真の実力
通路を進み始めてから、一時間ほどが経過しただろうか。
もちろん地図なんて便利なものはないので、どこへ向かっているかは完全に運だ。
幸いなことにまだ魔物には出会っていないが、そんな幸運がいつまでも続くとは思えなかった。
「このままサクッと階段が見つかればいいんだけど……さすがにそんな都合よくはいかないよな……」
ここ『伏魔殿』には、悪魔系の魔物が多数出現する。
特に、このダンジョンの魔物は物理方面に特化しており、単純な力だけなら同ランク帯の魔物を遥かに凌ぐ。
魔法のような遠距離攻撃を扱う魔物が少ない、というのはありがたいが、だからといって油断のできる相手ではない。
そんな事を考えながら歩いていると、わずかに振動を感じた。
急いで岩陰に身を隠して周囲の様子を確認すると、少し離れた場所で動く巨大な影が目に入った。
圧倒的な存在感を放つ――3メートル近い巨体を持つ漆黒の狼だ。
その頭部からは、悪魔を思わせる捻れた角が生えていた。
「あれはイビルウルフ……の上位種か……?」
イビルウルフはB級上位の魔物だ。
パーティーでなら討伐したことはあるが、俺が単独で倒せる相手ではなかった。
しかも目の前にいるソレは、自分が知っているものと比べても二倍以上のサイズの肉体を持つ化け物だ。
「やるしか、ないか……」
まだ気づかれていないが、獣系の魔物は総じて鼻が利く。
隠れてやり過ごす、というわけにはいかないだろう。
かといって、引き返すという選択肢はなるべく取りたくない。
食料がない以上、時間は有限である上に、引き返したとしても他の魔物と遭遇しないとは限らない。
自分の戦闘力を知っておく、という意味でもここで挑戦しておくのは悪くないはずだ。
それに、新しく手に入れたスキルのこともある。
『瞬発強化』や『筋力強化』といったスキルの効果で自分の身体能力が上がっている感覚はあるが、魔物に対してどれだけ優位に立ち回れるか未知数だ。
魔法に関しても同様で、現状使える魔法がどれだけの威力を発揮してくれるか分からない。
確かに今の俺は『魔導強化』に加えて、複数の魔法系のスキルを所持している。
しかし、魔法についてはとことん素人だ。
俺の魔法が、この階層の魔物に対して有効打となり得るのか、という疑問も解消したい。
俺は岩陰から上半身をわずかに出し、右手をイビルウルフの方へ向けた。
「あんまり派手な魔法を使って、他の魔物が呼び寄せられても困るからな……」
イメージするのは風の刃。
ベレニアがよく使っていた魔法なので、なんとなく印象に残っていた。
宙を漂う魔力を、手のひらに集中させる。
『魔力感知』のおかげで、魔力をどこへ動かすべきか、どのくらいの密度で込めるべきか、ということが手に取るようにわかった。
「『魔導強化』、『多重詠唱』、起動……」
編んだ魔法にスキルを使い、その力を底上げする。
その瞬間、込められた魔力が膨れ上がり、周囲に風が吹き始めた。
さらにその魔法を複製、これで準備は整った。
「『ウィンドスラッシュ』!」
魔法の発動と同時に、俺は剣を構えてイビルウルフへ駆け出す。
ヤツはこちらに気がつくと、咆哮をあげて睨み付けた。
直前に放った風の刃が、ビュンという音を伴ってイビルウルフへと迫る。
せめて牽制、あわよくば多少のダメージを与えて欲しい、程度の期待を込めて使った魔法は、俺の想像していた以上の効果を発揮してくれた。
『グルォッ!!!』
毛皮へ触れた風の刃は、抵抗を感じさせることもなく肉を切り裂いた。
鮮血が迸る。
そのまま二発目、三発目、と飛来した風の刃も同じように肉体を切りつけ、赤く濁った粘液が周囲の地面を汚した。
野生の勘とでもいうべきものだろうか、傷の深さを感じさせない軽やかな動作で宙返りをし、続く不可視の刃をギリギリで回避される。
イビルウルフは着地し小さく唸ると、目前まで近づいていた俺を瞳に捉え、大きく吠え猛った。
怒りに満ちた形相で前足を振り上げ、間髪いれずに振り下ろす。
触れた者を容易に叩き潰すであろう一撃は、しかし俺に届くことはなかった。
「……見える」
事前に取得した『鷹の目』のおかげか、振り下ろされたその攻撃は、以前からは考えられないほど鮮明に目に映った。
変化したのは目だけではない。
今の俺はスキルの効果で腕も、脚も強化されている。
わずかに横方向へ身体を捻ることで回避、そのまま地面に叩きつけられた前足を切りつける。
まさか反撃されるとは思っていなかったのだろう。
突然の痛みをごまかすように吠え声を響かせたイビルウルフだったが、その瞬間に隙が生まれた。
ヤツに向かって跳躍し、すれ違いざまに剣を振るう。
その首を切り落とすと、一瞬の間を置いて、狼の体が地面に倒れ伏した。
【『ハイ・イビルウルフを一体討伐する』の達成報酬として、スキルポイントが100付与されました】
「やった……倒したぞ……! 俺が、一人で……!」
始めて高ランクの魔物を討伐した。
『選択者』の声を聞きながらその事実を噛み締めていたが、そんなことをしている場合ではない、と緩みかけた気を引き締める。
あまり派手に戦ったつもりはないが、今の戦闘で他の魔物が寄ってこないとも限らない。
「あのレベルの魔物ともやり合える、ってことが分かったのはかなり大きいな」
正直、もっと苦戦するものだと考えていただけに拍子抜けした感はあるが、自分が強い分には困ることもないだろう。
複数に囲まれたり、イビルウルフより強い敵が出てくる可能性も十分にあるが、そうなったら逃げに徹すればいい。
少なくとも、魔物が出るたびに隠れてやり過ごす、なんてことを毎回していたら時間がいくらあっても足りなくなる。
「とはいえ、目的は脱出だ。魔物と遭遇しないのが一番なんだが……」
何はともあれ、だ。
最低限の自衛ができることは把握できたし、心にもある程度の余裕もできた。
それに加えて、倒した魔物の死体を食べれば食料問題も解決する。
……あまり気は進まないのでやりたくはないが、選択肢が無いよりはマシだろう。
脱出の目処が立ったわけではないが、その兆しは確かに見え始めていた。
「絶対に、生きてここから脱出してやるぞ」