三、取り憑く植物
「ねぇ、イビー。君はトネリコを騙したの?」
『いいえ、アダム。私は皆を幸せにしたいです』
夜も更けて、皆は身体を休めるために、店の二階で仮眠をとっている。アダムはなかなか寝付けなくて、下に降りてきた。そこには、仄かに光る緑色のイビーがいた。
「でも、みんなをゾンビにしただろう」
『ゾンビではありません。それは幸せな形です』
何か、ヒントとなる事を彼女から聞き出せないだろうか。
そう思って話しかけたのだが、思うようにいかない。
トネリコの告白を聞いた後、アダムは彼の無責任な行動を責めた。しかし、吟遊詩人の一行は冷静だった。
「では町の人々は、アンデッドのゾンビのように死んでしまったわけではないかもしれませんね」
「どう言う事ですか? 先生」
ユーリの質問に、吟遊詩人の男が答えた。
「もしかすると彼らは仮死状態で果実に身体を乗っ取られているだけかもしれません。だとしたら、支配を解けば、元に戻る可能性があります」
そう言うと、吟遊詩人は「私の故郷にいる、ある虫の話なのですが」と言葉を選ぶように話しはじめた。
「その虫は、水中の小さな貝の中で生まれます。そして、次に、魚にとりつきます」
「取り憑く? ゴーストみたいだね」
ミミの言葉に、吟遊詩人は「その通りです」と頷いた。
「まさに、ゴーストのように魚に取りつきます。そして、そのまま魚を操るのです。例えば、無理矢理ジャンプをさせたり、変な泳ぎ方をさせたり……」
「そんな事させて、何になるんですかぁ?」
「遊んでるだけじゃないよね?」
ユーリもミミも、訝しげだ。そんな二人を「黙って最後まで聞け」と、カイエンがたしなめる。
「これには意味があるんです。操られ、目立つような行動をさせられた魚は、鳥の餌食となります。そして寄生していた魚が鳥に捕食されると、今度はその虫は、魚から鳥のお腹の中に移動します。そこで繁殖して、どんどんと数を増やしていくんですよ」
「えっと……じゃあ、その虫は、鳥に食べられるために、魚に取り憑いた……ってこと?」
「そうですね。まあ、正しくは鳥のお腹の中で繁殖するためです。全ての生き物の行動は、『いかに増えるか』これが原点なんです」
「増えるために、食べられる……」
話を聞いていたアダムは呟いた。
「その通りです。そして、イビーさんの果実というのが、まさにその虫と重なるのです。ゾンビに噛みつかれた人が、同じようにゾンビ化しているのは、おそらく、虫が宿主を移動するように、小さな種のようなものが移り、寄生されたのではないでしょうか?」
「じゃあ、トネリコさんが果実を見つけたっていうのは……」
「もちろん、偶然ではないはずです。甘い香りで誘き寄せたんでしょう。トネリコさんを拠点に、この町で沢山の人に取りついた……」
「違う、それは違うぞ!」
トネリコがムキになって吠えた。
「イビーは、人間を滅ぼしてやるなんて、そんな事は考えていないはずだ」
「それはそうでしょうね」
吟遊詩人は、あっさりと頷く。
「繁殖するための宿主が、滅んでしまっては共倒れですから」
「えっと、じゃあつまり、状況を整理すると」
ミミが、唸りながら話をまとめる。
「トネリコのおっさんが、イビーの果実をばら撒いたせいで、町の人がゾンビ化しちゃったけど、もしかしたら元に戻るかもしれない。方法はまだわからない……って事かな?」
「そうですね」
吟遊詩人の言葉に、一同は深くため息をついたのだった。
そんな、先程のやりとりを思い出しながら、アダムはイビーを見つめた。
トレントの亜種ということだが、顔立ちは本当に人間にそっくりだ。それもとびきり魅力的な。
「ねぇ、イビー。僕は薬草師をしているんだ」
『薬草師。それは私たちに役立ちます』
「そっか。なるほどね」
アダムは思わず頷いた。
「植物は人間の役に立つ、僕はそう思っていたけど、君たちにとっては、人間は植物の役に立つって考えなんだ」
『私は様々なお手伝いができます』
イビーはそう言うと、アダムの手をそっと握った。
「えっ、な、なんだい?」
驚いて思わず逃げようとするアダム。しかし、手を払うのは失礼だろうか、いや、相手は人間ではないんだ、でも逃げる事はないだろう、こんな時どうするべきなんだ——そんな戸惑いのせいで、彼はその場でただ足元をバタつかせるだけだった。
「え……イビー、これは……」
イビーはアダムの手を握り、例の果実を渡してきた。
『この果実は、役立ちます。それは、口から摂取します』
「食べろ……って事?」
『この果実は役立ちます』
「いや、ダメだよ。だってゾンビになっちゃうだろう」
『トネリコも食べました。大丈夫です。この果実は役立ちます』
(そういえば、どうしてトネリコは食べても大丈夫だったんだろう)
アダムは思わず受け取ってしまった。
手の中から漂う熟した果実の香りに、絡め取られそうになる。
(こんなに美味しそうなのに、食べないなんてもったいない。ちょっとくらいなら、かじったっていいじゃないか。そう、少しぐらいならーー)
アダムが果実を口に運ぼうとしたその時。
「食べてはダメですよ」
声をかけたのは、吟遊詩人の男だった。