(6)
(ルイスが学校に通うにはまだ少し時間があるから──)
そこまで考えていると、ふいに「イザベル?」と呼ぶ声がした。
ハッとしたイザベルは顔を上げる。アレックスが心配そうにイザベルの顔を覗き込んでいた。
「何度も呼んだのに全く反応がないから心配した。気分でも悪いのか?」
「いえ、そんなことはないわ。ちょっと、考えごとをしていただけ。……ルイスは?」
「眠いからお風呂に入ると言って、もう部屋に戻った。大丈夫か?」
アレックスは眉を顰める。
ルイスが部屋に戻ったことに全く気が付いていなかった。あれこれと悩んでいるうちに、想像以上に時間が経っていたようだ。
「考えごとというのは……何か悩みでもあるのか?」
アレックスの手が伸びてきて、テーブルの上のイザベルの手に重ねられる。
「あの……」
「悩みがあるなら話してくれ。きみが心配なんだ」
真剣な顔で言われ、胸がドキッとした。
言ってしまいたい。けれど、言っても信じてもらえないだろう。
「……今日、ジェシカ様に私が作った玩具を売ってみたらどうかって言われました」
代わりに口から出たのは、ちょうど相談しようと持っていた別のことだった。
イザベルは、アレックスに昼間の出来事を話す。
ジェシカの周囲にも欲しがっている人がいること。
自分でも、もっと多くの子供たちに遊んでもらえたら嬉しいと思ったこと。
けれど、侯爵夫人である自分が商売を始めることを、よく思わない者もいるだろうということ。
アレックスは途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
「それで、周囲の声が聞こえないほど悩んでいたのか?」
「はい」
イザベルは頷く。本当は別の悩みだったけれど、これにも悩んでいたことは嘘ではない。
「金儲けをしたいわけじゃありません。ただ、もしも私の作る玩具を欲しいと思う子がいるなら、もっとたくさんの子供達に遊んでもらいたいんです。ルイスみたいに、遊びながら色々なことを覚えて……楽しんでくれたら」
「なら、やればいい」
「え?」
即答だった。悩む様子もなく答えるアレックスの態度に、イサベルはぽかんとする。
「聞いていました?」
「もちろん」
「私が商売をするとアンドレウ侯爵家に迷惑が掛かるかもしれないですよ?」
「かからない。気にするな」
アレックスは平然としている。
「人を見る目のない連中が少し騒いだ程度で揺らぐほど、アンドレウ侯爵家は弱くない。まあ、さすがにバレステロス公爵家には敵わないが」
「…………」
「それに、きみがしようとしていることは、法に触れるわけでもなければ、家名を汚すようなことでもない。つまり、何も気にする必要はない」
「いいのですか?」
「もちろん」
あまりにも堂々と言い切るものだから、イサベルは思わず笑ってしまった。
「あまりにも簡単に言い切るから、悩んでいた私がバカみたいです」
「君はバカではない。とても聡明な女性だと思っている」
真面目な顔でそう返され、イザベルは戸惑う。彼の青い瞳に熱が孕んでいる気がして、咄嗟に目を逸らす。
「とにかく、ありがとうございます。そう言っていただけて、ホッとしました」
「ああ。もし心配なら、最初から大きく始める必要もないだろう。職人に頼んで少量作らせて、口コミで欲しがっている者に売ってみればいい。個人サロンで香水を売っている夫人と同じだ」
「確かに、そうですね」
イサベルの表情が明るくなる。
アレックスが言う通り、調香が趣味で個人的なサロンで香水を売る夫人はいる。イザベルは香水ではなくおもちゃを売るだけ。そう考えると、なんら特別なことでもない気がしてきた。
商売を始める、と大げさに考えるから怖くなるのだ。
「職人との交渉は俺が手伝おう。口コミで売るなら必要ないと思うが、もし販路を広げる場合は信用できる商人も紹介する」
「そこまでしてくださるんですか?」
「妻を支えるのは、夫として当然の役目だろう?」
アレックスは小さく笑う。その笑顔に、イサベルは目を見開いた。
(妻を支える、か)
どうしてこんなに、嬉しく感じてしまうのだろう。
「ありがとうございます」
「ああ。それに、色んなおもちゃを考えたり、作っているときのイザベルは楽しそうだ。俺は応援する」
イサベルは一瞬、言葉を失った。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
誰かが無条件に自分の見方をしてくれると言うのは、こんなにも嬉しいことなのかと思う。
(アレックス様に相談してよかった)
一年前なら、こんなふうに自分のやりたいことを相談するなど考えもしなかった。けれど今、アレックスは誰よりも頼りになる存在になりつつあった。
「私、結婚した相手がアレックス様でよかったです」
イザベルはふわりとほほ笑む。
アレックスは大きく目を見開いた。
「そうか……」
ふいっと目を逸らした彼の耳は、ほんのりと赤くなっていた。




