第七十三頁
「どうしてこんなところに……」
「きっと、恥ずかしがり屋さんが住んでるんですね」
「こんな魔物がすむ場所に?」
「魔物がいれば、人はいませんからね」
「いや、そう意味じゃない……。って、ちょっと待ってよ」
「道を知ってる人が住んでるかも知れません! 尋ねてみましょうよ!」
メグルは茂みを出て、沼の方へと歩いて行ってしまう。
「勘弁してくれよ……」
こんなところに人なんて住んでいるはずがない。
この小屋の持ち主だって、とっくの昔に引っ越しているだろう。
「すみませーん!」
小屋の前まで来ると、メグルは戸をノックした。
しかし返事はない。
薄暗い森の中、見上げると、小屋は屋根裏のある立派な物だった。
小屋の周りは木が生えていないから、ここらの木を材木に建てたのだろうか。
辺りでは、よく分からない鳥の鳴き声が聞こえている。
「すみませーん」
誰も出てこないのか、メグルはもう一度戸をノックしていた。
屋根に張られた蜘蛛の巣を見て、俺はメグルを説得する。
「誰も住んでないって。それか出かけてるんだ。いつ帰って来るかもわからない
からもう行こう?」
「じゃあ、帰って来るまで待ちましょう」
いつ帰って来るか分からないって言ったのに……。
「あ、でも、中に人がいますよ?」
「って、何勝手に開けてるんだよ!?」
「私の村では、ご近所さんの家に勝手に入ってましたよ?」
「それは田舎特有の奔放さであって……」
「田舎って言わないでくださいー」
「わ、悪かった」
言いつつ、メグルは他人様の家へとづかづか踏み入っていく。
気が引けたが、俺も中へと入って行く。
うん、メグルを連れ戻すためなのだ。仕方ない。
「お、お邪魔しまーす……」
メグルの後に続くと、小屋の中は埃まみれだった。
椅子は散らばり、割れた食器やらが散乱している。
金目当てで荒らしに来る者どもがいたのだろうか。
それにしても、こんなところに人が住んでいるなんて……。
「大丈夫ですか?」
メグルが、誰かに話しかけていた。
部屋の隅で、膝に手を当てて前かがみになっている。
「メグル? 誰と話してるんだ?」
「女の子がいたんです」
「女の子?」
見れば、部屋の隅で女の子と思える子供が、角に向かって体育座りしていた。
女の子らしい、茶髪の長い髪を垂らしている。
「具合でも悪いんでしょうか?」
「俺に聞くなって……」
メグルの問いかけには反応しなかったようで、仕方なく、今度は俺から話しかけてきた。
こんな所に、女の子一人でいるというのも気がかりだったから。
「君、大丈夫かな? ここに一人なの? お父さんとかお母さんは?」
「スグルさん、いっぺんに聞き過ぎです」
「そ、そうだな」
だが、女の子は言葉こそ発しなかったものの、首を振っていた。それなりにしっかりと。
「ええと、どの質問に対してだ?」
「私に聞かないでください」
メグルが、今の俺の質問を分割して聞いた。
「ここに一人でいるんですか?」
そこでやっと少女は顔を上げ、俺たちを見てくる。そして首を振った。
「お父さんとお母さんは?」
それにも首を振った。
一人じゃないのに両親はいない。
どういうことなのだろう。
俺とメグルは顔を見合わせた。
俺自身の顔は見えないが、互いに理解不能な表情をしていたと思う。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん誰? どうしてここにいるの」
少女はすっと立ち上がり、質問返しをしてきた。
「ああ、勝手に入って悪かったよ」
「ひゃん」
メグルの脇を突っつき、引き返すぞ、という合図を送った。
そんな俺たちに、少女はなおも質問を被せてくる。
「ここに住みたいの?」
「いや……。住みたくはないけど。俺たち旅してるし」
「そうなんだ! じゃあ、お客さんだねっ」
少女のその声と共に、開けっ放しだった小屋の戸が閉じた。
バタンという音に、メグルが驚いている。
