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[chapter:2]

[chapter:2]


 ――……おかしいなあ。


 念のため明日まで入院して、明日検査をいくつかして問題なければ退院です。

 お医者さんに言われた言葉を頭の中で反復して、内心首をかしげる。

 子どもじゃあるまいし、半日ぐらいちゃんと生きてるよ。と、思った矢先にこれだ。

 確かに、なんだかんだ忙しくて昼ご飯が食べられなかったし、水分もあまり飲んでいなかった。

 病院に運ばれて、夕方ぐらいからぐっすり眠ってしまったせいで、夜だというのに眠気の気配はない。

 四人部屋なので音や光で誰かを起こすのも申し訳なくて、床頭台に備え付けられた明かりのツマミを一番光量が低いものにして、ぼんやりとした薄暗いオレンジ色の明かりの中、点滴をつけられた腕を布団の上に放りだして、ただひたすらに天井を見上げる。

 廊下の方は明るくて、わずかに光が差し込み、遠くではわずかに人の話し声のような音や、時折物音が聞こえる。看護師さんがパソコンが乗ったカートを動かしている音だろう。

 起きてしまってからしばしか、しばらくか、時間の感覚はもうなくて、ただひたすらに白い天井を見上げている。

 ……これじゃシンにまた怒られるなあ。

 大の大人なのに、健康管理もまともにできないんですか。

 そう真っ向から注意をしてくるシンの声が聞こえてくるような気がして、やれやれと何度目かわからないため息をつく。

 心配、してくれているんだろう。

 だから怒るんだ。

 だって、俺が死んだら、担当死神のシンも消滅するから。

 だから。


 ――俺のため、なんか、じゃ、なくて。


 何度目かわからないため息を、もうひとつ増やす。

 眠気のやってこない静かな部屋で、天井を見上げてじっとしていなければならない。そんな状況で、できることといえば考え事ぐらいしかないし、考えることはそう多くない。

 亀たちは大丈夫かなとか、冷蔵庫の食材は大丈夫かな、とか、普段のことについてはその程度だ。問題なければ明日には退院できるので、悩みとしてはそう大きなものではない。

 なので、考えてしまうことといえば、生とか死とか、そんなことだ。

 いつやってくるのかわからない、俺の死。

 そう遠くない、その日。

 死ぬのが決まっていて、その時に魂が迷わないように、シンはずっと近くに控えている。

 ――問題なさそうだけどね、一応一晩様子を見ようか。

 そうあっさり言った医者の言葉を思い出し、思わず苦笑してしまう。

 いいえ先生、だけど俺、そう遠くない内に死ぬらしいです。

 普段ならそんなに気にせず過ごしているのに、不慣れな環境で緊張しているのか、それとも病院という空気がそうさせるのか、考えるのはそんなことだ。

 薄ぼんやりとした不安と恐怖が、カーテンで仕切られたこの狭い空間に居座って離れない。

「――……早く、」

 帰ってこないかな。そう口にしかけて、ぱくり。と、口を閉ざす。

 誰が、なんて考えるまでもない。

 早く叱られたいなんて、まさかそんな。

 わずかに横を向いて、無理矢理目を閉じる。


 ――『好意、愛情、思慕に恋慕、コイツらに親愛の情は不要だ。むしろ邪魔になる。だからコイツは忌避している、そうやって自分を守る哀れな化け物に、お前はひとつずつ余計な感情を教えてどうするつもりだ』


 ――『むつきが、死んだかと。なにも、できなかっ――』


 ぷかりぷかりと浮かんで、泡のように消えるとりとめのない不毛な記憶は、ここしばらくの波乱を凝縮しまくった波乱の最中に交わした会話だ。

 少し経つというのに、その声の鮮明さは色褪せることもなく、まるで昨日や今日言われたことのように声音まできれいに頭の中で再生される。


 ねえ、シン。なにをしたって、俺は死ぬんだよね?


 なんで死んだかと思った。なんて、必死にしがみついてきたの。


 あの縁日の夜のできごとは、引っかき回してきた稲荷のせいでうやむやだ。あれきりシンはその時のできごとややり取りに触れてこないし、俺からも口に出さない。

 だけど、あの一件以降、シンの態度は変わらないながらも、なんだか距離を置かれているような気がする。


 ――『このままでは、いずれお前は死ぬ。半端に育った感情など重荷にしかならない。図体ばかりが大きな子どもに、重荷を耐える力はない。この化け物の事を想うなら、最初から構うな。それが愛情だ』


 ――『……俺はそんなことしたくない』


 ――『なら、』


 覚悟はあるのか?


 シンに重荷を背負わせる覚悟。


 で、でもさ、俺だけのせいじゃなくない?


