和解
次話です。どうぞ。
日が明けて次の日。一心の家では目の下に真っ黒のくまを拵えた一心が、朝食を前に唸っていた。
「何故だ……何故上手くいかないんだ……」
滑車のお披露目と、釣瓶制作の許可を得る為のルウェルとの面会。それを前に行った滑車の最終確認で、致命的な欠陥が見つかった……というわけではなく、単に一心の魔法習得が上手くいかなかったのだ。
「触媒との相性が悪かったか、あるいは才の問題か」
答えを欲しての嘆きではなかったのだが、思わぬところからの返答に、顔を上げる一心。
「ど、どういうこと?」
「まずはご飯食べて。冷める」
ついつい力の入る一心に対して、ハルは相も変わらぬ調子で非常にマイペースだった。それに気勢を削がれた一心は、仕方なしに飯をかっ込み、そして噎せた。
「ごほ、げほっ……っく」
「はい」
すかさず差し出されたティーカップから水分を補給し、人心地ついた一心。そこで今飲んだ飲み物の中身に気づく。
「これ……緑茶だ……」
記憶にあった茶に比べるとまだまだ渋みだけが強く、そこにほのかに香る甘さなどはない。しかし、今一心の手の中で湯気を立てている緑色の液体はまごうことなく緑茶であった。
「取り寄せた」
そう言葉少なに口にすると、己もそれを口へと運ぶハル。しかしすぐに顔をしかめ、砂糖瓶へと手を伸ばした。
「あ、ありがとう……」
緑茶に砂糖入れるんだと思いながらも、彼女が誰のために用意してくれた物なのか分かる一心。素直に感謝の言葉を述べる。
もともと緑茶は存在せず、基本は紅茶なこの地方で、緑茶を飲みたがるのは一心だけだ。
以前彼がぼそりと呟いた言葉を覚えていたハルが気を利かせて取り寄せたのだろう。無論……
「姫様から」
ルウェルの指示を受けて。
「そっか……ルウェルが……」
最初の頃、一心は1度彼女とお茶をしたことがあった。その時にぼそりと呟いた緑茶が飲みたいという一心の呟きと、教えた紅茶と緑茶の細やかな違い。確かハルもその場にいたはずだ。
ルウェルにしてみれば、幾つか打った一心懐柔の一手に過ぎす、本人でさえ忘れているような些細な一手だった。しかし一心とっては、日本を感じられるこの上ない一手となった。
「ご馳走さまでした」
「ん」
ここでお粗末様でしたと言わないのがハルという女性だ。
(それにしても、これじゃまるで……)
手早く食事の後片付けを始めるハルを眺めながら一心は思う。これでは新婚みたいだと。
(いいよな……ハル)
黒髪、黒目のハルは、容姿的には日本人女性と変わらない。小柄なところも可愛らしく、慎ましい胸は一心の好みだ。ルウェルが西洋人形だとすると、ハルは日本人形とでも言ったところか。そして何より、
(あの尻尾と耳がたまんないよな。触りてー!!)
