探して欲しい、僕の首 3
「――っ! シグレさん! 雨、止めて!」
ヤツヅリの声にシグレの指が呼応するようにもう一度鳴る。
雨は、それが合図だったかのように少しずつ音を潜めていく。
「これで、分かりそうか?」
「多分」
頷いたのはサクラだった。ヤツヅリは眼鏡を押し上げて一言呼ぶ。
「サクラ君」
「うん。任せて。ミサギちゃんは、俺と一緒に」
「はあい」
サクラが保健室の勝手口から靴も履き替えずに飛び出す。ミサギもまた、その後を追いかけるようにぱたぱたと駆けて行った。
サクラはぬかるむ小さな中庭を数歩で駆け抜け、昇降口を横切りながら考える。
彼はメッセージに「苦しい」と書いていた。
痛い、とはなかった。
――つまり。雨には打たれていない。
苦しいと言っていた。
――つまり。水が溜まっている。
シグレさんが雨を強めてから、そんなに時間は経っていない。
――つまり。彼の頭は。
泥だらけの上履きが、理科棟と家庭科塔の間で止まる。
「低い所ならきっと、排水溝のどこかかもしれない。――ミサギちゃん」
「うん。排水溝の水、ちょっと動かしてみるよう」
ミサギは随分と勢いの弱くなった雨に指を絡める。
「よい――しょっとお」
どこかのんびりとしたかけ声で、ミサギの指先に雨が糸のように引っかかる。雨だったはずのそれは地面へと落ちながらも、指に引かれて、地面から剥がれる。
それをきゅっと握ったミサギは、糸から情報を読み取るように胸に当てる。
「うーん、ここじゃ……ない。排水溝ならもっとここを伝って――違う。もっと範囲……違、あれ?」
「うん?」
どうしたの? と問う声ににミサギは「うーん?」と首を傾げる。
「何か詰まってる所が、あるねえ」
「どこ?」
「あっちの。体育館の方」
「分かった。ちょっと行ってくる。その場所の水をどうにかすることできる?」
「うん。こっち側に少し引っ張っておくよう」
まかせてえ、という間延びした声にサクラは「お願いね」と言い残し、その場所へと駆けて行った。
理科棟を回り込み、体育館の近くに来た時。
「あ」
不自然に水が溢れている箇所を見つけた。何かが詰まっているようで、その場所だけ水が排水溝から溢れている。
駆け寄って石製の蓋をなんとか動かす、サクラの手には重かったし、水はとても冷たかったが、なんとか引っ張り上げる。
ごとん、と重い音を立てて反対側へと倒れた石の蓋にも、すり切れた手のひらにも目もくれず中を覗き込む。
――と。
「――っ!?」
排水溝に流れ込んだ枯れ葉や泥にまみれた頭が、転がっていた。
□ ■ □
ざあっ、となんだかすごい音がした。
最初はばちばちとしてた音は、すぐ何かに大量の水を叩きつけるような物になった。
雨にしては音が凶暴すぎるけど、きっとこれは雨なんだろう。と思った。
でも、ここはなぜだか濡れない。真っ暗だからわからないけど。それは嬉しいことだ。
なんて、思っていたんだけど。
「――っ!」
突然、後ろから殴られたような衝撃があった。頭がどこかに転がっっていきそうだけど、首と頭で引っかかって動かない。
あ。痛い。これはちょっと痛い。水かさがどんどん増してきて、あっという間に僕の顔の半分に達した。暗くて見えないのが、余計に怖い。けど、慌てても仕方がない。これまでだってなんとかなった、だからきっと、大丈夫。そう信じないと、叫びだしてしまいそうだった。でも、叫んだら水を飲んでしまうから、だめ。ダメだから。堪えるんだ……と、言い聞かせる。
根拠はないけど、交通事故にあっても、こうして首が身体から離れちゃっても、生きてるんだから。だから大丈夫。じっと、じっと待つんだ。
頭の後ろにぺたぺたと何かがくっついては重なってくる感覚がする。
それをさらに押される感じ。
増えていく水。
最近、僕の身体は何か書くものを持っている。
だから、急いで書き出す。
つめたい。
水が、くるしい。
首を探してくれると言ってくれた誰か。きっと、このメッセージにも気付いてくれるはずだ。
――ああ、でも。
僕ですらここがどこだかわからないのに。気付いてもらえるかなあ……?