 途端に浮かぶ反証に、布団をかぶって口をへの字にする。


 だってそもそも、シンが仕事とはいえ押しかけてきて、向こうが先に俺のことを惹きつけたんだ。俺だってさすがに、嫌なヤツだったりしたらこんなことにはなってない。

 ずっと寄り添うように近くにいられれば、そりゃ情だってうつるよ。

 たとえそれが、


 ――シンにとって、『いつもの仕事』だとしても。


 そうか。と、布団の中で小さくつぶやく。

 微妙に俺の中でわだかまっていた違和感の正体に気づく。

 シンにとっては、普通なのだ。

 俺みたいな運命の人に寄り添うことも、その死を見届けることも。

 そうして彼は、俺が消えた後も、次の仕事にとりかかり、「そういえばそんな人もいましたね」と涼しい顔で、次の人の近くで控えるのだろう。


 俺じゃない、別の、


 ああ、と。嫌な想像に小さくうめく。

 脳裏をよぎるのは、シルバーのネックレスだ。

 シンに「嫉妬ですか?」と、言われたことを思い出す。シンがどんなつもりでその単語を口にしたのかわからないけれど、その言葉は見事に的中していたんだろう。

 ただの仕事でしかない俺と、シンの心に深く根付くネックレスの贈り主。その対比に、夜の暗闇も手伝って、憂鬱な思考がやってくる。

 比べたって仕方がないことぐらい、頭では理解している。ーー……頭では。

 というか、そろそろ観念して認めなくちゃいけない。


 俺はシンを、


 パタパタパタッ!! と、廊下から軽い足音が響いてきて、はっ、っと息をのむ。

「……え、あ?」

 眠くないと思っていたものの、半分ぐらい眠ってしまっていたらしい。

 突然の覚醒に戸惑いながら、布団をはねのける。廊下からの軽い足音は未だに響いている。

 体重の軽いその足音は、どうも子どもの走るような音で、思わず眉をひそめる。

 ここは内科の病棟だ。院内に小児科もあるものの、こことは別の階で、面会時間すらとうに終わっている。

「……なんだ……?」

 遠くから走ってきた足音は、廊下に反響しながら俺のいる病室の前を通り過ぎてゆく。

 それだけなら、そんなこともあるか。と、気にしなかったかもしれない。

 次いで、廊下から『イヤな気配』を直観的に感じて、体を起こす。

 体感温度が下がったのか、それとも冷気のようなものなのか、足音を追うようにそんな不気味な気配が廊下の方から感じて、ベッドから足を下ろす。

 多分、あの子どもの足音は、あの嫌な気配から逃げている。そして気配は、子どもを追っている。

 そして多分、どちらも生きた人間ではない。

 反射的に立ち上がり、点滴パックを天井からぶら下がった点滴棒から、キャスターへと移動して、靴をつっかける。ベッドを取り囲むカーテンのすき間から通路に出て、部屋のスライドドアの形に切り取られた廊下からの明かりを見て、それからふと、カーテンのすき間から見える隣のベッドを見て、

「……ん?」

 異変に気付く。

 隣のベッドに人がいない。自分が救急外来から病室に案内された時、挨拶をした初老の男性がそのベッドにいたはずだ。挨拶をしたし、咳払いや寝返りをうつ人の気配は感じていた。

 ベッドの上は毛布が動いた跡があり、枕は頭の形にへこんでいた。

「――……」

 気づけば、人の気配がない。

 反対側のカーテンのすき間から中をのぞけば、やはりベッドの上には人がいた痕跡があるのに、患者がいなかった。

 ベッドサイドに置かれた置時計は、針が蓄光式になっていて、午前二時ごろを示していた。


 これは。


 猛烈に嫌な予感しかしない。常識では考えられない事態だとするなら、常識外の状況の中にいると考えるべきた。というのは、ここのところのあれやこれで思い知らされていた。

 ただ、問題はシンがいない。

 不思議現象については大体シンが説明や解説をしてくれたりしていた。

 あいにく俺には今まで霊感のようなものはなく、うまく対応できる自信はない。

 じっとしているのが賢明だろうか。そう考えたとき、廊下にまっすぐ影が伸びてきた。

「――……」

 なにかきた。

 点滴棒片手に、ただじっと動きを止める。

 伸びた影を踏むように、ソレは姿をあらわした。

 黒くて大きい。大きなトカゲや、あるいはヒトみたいな形のそれは、鈍重に体を動かしながら廊下をまっすぐに這ってゆく。いつかの高校で見た、いわゆる『幽霊』に、その黒い影の姿や雰囲気は似ていた。

 頭のような部分を持ち上げて、周囲を見回す動作は、明らかになにかを探していて、直観的に、先に聞こえた子どもの足音を追っているんだ。と、感じる。

 オカルト関係はまったくわからないけれど、その黒い影からは猛烈に嫌な感じしかしない。


 シンはいない。


 どうしよう。


 逡巡の瞬間、点滴棒をにぎる手に力を入れてしまい、キ。と、キャスターがわずかに軋んだ。


 ――しまった。内心冷や汗をかきながらキャスターを見て硬直する。


 静まり返った廊下からは、なんの音も聞こえない。


 おそるおそる視線をあげると、


 真っ黒で丸い頭がねじ曲がり、おかしな角度になりながら、じっとこちらを向いていた。

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