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探して欲しい、僕の首 1

 ああ、寒いなあ。

 白い息は出ないけど、膝が冷える。

 膝を抱えてみたけど、僕の身体はとっくに冷えていて。

 冷たいばっかりでちっとも暖まらない。


 見える景色は真っ暗で。

 聞こえる音はなんだかぼやけていて。

 身体はとても冷たくて。

 どこにいるのかもわからない。


 ああ。寒いなあ……。



 □ ■ □


 

「ちょっと、形になってるって、何」

 頭を押さえたサクラは、眉を寄せてぼやいた。

 不機嫌そうなサクラに対して、彼の頭に響く声はいつも通り飄々とした調子だった。

「そう怒るなって。俺はおまえの悪夢を食うばかりの存在さ」

「嘘ばっかり。……噂話の出所は違うかもしれないけど、きっかけはオマエだろ?」

 声――獏はくつくつと笑う。

「とはいってもな。それがどこでどんな形を取るかなんて俺には分からねえんだから――そう言われたってなあ?」

「……そうだね。で、どこにあるかも分からない?」

「そうだな。それも俺にはどうしようも無い所だ。気になるならおまえの足で探してこい」

 獏の言葉にサクラは眉を寄せ、とても苦い顔をした。

「……神出鬼没の身体と頭だなんて……」

 見つかるかなあ、とついた溜息はとても深かった。



 □ ■ □



 それを見つけたのは、サカキだった。

 すぐさま廊下をぱたぱたと走り抜け、保健室の扉を勢い良く開けた。

「あ。あの……、ヤツヅリさんっ!」

「おっと今日の駆け込み担当はサカキ君か。どうしたんだい? どこか外れた?」

 ぎぃ、と椅子を軋ませて振り返ったヤツヅリが問うと、サカキは「いえ」と小さく首を横に振った。

「あの。ちょっと、人を……多分、人を。見つけたのですが」

「ほう?」

 その言い回しにヤツヅリの首が傾く。

「多分、とは?」

「それが。ええっと。首が、なくて」

「……うん?」

 そんなのありうるのか、とヤツヅリは沸いた疑問をグッと飲み込む。

 言ってしまえば目の前のサカキだって、体のあちこちが外れ崩れるのだ。首も例外じゃない。だが、サカキは生きている。死者とは扱われていない。それが「こっち側」の世界なのだから当たり前なんだけど。


 そんなサカキが慌ててやってくるような事態。

 つまり。どういうことだ?


 話を聞くだけではわからないかもしれないとヤツヅリは判断した。

「よし、サカキ君。サクラ君を探して一緒に行こう」

「サクラさん、ですか?」

 今度はサカキの首が傾いた。くるりとした目が不思議そうな色を見せる。

「ああ。けが人ならば運ばなくてはならないだろう? オレとサカキ君で運べるならいいが……なにせオレは体力に自信がない。ならば担架でも持って行った方がいいんだけど」

 それだと身長が近いサクラを呼ぶのが一番だ、とヤツヅリは言った。


 担架を抱え、サクラを探し。事情をうまく飲み込めていない彼に「大丈夫だ、オレも現場を見てないから」と言って引っ張ってきたその場所は、裏庭の一角。月巡りの桜からも少し離れた、普段なら誰も立ち寄らないような裏庭の隅も隅だった。

