(そうみたいですね。かなり意外でした)
蓮華と飛鞠はコソコソ話をしていた。
だが、尾前司令の暴走はまだ終わらなかった。
「よし、名前をつけよう」
「えっ、司令!? いや、あの、まだ飼うって決まったわけじゃ……」
「決まった!!!」
東雲の言葉を力強く遮る尾前司令。
「これだけ尊い生き物を見捨てるなど、軍人として恥ずべき行為! これはもはや命令である!」
「えぇぇ……」
隊員たちが困惑する中、尾前司令は腕を組んで考え始めた。
「ふむ……勇ましく、それでいて可愛らしい名前がいいな……」
「いや、司令……犬の飼育許可って必要では?」
「許可なら私が取る!!」
東雲がため息をつく。
どうやら、司令の中ではすでに話が決定してしまったらしい。
「名前は……うむ、『シロ』だ」
「いや、安直すぎませんか?」
「なにぃ!? シロの何が悪い!? シンプルこそ王道だぞ!!」
「いや、でもこの子、毛色は茶色がかってますし……」
「ならば……『チャロ』だ!!」
「それはそれで微妙に安直すぎるような……」
「むぅ、異論は認めんぞ! 駄目だ、この子の可愛さで私は冷静ではいられん!」
「いや、さっきからずっと冷静じゃないですよね!?」
「むしろ最初から!!」
隊員たちのツッコミをものともせず、尾前司令は犬を抱えたまま立ち上がる。
「よし、今日は私の部屋で預かろう!」
「司令、業務は……?」
「明日から本気を出す」
「社会人としてどうなんですか!?」
「明日から本気を出すのだ!!!」
誰も止められない。
もはや駐屯所の秩序は、司令の犬愛によって完全に崩壊しつつあった。
東雲は頭を抱え、狛坂は震え、蓮華と飛鞠はひそひそと話している。
「これ、どうなるだろね……」
「さぁ……でも、可愛いのでよしとしましょう」
そして、尾前司令は犬を抱いたまま、誇らしげに部屋へと向かっていった。
「では、私はこの尊き存在と共に過ごすゆえ、後は頼む」
「仕事してください!!!」
東雲の絶叫が、駐屯所の空に響き渡った。
因みに流石に鬱陶しいと思ったのか、チャロ(?)はすぐ尾前司令の元から逃げ出し小梅の元に戻って来たのである。




