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箱入り娘の夢

 日溜まりがぽかぽかと暖かい理科室で。

 数名がお茶を飲んだりお茶菓子を食べたりして、放課後のひとときを過ごしていた。

 開け放した窓から吹く風はさわやかで。「表」と呼ばれる、生徒達が活動する校舎の声が、どこからともなく風に乗って聞こえてくる。

 

「はあー……良い日差しだ……」

 冬服のセーラーにカーディガンを纏ったハナが、黒くて広い机兼実験台でぬくぬくと日差しの恩恵を受けていた。

 茶色い髪が、呼吸に合わせて肩から机の上へと流れ落ちる。前髪で目が隠れている彼女は、喋っていなければ陽だまりでうたた寝をしているようにも見えた。

 

「実に平和で平穏で、このまま溶けて根付いてしまいそうだ」

「まあ、俺達はこの学校にある意味根付いてるけどな」

 向かいに座っていたヤミはビーカーのコーヒーを啜り、文庫本のページを捲った。

「ヤミちゃんは相変わらず、由緒正しき文学少年っぽい何かだね」

「何かってなんだ……せっかく溶けてんだからもう少し静かにしてればいいのに」

「はっはっは。言い切らないもボクの大事にすべき正直さってやつだよ。――そうだ!」

 ハナは跳ねるように身体を起こして立ち上がった。その拍子に小さな木の椅子が倒れて音を立てたが、そんなの気にせず、流れるように彼女は思い付いたことを口にする。

 

「ボク達は、怪談話らしい事をするべきだと思うんだ」

「お前はどうしていつもそう唐突なんだ」

 ヤミが視線一つ動かさずにハナの言葉を押さえ付ける。が、彼女達がそれで止まる訳はなかった。

 

「さんせーい!」

「なにするのー?」

 カガミが両手を挙げて賛同の声をあげる。

「そしてお前らはどうしていつもそう考えなしに同意をするんだよ……」

「ま、まあまあヤミくん。落ち着いて」

 頭痛を抑えるような声になったヤミを慰めるように、隣に座っていたサクラが肩を叩く。

「サカキも何か言ってやれ……」

「えっ。えっと……」

 話を振られたサカキはオロオロと湯呑みを降ろし、視線をハナとヤミの間で彷徨わせる。

「怪談話らしい事、っていうことは、つまり。その」

「俺達がいつもやってるような事、だよね?」

 サカキの言葉を継ぎながら、サクラが首を傾げる。


「俺は人の色んな話を聞いて回って、桜を咲かせるとか」

「こっくりさんで呼び出されたら手助けしたり、変なの呼び出したら退治する、とか」

「僕は……あんまり表には出ませんが……」


 ハナは三人の言葉にちっちっち、と人差し指を振った。

「それじゃあいつもと変わらないじゃないか」

「いつも通りこそがあるべき姿だろうが」

「と、言う事は何か他になにかある?」

 不機嫌そうなヤミと不思議そうなサクラに向け、ハナはにやりと笑って言った。


「怪談話を、しようじゃないか!」


「しようしよう!」

「やろうやろう!」

 わあ、と身を乗り出してカガミが表情を輝かせる。

「自己紹介か? 今更?」

 冷静な声で、ヤミはコーヒーのおかわりをしに席を立つ。サクラはどういう事だろう、と続きを待つように頬杖をついた。

「ヤミちゃんったら分からず屋さんだな。誰が、いつ、自己紹介をすると言った?」

「お前が、今、言ったと思ったんだが?」

「ボクは怪談話をしようと言った――つまり、百物語だ!」

「却 下 だ」

「おおう……。ヤミちゃんの声、まさしく絶対零度という奴だな……」

「なんとでも言え。アマリから文句がくるぞ」

「確かにな。まあ、それでやめるボクではないんだが」

「おい。話聞いてたか?」

「ふふ。聞いてたとも。だから百まではしないさ。それならどうだい!」

 ばーん! と胸を張るハナに、ヤミは「……勝手にしろよもう」と溜息をつき、さっきとは違う――少し離れた席へと移動していった。


 □ ■ □

 

「と、言う訳で。言い出しっぺであるボクが話をするべきだろう」

 ハナが楽しそうに話を始めた。明るい理科室だけど、声は雰囲気たっぷりだ。

「「おー」」

「これは、ボクの小さい頃の話なんだが」


 ボクは小さい頃、地下に作られた部屋に住んでいたんだ。

 元々書庫として使われてたその部屋は白塗りの壁で、いつも涼しくてな。大量の本棚に大量の本。壁にもたくさん所狭しと積み上げられていた。だから、そればかり読んで過ごしていたのさ。


「所謂箱入り娘、と言う奴だな」

「その部屋は箱、っていう扱いで良いのかな……」

 サクラがぽつりとこぼした問いにハナは指を振って「まあまあ」と笑う。

「細かい事は気にしちゃいけないよ。天上天下壁だらけ、四角四面の空間、それは箱に変わりないのさ」

「そっか……」


 窓は天井近くに天窓がひとつ。ただし木枠付き。食事はそこからするすると降りてくる。

 外へ出るには階段がひとつ。ただ、その階段は白塗りの壁で塞がれてる。

 