「……勝手に閉まりましたぁ」
「か、風だろ?」
「風なんて吹いてませんでしたよ?」
「…………」
そんなやり取りをしている間にも、少女は部屋の中をたったと走り回り、椅子やらを配置していく。
ふっ、と息を吹きかけて飛んできた埃が、俺たちの顔を包んだ。
「けほっ……けほっ……」
俺たちの咳が落ち着くと、椅子に座った少女は言った。
「座って!」
どうやら、俺たちにも座れと言っているらしい。
テーブルの埃は俺たちが吸ってしまったが、椅子にはまだ雪のように積もった埃が被っていた。
「これ、座るのか?」
「もてなしてくれるみたいですから……」
言いつつも、メグルも気は進まないようだった。
手で埃を払いのけ、殆んど意味はないだろうが、あまり尻に埃がこびり付かないようにそっと座った。
「んふふ!」
俺たちが座ると、少女は笑っていた。
少女と向き合って初めて気がつく。
少女はフリルの付いた可愛らしい服を着ているのだが、腹や胸の辺りがやけにどす黒いのだ。泥や煤なんかじゃない、もっとべったりした何かの様だ。しかし、それが何なのかは分からない。
しばらくにこにこしていた少女は、立ち上がると何かを探し始めた。
座ったまま、俺もメグルもその様子を窺う。
「ご飯だよ」
そう言われて差し出されたのは、地面に落ちていた割れた皿だった。
俺の方にもメグルの方にも、一皿ずつ配られる。
「ご飯って言われても……」
「何も載ってないですよね」
「そこじゃないと思うんだけどなぁ……」
「いっぱい食べてね!」
しかし、いつまでも食べる素振りを見せないからか、少女は不思議な顔をし始めた。そして、何か思い立ったようにまた動き始める。
また何かを床から拾い上げると、そのままそれを持って外へ出てしまった。
すぐに戻って来ると、それを俺たちの前に用意されたさらの隣に置いてくれる。
「喉乾いたんだね!」
コップだった。
その中に注がれていたのは……汲んだといった方が正しいだろう。
コップの中には、沼から汲んできただろう汚水が揺れていた。
これを飲めってか? なんて、無邪気で親切に差し出してくれた少女の手前、言うことは出来ない。
だが、飲むわけにもいかない。
確実に腹を下すだろう。
横目でメグルに視線をやると、コップを目にしたまま固まってしまっていた。
どうすればいいのか分からないでいるようだ。
「美味しいよ!」
早く飲んでみて、と少女は勧めてくる。
「……じゃあ、いただきまーす」
子供のおままごとに付き合うような口調で、有り難そうにそれを手に取った。
脇で、メグルが驚いた様な声を小さく漏らした。
ちょっと見てろ、とアイコンタクトを送る。
手に取ったコップを、少しずつ口に持っていく。コップの持ち手は埃でさらさらとしていた。
なるべく口元が隠れるようにコップを持ち上げ、飲むふりをした。
「…………」
少女は飲む俺の様子を窺っている。そんな少女の様子を俺は窺う。
「あー、美味しかったぁー!」
皿の脇にコップを置いた。
「ほんとー!?」
「うん」
少女はテーブルに手を突いたまま、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねていた。
「ほんとに、ほんとー?」
「美味しかったよ。ありがとうね」
「……嘘つき。お兄ちゃん、飲んでないじゃん」
「え……」
少女はテーブルに身を乗り出し、俺のコップを覗き込んだ。
「ほら、減ってないしぃ」
「…………」
もう、なんと言い訳したらいいのか分からなかった。
一見すると少女の歳は一桁あたり。
このぐらいの歳の子なら、まだこうした誤魔化しが効くと思っていたのだが……。
「ねえねえ、お姉ちゃんは飲まないの?」
「あ……。その、私は……」
どうするつもりなのか。
メグルは、澱んだコップの中を見つめ、しばらく考えているようだった。
とても悪戯をしているとは思えない、純粋そうな少女の笑顔がメグルを見つめる。
