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青い空に、太陽と真っ白な入道雲が浮かぶ夏の終わり。クレメンツ帝国の首都の端に佇む孤児院の中で、ひっそりとした戦いが繰り広げられていた。――というのも、遊び盛りの初等部生がよくやる、夏休みの最終日に宿題をためこんであたふたするとかいう出来事のことを言っているのだが。
運営者による、子供たちへの料理教室が開催されている上の階の部屋で、少女、ステラ・イルフォードはひたすら紙と向き合っていた。栗色の髪が今日はポニーテールにされ、どこか普段よりやんちゃな雰囲気が醸し出されている。だが、目つきはやんちゃ者のそれではなかった。機嫌悪そうに細められ、ただ目の前の紙を凝視している。はっきり言って、少女のものとは思えなかった。
そのうち、ステラの口から呟きが漏れる。
「何よこれ……」
声は低く、どんよりとした雰囲気を漂わせていた。彼女ははぁ~と長いため息をもらしてから不意に体を起こす。そして、力の限り白い天井に向かって叫んでやった。
「武術科の生徒にこんな難しい宿題出すとか、うちの教官は鬼かあああああああああっ!!」
だが、その叫びはある程度こだまするとむなしく消えた。ステラは顔を下ろし、またため息をつく。難しい宿題が出るのは仕方がない、何せ名門中の名門、クレメンツ帝国学院なのだ。だが、ほとんど怪力バカで生きているような武術科の生徒に、魔導術の六大元素――基本的な属性、火、地、風、水、光、闇――の応用問題を出すのはいかがなものかと思う。
しばらくうなった。部屋の向こう側から子供たちの愉快な笑い声が聞こえてくる。小さな子がうらやましい。昔、孤児であったはずのステラは一瞬そう思ってしまい、すぐに恥じた。
だが、その瞬間あることを閃いた。
「そうだ、あいつに教えてもらえばいいんだ!」
言うと、彼女は立ち上がった。その顔はさっきまでとは違い、活気に満ちあふれている。早速彼女は階段を駆け下り、キッチンに子供たちといるミントおばさんに向かって叫んだ。
「おばさん、電話借りる!!」
「あらステラ。いいわよ、ご自由に使ってちょうだい♪」
いつものことながら、この養母はあっさりと承諾した。ステラは急ぎ足で入口付近にある電話置き場へ向かうと、受話器をひっつかんだ。帝国学院寮までつなぐ。
『はい、こちら帝国学院寮』
すぐにお固い電話番の声が聞こえた。今日は女性のようだ。
「コード〇二八三、高等部一年のステラ・イルフォードです。レクシオ・エルデに繋いでいただけませんか?」
珍しく慇懃な口調でステラがコードと名を名乗ると、電話番は『分かりました、少々お待ちください』と言った。それから待つこと三十秒余り。ステラは、電話口の向こうの相手が変わったことを悟った。
「あ、もしもしレク? おはよー」
『おーステラ。どうだ、宿題終わったか?』
ステラが声を上げた後、向こうから馴染んだ声が聞こえてくる。その言葉に、思わず「うっ」と詰まった。まさか、こちらの用件を見透かしていたのか? そう予想した。そしてその予想はすぐに確信へと変わる。相手はカラカラと笑うと、こう告げてくれたのだ。
『いや~。こんな時期におまえがわざわざ電話してくるような用事って、想像ついちゃうからな~。どうしたん? この前の人形騒ぎで心が浮ついてるとか』
「うっさいわ!!」
ステラは相手に、レクシオに叫ぶ。それからすぐに山奥の館と少女ミシェールのことを思い出した。狂った大人によって人形に魂を封じられた哀れな彼女は、チェルシーと仲直りできたのだろうか。ふと、そんなことを思う。
不意に、レクシオが言った。
『しょーがないな。日曜日の会合の時に教えてやるよ。確か今回、おまえんとこの孤児院でやるだろ?』
言われて思い出す。ステラが所属している学院内のグループ『クレメンツ怪奇現象調査団』は、一か月に一回会合と称して、団員の誰かの住居に上がり込むのだ。話の内容はたわいもない雑談と、最近の怪奇現象の報告。そして今回、住居がステラの番まで回ってきたわけである。といっても孤児院は一応公共施設だから、みんな最初は遠慮していた。だが、ミントおばさんが例によって例のごとく快諾したため、今は容赦なく上がり込んでくる。
思い出したステラは、表情を明るくして言った。
「あー、会合! そうだったね! じゃあ、よろしく」
『やれやれ』
ちゃっかりお願いしてくるステラの言葉に、幼馴染は呆れたような声を出す。だが、どこか嬉しそうだった。心の中で、勝利のガッツポーズを決めた。
陽の月下旬、夏休みも残り数日というある日の朝のことだった。