 幽閉? いや、ボクにそんな認識はなかったね。

 逃げ出したいなんて思った事もないし、ある意味満足していたよ。

 で。その壁は、ある一定の条件が満たされた時だけ消えるんだ。


「なにそれ不思議」

「どういう仕組み?」

「さあ。それはボクにも分からない。なんとも不思議な壁さ」


 ボクはこの生活にある程度満足はしていたんだけどね。やはり時々、外がひどく恋しくなるのさ。そうすると、階段の壁とじっと向かい合うんだ。


 今日は消えないかな。

 消えないかな。

 消えないかなあ……。


 そんな事を考えながら、壁の前に座って過ごすのさ。で、ある日ボクがふと気付くと、その壁が消えてた。

 

「おー!」


 壁がないというのはなんとも嬉しくてな。

 ちょっとだけ外に出てみよう。って、そっと一段目に足を乗せた。


 二段目。

 三段目。

 そこで上を見ると、数段先は壁だ。


「行き止まり?」

「出られない?」

 いや、とハナは首を横に振った。


 階段が右に曲がって続いてたんだね。だからボクはそのまま四段、五段と上り。そっと、曲がっている先を覗くんだ。

 その先は小さな踊り場で、少し先にまた白い壁があった。

 今度こそ行き止まりさ。

 ただ、そこにはね。

「影があった。老婆だ」


 灰色の髪をひっつめた、見た事のない老婆。

 目はなかった。目を閉じているわけでもない、膜が張ったように、何もなかった。

 ただ口をぽっかりと開けて。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」 


 それだけを発してた。

 何を訴える訳でもなく。何かを伝える訳でもなく。感情も何もない、ただの音さ。

 ただ口を開けて音を発していて――。


 □ ■ □


「――という、夢を見た事があってな」

「「夢オチ!」」

「まあ、そんな夢を見たのは事実だ」

「ハナちゃんの夢って、なんというか、不思議だね……?」

 サクラが少しだけ身を引いて呟く。

 サカキはすっかりサクラの腕に隠れていた。

「そうかい?」

「うん。そう思うな?」

「んー。まあ、この位の夢ならよく見るから大した物じゃないと思ったのだが。一度なんか人に害為す座敷童に跳び蹴りを――」

「待って? 俺の話じゃないの分かるけどなんか痛い話な気がする」

 サクラの制止にハナはあははと笑った。

「なあに、ちょっと吹っ飛んでテーブルの角に激突してたくらいだ」

「十分痛い話だよ!?」

 

 □ ■ □


「ねえ、ヤミ」

 少し離れた席で、ハナブサが緑茶をすすりながらヤミに問いかけた。

「何?」

「ヤミはこの話、知ってたの?」

「ん? 初耳だけど。なんで?」

 ヤミは読書の手を止め、ハナブサに視線を向ける。

「いや、初耳の割に反応がないのは珍しいなと思ったから、かな」

「そう?」

「なんとなくだけどね。なんだかんだ言ってても、君はハナの話をきちんと聞いてるから、呆れる素振りくらいはすると思ったんだ」

 違ってたら悪いねという言葉に、ヤミはそうだなあと首を傾け、頬杖をついた。

「……普段ならそうかも」

 でも、とヤミの言葉が続く。

「あいつの話に二割くらい体験談も混じってたから」

「二割」

 ハナブサが繰り返すとヤミは「うん、二割」と頷いた。

「残りは判断付かない。突拍子もない笑い話だけど、少しでも体験談が混じってたら俺は割って入らないって決めてるんだ」

 と、ヤミは笑っているハナを見ていた。

 その目は寂しそうな、悲しそうな。なんとも言いようのない、けれども決して良い感情ではない。そんな色をしていた。

「それがハナの、自分との向き合い方っていうかさ」

「うん」

「あいつはきっと、全てを笑い飛ばしたいんだ。あんまり自分の事話さない奴だから判りづらいけどさ。何気ない話に少しずつ真実を混ぜていって、消化して。いつかは全部笑い話にしたいんだって思ってるのは知ってるから」

 厄介だよな、とヤミは溜息をつく。


 それは君もだと思うけど、と言う言葉をハナブサはそっとお茶で流し込み。

「君達は……相変わらず仲が良いね」

 正直な感想だけを口にした。

「ハナブサさん。正直に喜んでいいのか分かんない事言わないでよ……」

 ヤミは少しだけ困った顔をして、ふるふると首を横に振った。

 ハナブサは「そうかな」と答えつつ思い出す。

 初めて二人がやってきた夜のこと。

 大雨が降った日のこと。

 保健室で。自室で。目を覚まさないハナの隣でただひたすら目覚めを待ち続ける彼の姿。

 

 うん。本当に、仲が良いと思うよ。

 ひとりで頷くようにしてお茶をすすり。わいわいと話をしている皆を眺める。


 春が終わった初夏の陽気は、ぽかぽかと理科室を変わらずに暖めていた。

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