 そこにいた――いや、あったのは、男子学生の身体と思しきものだった。

 「彼」は泥だらけで、膝を抱えて転がっていた。


「この方、なのですが……」

「ああ。噂は聞いてたけど……うん。これは……」

 サカキの声になんとか頷いたのはサクラだった。なんだか頭が痛そうな顔をしている。

「事件、だよね」

「控えめに言ってもそうだろうね」

 ヤツヅリはサクラと顔を見合わせる。その表情はお互い「どうしようか」と語っている。

 どうしようも何も、生きているのだとしたら保健室に運ばないといけないのだが。

 それよりも。だ。

「サカキ君はこの彼の状況を見て、よく保健室に駆け込もうと思ったね」

 そんな感想しか出てこなかった。

 いや。この学校で医療系の処置ができるのは確かに保健室が最適だ。ある意味ではその判断は正しいのか。うん。正しかったのだろう。

「呼吸は、しているようでしたから……」

 その言葉に二人は「彼」の傍にしゃがみ込んでじっと見る。

 首に手を翳してみると、多少だけれども空気が流れているのが分かった。

「確かに呼吸はしているな。しかし、首はどこに行ったんだ」

「……見当たらないね。血も流れてる感じはしない。そもそも噂だと――」

 そ、っとサクラが彼の肩に触れた瞬間。

「っ!?」

 その身体はサクラの手を払い、後ずさって背後の斜面に勢い良くぶつかった。

 サクラは何が起こったか分からない顔で数度瞬きをして。それから払われた手に視線を向け、そこでどうしてそんな事が起きたのか納得したらしかった。

「あ……ああ、そっか。急に触ったから。ごめん」

 ごめん。とサクラは謝ったが。聞こえていないだろうな。とヤツヅリは斜面に貼り付くようにしている彼を見て思った。

「なるほど。頭がないから見えないだけで、感覚はある。と言う訳か」

「だから、ここから動けなかったんですかね」

「そうかもしれないな」


 三人に沈黙が落ちる。


「ど、どうしましょう……」

「まずは保健室に連れて行きたいところだけど」

 どうしたものか。とヤツヅリは溜息をつく。

「視界が悪い、ってことは声とかも多分聞こえてないよね……。おーい」

 サクラが呼びかけてみるが、その身体は何の反応も示さない。

「うん。聞こえないんだろうな。頭がないしな」

「そうだね」

「……それじゃあ、まずはお話を聞いてもらえるようにしないといけませんね」

 そう言ってサカキは彼へと近づく。

「サカキくん。急に近付いては――」

 ヤツヅリの言葉にサカキはにこりと笑って「大丈夫です」と手をグッと握って見せる。

 一体何が大丈夫なのか分からないが、何か考えがあるのだろうか。ヤツヅリは見守ることにする。

 サクラも同じ状態らしい。何も言わずにサカキのする事を眺めていた。

「あの、僕たちは貴方に危害を与えるつもりは、ないので。――話を聞いてくれませんか?」

 サカキは彼の手をそっと取り、両手で握る。

 身体はびく、っと肩を揺らしてその手を振り払う。ぱしん、と小さな音がしてサカキが尻餅をついた。

「サカキ君! 大丈夫?」

 心配そうに声をあげるサクラに、サカキは「大丈夫です」と頷いてみせた。

「あはは、やっぱりびっくりさせちゃいましたね」

 大丈夫ですごめんなさい。と笑うサカキの頬には泥とうっすら赤い跡が付いていた。でも、サカキは諦めることなくもう一度手を取る。

 今度はぎゅっと。さっきより力を込めて。握る。

「大丈夫。話、聞いてもらえますか?」

 振り払おうとした手に力を込めて。

 サカキは根気強く「大丈夫です」と言う。


 数分。もしかしたら1、2分のことだったのかもしれない。

 固まったように動かなかった手が、そっとサカキの手を握り返した。

「わ」

 空いた方の手が、サカキの腕をトントンと叩く。それぞれの位置を確かめるように、肘から肩、それから頬、頭となぞり、頭をぐっと抱き寄せた。

「!?」

 何が起きたのかわからないサカキに、その身体は、ぽんぽんと肩を叩く。

「――、――」

「……?」

 サカキがその身体をじっと見上げる。それから今度はサカキの方から体へと頭を預けた。

 ヤツヅリは首をかしげてサクラに問いかける。

「なあ、サクラ君。サカキ君は一体何をしていると思う?」

「さあ……でも、邪魔はしちゃいけないと、思う」

「そうか。サクラ君。そんな君にはあとで胃薬をあげよう」

「え……なんで……?」

「オレの気休め」

「……?」

 そんなやり取りの間にも、サカキは耳を済ますように、心臓の音を聞くようにして頭を寄せている。小さな手には、彼の手がなぜか手のひらを上に握られていて、伏せるようにサカキの右手が置いてある。


 サカキの耳には、気道を通る空気の音が届いていた。

 何か。何かを言っている。

 口がない。声帯がない。だから、正確な声は聞こえない。

 でも、何か伝えようとしているのだけは分かる。


「何? 何を僕達に言いたいのですか……?」

 根気強く。サカキはその声にならない声を聞く。

 手を取り、指先で聞こえた音が何なのかを1文字ずつ嵌めていく。

 手がくすぐったいのか、最初は何度か弾かれた。けれども負けずに手を取り、指で文字を書く。繰り返して、繰り返して。

 1文字ずつ拾って、捨てて。拾い上げて。

「――さ、がし。て?」

 その4文字を見つけた時。サカキはようやく耳を離して力強く両手を握って見せた。

「はい! 任せてください!」

 それから勢いよく二人の方を振り向いた。

 その顔は、何かをやり遂げたという達成感というか、やるべきことを見つけたというか。そんなやる気に溢れた表情をしている。

「――サクラさん、ヤツヅリさん! 探して欲しいんだそうです!」

「……探す?」

「一体何を、って。いや、愚問だな。その頭を、か」

「はい!」

 サカキが根気の結果ようやく拾った言葉は。


 「あたま、さがして」



 □ ■ □



 最初はびっくりしたけれど、僕の手に触れているのもまた、小さな手だと気がついた。

 腕を確かめ、肩を確かめ。頭を見つけた。

 思ったよりも小柄な子だった。髪の毛は短い。置いていってしまった僕の弟を思い出した。

 ああ、僕がいなくなってどうしてるかな、なんて思って。

 そして、やっぱり身体が恋しくなった。

 僕は動けない。いや、身体は動くけれどどこにあるのか、どんな状況なのか分からない。

 だから、どうにかして伝えないといけない。

「探して。頭。頭を――探して」

 繰り返す。しばらくしたら、手のひらに何か感触があった。何かをなぞるような、くすぐったいそれにびっくりして振り払ってしまったりもしたけれど、それが文字だと気づいてからはちょっとだけ我慢した。

 何度も何度も。文字が当たるまで繰り返して。

 これまでずっと繰り返してきた言葉を、僕の切実なお願いを。

 その小さな手は、拾い上げてくれた。

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