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祭りの前の楽しみ

 秋。まだ夏が僅かに残ってはいるが、衣替えも終え、中庭にも紅葉が増えてきた。

 校内の空気が浮かれているのは、中間テストを終えたばかりだからではない。

 文化祭が近いからだ。

 授業時間や部活動が準備に充てられるようになり、日を追う毎に賑やかさが満ちていく空気は、大きなイベントが近いことを実感させる。

 

 と、いうことは。


「ハロウィンも近いよヤミちゃん」

「近いな」


 ハナとヤミはそんな言葉を交わしながら、屋上から放課後の校内を見下ろしていた。

 生徒達は放課後になると、一層楽しげに動き回っている。部活で。クラスで。委員会で。準備に走り回り、声を掛け合っている。


「ふふ。楽しみだねえ」

「そうか……?」

「そうだよ」


 考えてもみたまえよ、とハナは機嫌良くフェンスに寄りかかる。


「文化祭にハロウィン。今年は奇しくも二つも同時にお祭りがあるんだよ? これが楽しみじゃなくて何だと言うんだい?」

「しょっちゅう重なってる気もするが……ハロウィン、ねえ」


 興味なさげに呟いたヤミは、はたと気付いて顔を上げた。訝しげな視線がハナへ向く。


「よもやお前。今年もあちこちから山のように菓子をせしめようなんて考えてないよな?」

「うん? ハロウィンのお菓子かい?」


 ハナは「やだなあ、ヤミちゃん」とわざとらしく肩をすくめる。


「せしめるだなんて人聞きが悪い。トッリク・オア・トリート、という素晴らしい合言葉があるだろう? これが正当な取引じゃなければ何だと言うのだね」

「……正当、か? 単なる悪戯の予告じゃなく?」

「それは準備次第さ。なに、お菓子をたくさん用意してくれれば良いんだよ?」

「面倒」

「よろしい、ならばとびきりの悪戯を考えておこう。覚悟しておきたまえ」


 ハナの声に何か気付いたヤミは眉を寄せ、溜息をついた。


「……ああ。去年はそれで酷い目にあったんだった。今年は全力で逃げてやる」


 強い意志すら感じられる言葉に、ハナは「全くさあ」と小さくため息をついた。


「ヤミちゃんは相変わらずお堅いな」

「悪かったな」

「いや、悪くはないさ。真面目でお堅いのは君の長所だ。だが、年に一度のお祭りなんだよ? もっとはしゃいでも良いんじゃないかい?」

「いや……俺だって祭りが嫌いな訳じゃないし。お前の言う事も分かる。けどな」


 ヤミは何か思い出したらしい、眉を寄せて溜息をつく。


「まず、お前達のいたずらに可愛げがない」

「そうかい?」

「そうだ」


 きっぱりと頷き、それから、と言葉をつなぐ。


「そもそもハロウィンって、死者の霊が家族を訪ねてくるとか、精霊や魔女がくるとか、そんなのだろ」

「うむ」

「俺らはどちらかというと、そういう……避けられるべき側の存在じゃないか?」

「なるほど? ヤミちゃんの意見はもっともだ。が、今のボク達に関係あるかい?」

「どうして無いと思ってるんだよ」

「どうしてって」


 簡単なことじゃないか、とハナは人差し指でくるくると円を描く。


「確かに元が人間なら幽霊という扱いになるかもしれない。だが、ボク達全員がそうとは限らないだろう?」

「……そうだけど」

 

 彼女の言うことも一理ある。

 この学校に住む怪異達は、いくつかの系統に分けられる。

 

 元々人間だった者。

 備品が意思を持った者。

 噂話が姿を得た者。

 外部からやってきた者。

 