□ ■ □
「……正直、心臓止まるかと思った」
ある程度覚悟はしてたけどさ、とサクラはタオルで頭を拭きながら零した。
「でも、頭が後ろ向いてたから少しは怖くなかったんじゃないかなー」
あはははと気楽そうな声が、ヤツヅリにタオルでわしわしと拭かれている頭からする。
黒と赤に塗り分けられたような髪に、好奇心旺盛そうな声と瞳。その表情は、ついさっきまで枯れ葉と泥でぼろぼろになっていたとは思えないほど晴れ晴れとしていた。
「もし目が合ったら俺、どんな行動とってたか分からないよ……」
「良かったね!」
「君は、気楽だな……状況わかっているか?」
髪の毛を拭き終えたヤツヅリがよいしょ、とその首を身体の隣に置く。
「もちろんですよ。わー。僕の身体だ、怪我とかなくてよかったあ」
身体が立ち上がり、自分の首を抱える。
「こう、かな……うーん」
頭を首の上に乗せてみる、が、どうにもバランスが良くないようだった。
しばらく頭を首の上でゆらゆらと動かしながら、様子を見る。
「慣れたら良さそうだけど……ちょっとかかるかな。――よっ」
彼が体を少しずらす。
と、頭がぐらりと体から離れて落ちた。
その場にいた全員が、声を詰まらせる。
が、彼は器用にその首をキャッチし、けらけらと笑った。
「あはは、首だけ落ちるってなんか不思議」
彼はキャッチされた逆さまのままひとしきり笑って、「そうだ」と頭を正しい位置に持ち直した。
落とさないよう大事に抱えて、にっこりと笑う。
「助けてくれてありがとうございました。それで、自己紹介なんだけど。僕、ツバキ。ナギハラ、ツバキって言います」
「それは」
サクラの言葉に彼はうん、と答えた。
「本名。さっきここに来る途中、名前は好きにつけてもいいって言われたけど、ほら。あれだよ。椿」
「椿、ですか?」
サカキが首をかしげる。
「そう、花のね。僕の首、なんだかそれみたいでしょ? 別に未練……は、ちょっとあるかもしれないけど。別に気にしてない。だったら名前、そのまんまでもいいかな、って。それに、僕、この名前気に入ってるし」
「なるほど。よろしくお願いします、ツバキさん」
「うん。よろしくー」
と。身体だけの少年――ツバキは嬉しそうに目を細め。頭を机の上に置いて、とことことサカキのところへと近寄ってきた。
「?」
「ちょっと、いいかな」
「はい」
なんでしょう。とサカキが首をかしげていると、ツバキはサカキの手を取り、ぎゅっと握った。
「!」
びっくりして目を丸くするサカキを気にする様子もなくその手をむぎゅぎゅっと何度か握り直して、ツバキは身体を少しだけ折る。
机の上に置かれた首は、嬉しそうに目を細めた。
「うん。この手だ。僕の声を聞いてくれたのは君だね。お名前、聞いていい?」
「あ。はい……僕、サカキと言います」
サカキがこくりと頷くと、ツバキはとてもとても嬉しそうな顔をしてサカキを抱きしめた。
「わ」
「サカキ君だね。うん。ありがとう。僕を見つけてくれて、声を、聞いてくれて」
「い、いえ僕はできることをやろうとしただけで……」
「それが、僕を救ってくれたんだよ。寒かったのも、冷たかったのも苦しかったのも、全部君が。サカキ君が声を聞いてくれたからだよ」
それからそっと身体を離して、頭を優しく撫でる。
「ありがとう。おかげで僕は頭を見つけてもらえたよ」
それは、心の底から嬉しそうな声だった。
□ ■ □
以来。ツバキは学校内を今日も楽しげに歩き回っている。
首を乗せて歩くのにも随分と慣れてきたけれど、ふとした拍子にやっぱり落ちてしまうから、首にはスカーフを巻くようにしてみた。サカキ君に「お揃いですね」と言われた時は「うん、そうだねー!」と笑って答えた。
サカキ君は、僕の命の恩人だ。
いや、僕はとっくに死んでたからそんなのないのかもしれないけど。
あのまま水に浸かってしまっていたらどうなっていたんだろう、って考えると、やっぱり恩人だと思う。
実際あのままだとどうなっていたか、試してみる勇気はあんまりない。
サカキ君は小さくて風が吹いたら転びそうで、話をしていると弟みたいなのに、どうしてそんなにしっかりしてるのかな、って不思議だったから聞いてみた。
「それはサクラさんのおかげ、ですよ」
と嬉しそうに話していた。「僕の目標なんです」と、大事な秘密を話すように、教えてくれた。
ああ、僕を見つけてくれたサクラさんも恩人だ。
実際にお礼を言ったら、彼は「そんなことないよ」と謙遜されてしまった。サクラさんはもうちょっと、強気になっていいと思う。
かくして。
僕の首は無事身体と再会して。
今日も楽しくくっついたり離れたりしながら。
明るく楽しく、興味津々。好奇心旺盛に過ごしている。
おかげさまで。というとちょっと変な話かもしれないけれど。
僕の話は少しだけ変化をしたらしい。
僕の首と身体がようやく再会して、一緒に在ることができるようになったのが大きな理由なのかもしれない。
放課後暗い教室で。
見知らぬ首を見つけたら。 それは身体を探す合図。
首ナシ生徒を見つけたら。 それは頭を探す合図。
お願い誰か探してちょうだい。
僕の首を。
僕の身体を。
別に取って食ったりなんてしないけど。
見つかるまでは。
ぜぇったいに、帰さない。