メグルの口が少しずつ開いていく。
「……あ、あの! 私、お腹いっぱいで! えへへ……」
苦し紛れか、考え出した答えはそれだった。
「そっか! お腹いっぱいなんだね!」
「は、はい。ごめんなさい、せっかく出してくれたのに……」
ごめんなさいとは言うが、内心では飲まなくて済んだことを安心しているだろう。
俺も、メグルがそれを口にしなければならなくなるのでは、と心配だったのだ。
「お腹いっぱいだったんだねー」
残念そうに少女は言う。
しかし、そうだ、そうだと俺たちが心の中で頷いていると、少女は追い討ちを掛ける提案をし出した。
「じゃあ、デザートにしよ! 食後のデザート!」
「え!」
思わず声が出た。
嫌な予感しかしない。
この流れでまともなデザートなど出てくるはずがないのだから。
俺とメグルが青ざめていると、少女はまたもテーブルに身を乗り出して言った。
「嘘だよー! デザートなんてないもん」
「そうなんだ……」
「ざ、残念ですね~……」
「残念? 実はあるんだよ? デザート」
「え、そんな……。うぅ……」
「ていうのもうっそー! 出したってどうせ食べてくれないし」
一体何なんだ……。
この女の子は、人の心を逆なでするというか、心理を掴んでものを言っているというか。とても外見から想像できる幼い少女とは思えない。
「前に来た人たちも、お腹がいっぱいだー、なんて言ったりして食べてくれなかったんだよ。お腹の音鳴らしながらそんなこと言う人もいたんだかあ!」
そりゃあ、どんなにお腹が空いていてもそう言うだろう。
それにしても、俺達以外にもここへ来た人がいるのか。
街道がないとはいえ、わざわざ危険そうなこの道を選ぶだなんてどうかしてるよ。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
「なんです~?」
「おい、お姉ちゃんって言われたからって……」
俺は一刻も早くここから出たかった。
女の子がこんな所で一人生活しているのはおかし過ぎるし、何よりも不気味だ。どうやって暮らしているのだろう、と少し気にかかる反面、逃げ出したかった。
「二人は旅してるんだよね!」
「そうですよ~」
「だから……」
「じゃあさ! お家が無いんだよねっ。今日はここに泊まっていってよ!」
「お泊りですか? いいですね~」
「おい、メグル!」
「いいじゃないですか。この女の子も一人で寂しそうですし」
「だけどさ……!」
「私、寂しいな……」
「は?」
少女は急にしおらしくなっていた。
わざとらしい。ふざけるな。
だが、メグルはそんな風には思わないそうだ。
「ほら! 可哀相ですよぉ。一日ぐらい、いいじゃないですか」
優しいのか馬鹿なのか。
いくらメグルの頼みでも、こんな所で泊まりこむのは、たった一日でもごめんだった。
「駄目だ。俺たちにはテントだってあるんだし、寝る場所にはそれほど困らないだろ」
「でも、テントだと魔物に襲われるかもしれません」
「今までもそうだったろ。ていうか、いくら木造の家だからって、こんな魔物の巣窟な森だったらどっちでも同じだ」
「同じならいいじゃないですか」
「いや、俺たちは森を出たところでテントを張るんだって!」
「そんなに大きな声出さないでくださいよぉ。じゃあもういいです。私は今日、この子と一緒にここに泊まりますから。スグルさんはお外でテント張っててください」
「そんなわけにはいかないだろ」
「じゃあ、泊まりましょう」
メグルは一体、どうしてしまったのだろう。
こんなに強情だった時があったか?
確かに、旅立つときは自分の気持ちを優先させている様なこともあったけど……。
「……分かったよ」
泊まりたくなどない。
その気持ちに変わりはなかったが、メグル一人を残してこんな所に置いておくわけにもいかなかった。
仕方なく、俺もこの小屋で夜を過ごすことになったのだった。