 それらを「幽霊」とまとめてしまうのは、確かに難しい。いや、そういう話ではない。

 むむ、とヤミの眉が寄ったのを見て、ハナは「真面目だな」とまた笑った。


「君の言う通り、ボク達は幽霊と言えるだろう。しかし、訪ねるべき家族などもう居ない。つまり、ボク達を避けるような……あー。いや、そうだな」


 揺れていた人差し指がびし! とヤミに向いた。


「敢えて言うならヤミちゃん。君だ!」

「そうだけど、そうじゃねえよ」


 思わず額を抑える。ヤミの沈痛な面持ちをハナは朗らに笑い飛ばした。


「まあ。実際のところさ。この学校に住む人達はみんな家族のようなものさ。そもそも、ボク達が帰るべき場所はこの学校の他にない」


 違うかい? とハナは問う。

 違わないけど、とヤミは答える。

 ふふ、と満足げな顔をした彼女は「しかし」と話題を繋いだ。 


「ボク達は幽霊や精霊、魔女という扱い……アリだな」

「何がだよ。その考えは捨てろ。今すぐ。絶対ロクなもんじゃない」

「あははは、信用ないな!」


 ハナは笑いながら、フェンスを指先でぱたぱたと叩いた。


「ま、ボクはどちらでも構わないさ。ボク達は所謂「学校の怪談」だ。精霊や魔女と同列に扱われてもいいだろうし、幽霊と片付けてもいい。ハロウィンの逸話も、諸説あるようだし。それならボクは、より楽しい解釈を選ぶよ」


 なるほどなと頷いたヤミを見て、ハナも満足そうに笑う。


「ハロウィンがくる。文化祭もある。どちらも祭りの日であることには変わりない。しかも、ボク達が生徒達に混ざって盛大に騒いだって怒られないであろう数少ない機会だよ」


 逃すわけにはいかないだろう? とハナは嬉しそうに弁を振るう。


「いや。普段から混ざってるだろうが。だったら準備の手伝いとかしてきたらどうだ?」

「そこはちゃんと考えているとも。今はまだ準備が始まったばかり。ボクが手伝うのは、もうちょっと佳境にさしかかってからと決めているんだ」


 疑問の視線を向けると、ハナはふふんと得意げな笑顔を返してきた。


「みんな忙しい時の方が混ざるにうってつけだからさ。ヤミちゃんも混ざって構わないんだぞ?」

「いや、さすがに俺はバレる」

「中等部ならいけるのでは?」


 一瞬考え、それでも自分が小柄であることを思い出して呻いた。


「ああもう、俺の事はいいんだよ!」


 思わず喉に詰まった声を吐き出して、ヤミはがっくりと項垂れる。


「――はあ。頼むから騒ぎだけは起こしてくれるなよ?」

「勿論さ」


 ハナは軽く頷いて、ざわめく校内に視線を落とす。


「――ああ、楽しみだね」

 ――ああ。楽しみね。


 風の音に重なって、懐かしい声が聞こえた気がした。なんとなく視線を向けたヤミは、その横顔に思わず瞬きをした。

 二人の間を、秋の風が吹きすぎていく。

 それは穏やかで、優しくて。とても懐かしい……いや、気のせいだ。

 ヤミは何も見なかったことにして視線を同じ所へ落とした。


「……そうだな」


 ぽつりと言葉を零すように頷くと、視界の隅でハナがうんうんと頷いたのが見えた。


 二人並んで学校のざわめきを見下ろす。

 秋の夕暮れはあっという間に宵闇に変わっていく。教室の明かりがあちこちから零れ始める。ずっと眺めてきたはずのその景色。今日も学校は。生徒達は楽しそうだ。

 空の色も二人の距離も、この空気も。いつも通りなのに。


「……随分遠くに来たな」


 なぜか、いくらかの物寂しさを想起させた。


「うん? 何か言ったかい?」


 ハナがチラリとこっちを見る。「何も」と答えると、そうかと頷いて視線を戻した。

 髪に隠れて見えないが、彼女は今、一体どんな目でそれを見ているのだろう。

 愚問なのは分かってる。素直に、楽しみにしている。


 だから。

 ヤミも一緒に、ハナの気が済むまで。

 日がすっかり暮れてしまうまで、準備風景を眺め続けた。

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