背後で揺れる尻尾と、ピンと立つ小さな獣耳。
(ああ……モフモフして、にぎにぎして、パンパンしたい……)
そっちの属性は持っていなかった一心だが、しかしハルは、そんな一心にもそう思わせるだけの魅力と破壊力を秘めていた。生粋のケモナーならば、文字通り垂涎モノだっただろう……
「何か?」
「いや、何でも。あ、手伝います」
しかし悲しいかな。そんな魅力溢れるハルが身近にいながらも、手を出せないのが一心という男だった。そしてだからこそ地球世界ではゲームと小説をこよなく愛するオタクをしていたわけで……彼女がいないわけで……早い話がヘタレだった。
(ほんと俺って恩知らずだよな……)
そんな風にハルを眺めるうちに思考はルウェルへと向かう。そして必然的にあの一件から今日に至るまでの己の態度にも。
(なんか最近同じことばかり考えてるよなぁ……)
時間がある時に思うことは、己の行動とルウェルの善意。そして謝罪の念と後悔。
(命を救われたことといい、受けた恩の方がはるかに大きいわけで……そして今考えればたかが剣を突きつけられただけで怪我1つないんだよな、これが)
あの時は剣を向けられていて動転していたが、しかし剣を向けられた経験自体は初めてではない。幼い頃から祖父の影響で時代劇か好きだった一心は、物心着いた時にはすでに祖父に連れられて、町の剣術道場へと通っていた。そして何より……
(剣あったもんな……うち)
日本の現代家庭では珍しい事に、一心の家には真剣があった。そしてさらに珍しい事に、その一振りは祖母の作だという。そんな祖母の影響で一心も何度か真剣を持ったことがあったのだ。
「なのに怒って怯えて、飛び出して。そのくせ1人では生活できないからってハルを付けてもらって。甘えてるよな……ほんと」
洗濯も料理もメインでやっているのはハルだ。一心も日々彼女を手伝うことで、それらを学んではいるが、未だ手伝いの域を出ない。
そんな己が一人前気取りで色々やろうとしていることが、寧ろ滑稽に思えた。
「一心?」
「――っ!? 俺今口に出してた?」
気付くとハルが手を止め、視線を一心へと向けていた。
「手伝って」
しかしハルは、聞こえていたであろうにそれには一切触れず、一心へと仕事を振る。それは普段ならハルが1人で済ませてしまうような簡単な作業だった。彼女なりの気遣い……だったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
普段通りに片付けと昼の仕込みを終えたハルとそれを手伝った一心は、まずは二人連れ立ってガンテツの元へと向かった。
そこで滑車と幾つかの部品を受け取ると、今度はガンテツも含めた3人でルウェルへの面会に向かう。
道中特にこれといった出来事は起こらず、事前にハルを通して話が伝わっていた為か、ルウェルとの面会は、ほとんど待たされずに行われた。
「久しぶりですね、一心」
「お久しぶりです」
初めてルウェルと対面した時と同じ、客間のような部屋へと通された一心。しかしどういう訳か、常にそばに控えていたリュークもエルクもその場にはおらず、一心達に対応したのはルウェル一人だった。
「ええと……お一人ですか? 姫様」
「っ――はい。リューク達には別の仕事がありましたので」
その事に疑問を感じ、尋ねる一心。『姫様』と一心が呼んだのは、一応場を考えたのと、ガンテツの存在を気にしたからだ。しかしルウェルは別の意味で受け取った。
(まだ許しては頂けていないのですね……無理もありませんか。私たちは非のない彼に剣を突きつけ、詰問したのですから……)
数日が経過した今、リュクスを発端とした事件は、一心とルウェル両者の間でかなりの齟齬が生まれていた。
ちなみに、この場にリュークとエルクを同席させなかったのは、言うまでもなく一心に考慮した結果だ。例のごとくエルクが盛大にごねたが……
「……以上が滑車による水汲みの仕掛けです。この装置を俺のせか……いたところでは釣瓶と呼んでいました」
そのままルウェルが気落ちした中で話は進む。彼女の態度が何処か上の空だと感じた一心は、いかに釣瓶の有用性を伝えるかということに神経を注いだ。
『世界』という言葉を咄嗟に飲み込んで『いた場所』と言い換えたのは、この場で唯一事情を知らないガンテツに対する配慮だ。
「分かりました。それではまずここの井戸に取り付けて下さい。それを見てから判断します」
「ありがとうございます?」
手応えが無かったが、すんなりと話が通ったことを訝しむ一心。
「加えて幾つかの井戸が老朽化しとりますのでな、修繕の許可もいただきたく……」
「分かりました。許可します」
「ありがとうございます」
一心が黙り込んだ間を的確に利用したガンテツの要望にも、ルウェルは実にあっさりと許可を出した。
