四、噛み合わない話
「食べてはダメですよ、アダムさん。それは禁断の果実です」
吟遊詩人の言葉でアダムは我にかえった。
「外のゾンビの様子を見張るべきかと思って、降りてきたのですが……間に合って良かったです。やはり、イビーは、どうしても自分の実を食べさせたいみたいですね」
吟遊詩人の男は、アダムから果実をそっと取り上げた。
彼に止められなければ、アダムはその実にかじり付いていただろう。
それほど、イビーの果実には抗えない魅力があった。
吟遊詩人は、果実を木箱にしまいに行き、戻ってきてからアダムのそばに腰を下ろした。
「私の故郷には、黄泉の国に嫁がされた娘を、母親が取り戻そうとする神話があるんですが」
この店を一歩出れば、ゾンビ化した人々に襲われてしまう。そんな異常な状況だと言うのに、吟遊詩人の声は落ち着いていて、とても静かだった。
「神々の間では、死者の国の食べ物を口にすると、元の世界に帰れないという掟がありました。実は、娘は黄泉の国で、小さな果実をほんの数粒食べてしまっていたのです。そのため彼女を黄泉の世界から解放する事は出来ませんでした。結局、娘は一年のうちの三分の一は、死の世界で暮らさなければならなくなったそうです」
(さっき彼が話していた、夢の話みたいだ)
「あの世の食事は、決して口にしてはいけないのです。そうしないと、元の世界に戻れなくなります」
吟遊詩人は、イビーの方をちらりと見た。
「トレントのイビー……ですか。緑の悪魔とは、よく言ったものです」
『私はイビー。役立ちます』
(こんな事をしている間にも、ゾンビの数はどんどん増えていってしまう)
アダムは、焦燥感に駆り立てられ、イビーの正面に回り、片膝をついて彼女を見上げた。
「ねぇ、イビー。僕は君たち植物の、その計り知れない力やたくましさを、尊敬すらしてるんだよ」
なんとしてでもイビー達の繁殖を止めなくてはならない。そんな気持ちが湧き起こる。
「僕が薬草師になったのは、植物が大好きで、もっと植物の事を知りたいって思ったからなんだ」
『私は、植物を知りません。知っているのは私たちの事だけです』
アダムの言葉にイビーが答える。
会話が噛み合わない。
どうにかして、自分に心を開いてもらえないだろうか。
アダムは話を続けることにした。
「植物の生存戦略……『生き残るために』『繁殖するために』って事なんだろうけど、本当に君たちの生態は、知れば知るほど驚かされる事ばかりだよ」
アダムがイビーを前にして熱っぽく語る様子は、まるで愛を語り、口説き落としているかのようだった。
「例えば、ある植物は、山火事が起こると種を飛ばすという変わった習性があるんだ。山火事で他の植物が燃えてしまえば、ライバルがいなくなるだろう? そうやって生き残るために、熱に強く進化した……でも、それだけじゃない」
アダムは懐を探り、二つの包みを取り出した。
その中には、手のひらの半分くらいの大きさの葉が包まれていた。
「実は、その植物の葉に秘密があるんだ。よく見ると、表と裏で色が違うだろう。この葉を二枚用意して、表面と裏面を重ねてるように強く擦り合わせると——」
アダムが音をたてて二枚の葉を擦る。すると、片方の葉に、小さな炎が灯った。
イビーは、目の前に現れた炎に身をよじった。
「ああ、ごめん。怖かったよね」
アダムは慌てて火を消す。
「ほら、もう消えただろう。大丈夫だから」
彼は、黒く焦げた葉をイビーに見せた。
「二枚の葉っぱを擦ると、摩擦で発火するんだ。葉の表面に付着している成分が、作用しているんだ。魔法が使えない旅人は、大抵これを持ち歩いている。便利だからね。大事なのは、なぜこの植物は、こんな不思議な特徴があるのか、という事だけど……」
アダムは、興奮を抑えるように立ち上がった。
「それは自分達で山火事を起こすためなんだ」
イビーも吟遊詩人も、無言でアダムの話に耳を傾ける。
「いつ起こるかわからない山火事を待つんじゃなくて、自分達で、山火事を起こすように進化したんだ。乾燥した季節に強風が吹くと、この葉が擦れ合い、発火し、火事が起こる。ライバル種である他の植物は焼き尽くされ、自分たちは種を飛ばし子孫を残す」
アダムは大切そうに、その葉を包み直し、懐にしまった。
「随分としたたかな品種だよね。この植物の事を『魔王』なんて呼ぶ人もいるぐらいだから」
「それはまた、大層な名前ですね」
吟遊詩人の言葉に、アダムは頷いた。
「種が飛んできた場所は焼け野原になるかもしれない、そんな恐怖から付いた名前らしい。でも、強風にさえ気をつければ大丈夫。だからこれを栽培している人も結構いるんだ」
アダムは、まるで自分の事のように誇らしそうな様子だ。
そんな彼をイビーはじっと見つめている。
その時、階段が軋む音がして、二階から、カイエンが降りてきた。
「先生。見張りだったら、俺が代わりましょう」
「ああ、すみません」
吟遊詩人はカイエンと交代し、アダムにも声をかける。
「アダムさん、あなたも少し眠ったらどうでしょう」
アダムは「そうですね」と頷いた。
アダムが振り返ってイビーの方を見ると、なんとなく寂し気な表情を浮かべているように見える。後ろ髪を引かれるのを振り切るようにして声ををかけた。
「おやすみ、イビー」
『おやすみなさい、アダム』
二人の姿は、まるで恋人同士のようだった。
しかし、その時は吟遊詩人もカイエンも、まさかアダムとイビーが姿を消すとは思ってもみなかった。
明け方、二人は連れ立って店を抜け出してしまったのだ。