ガンテツの方は分かるが、自分の方はもっと相談したりと、判断に時間がかかるのではと思っていた一心は、何処か納得がいかない。
しかし結果は求めていた通りなので文句も言えずに、呆気なく会談は終わりを告げた。
因みに、ルウェルは誰にも相談しなかったのではない。ハルが事前に一心に聞かされていた範囲で釣瓶についての説明を行っており、昨夜のうちにリュークやエルクなど、主だった者の間で対応が話し合われていたのだ。
「ではガンテツ、引き続き一心への協力をお願いします。細かい詰めはリュークと行って下さい」
「分かりました」
最後にルウェルはそう言って話を締めくくる。
「一心はそのまま残って下さい。話があります。他の者は退出を」
そして彼女は、ガンテツとハルには退出を促し、一心には残るよう伝えた。その口調はどこか硬く、重かった。
「……それで姫様。私に用とは何でしょうか?」
ハル達が退出したのを見届け、ルウェルへと向き直る一心。1人残された不安と警戒心が、彼に滅多に使わない外行きの言葉を使わせる。しかし――
「え? あれ……ちょと姫様?」
「…………さぃ」
なんとその場で泣き始めてしまったルウェル。声を上げず、俯き気味に無言で涙を流す姿に、焦り、戸惑う一心。
「えっと……今何て?」
「姫様……て、……呼ば……下さい」
途切れ途切れだったが、彼女の言いたいことがわかった一心は投げやりに頭をかく。
「あ……それ。ルウェルでいい?」
そう告げると、ルウェルはこくんと頷く。
実は、今回の面会で最も緊張していたのはプレゼンをした一心ではなく、ルウェルだった。
彼女は今日を機に、再び一心との関係改善を狙っていた。しかし会ってみれば一心は彼女のことを姫様と呼び、終いには他人行儀な冷たい言葉を掛けた。その事が、彼女に深いショックをもたらした。それこそ本人が想像もつかない程に。
「あと……怒らないで……下さい。許して下さい」
なおも泣ながら言葉を続けるルウェル。しかし一心には、それが何に対するものなのか分からない。
「いや、怒ってないよ。大丈夫だから……ね?」
しかし、泣く少女に『それって何に対して?』などと聞けるはずもなく、取り敢えず慰める一心。怒るような出来事があったか? と頭の中で考えながら語彙を駆使して慰め続ける。と言ってもそこは甲斐性なしでヘタレな一心。抱き寄せるなどと言った気の利いたことは頭にも上らず、使える語彙も多くはない。
精々が頭を撫でるぐらいだ。それでも拙いながら続けるうちに、次第にルウェルも泣き止んでいった。
「すみません……お見苦しいところを」
「いや、それはいいんだけど……」
細くて柔らかかったなーと、手に残るルウェルの髪質を思いながら少し名残惜しく感じる一心。泣き止んでくれたことにはホッとしていたが、そんなことを思ってしまう時点でどうしようもない。
「それで、怒ってるって……俺が? 何に?」
そろそろ大丈夫だろうと、出来るだけ優しい声音を心掛けながら尋ねる一心。
「ええと、リュクスのことです。何も尋ねないままに、勝手にあなたが悪かったと思って剣を向けて……」
「あぁ……」
次第に語尾が小さくなるルウェル。対して一心は、確かに怒っていたかもと、当時のことをを思い浮かべる。そんなに前のことでも無いのだが……
「本当に怒って無いよ。いや、あの時は怒ってたかもだけど、すぐに冷静に……はならなかったな。でも数日したら冷静になって、今は寧ろ後悔してるし、申し訳なく思ってます」
後悔と、申し訳なさ。最近ではそれらの感情が強過ぎて、怒っていたこと自体が記憶から抜け落ちていたと一心。
「何故ですか……悪いのはこちらなのに……」
それを聞いて、最初はそれが一心の本心からの言葉なのかどうかを掴み兼ねていたルウェル。しかし逸らされることなく見つめてくる一心の瞳に、そこに嘘も偽りもないことを感じ取ったルウェルは、只々疑問ばかりが募った。
「上手くは言えないんですけど……」
ちょうど今朝感じていた事だと、思っていることを伝える一心。
こうして、互いに負い目を持ちながらも中々伝えられずにいた謝罪の言葉が交わされ、事態は収束する。
きっかけは一人のメイドの勘違いと行き過ぎた行動。そして結果は、本心を互いに少しずつ吐露して、ちょとだけ近くなった2人の距離感だった。
「今だから言うけどさ、普通やらないよね? 熱湯に手を突っ込むなんて。忠誠心も行き過ぎるとどうかと思うよ?」
「そうですね。一度確認すればそもそもが起こらなかった事ですし。自重してくださいな」
後日。リュクスも交え、改めて彼女から一心へと謝罪がなされ、一心の方も感謝の言葉と労りの言葉、そして謝罪を述べた事で事態は完全に決着する。その場には、仲良くリュクスに小言を言う一心とルウェルの姿があった。
小さな事件が収束しました。いよいよこれから怒涛の展開が待っている……はず?