六、人の役に立つ研究
僕は扉を開けた。
そこには、闇夜に溶けるように、男が立っていた。
吟遊詩人の男だ。
「こんばんは。アリウムさん」
後ろには、カイエンとミミがいる。
「なんだ、お三方でしたか。すみません、ちょっと待ってください。今、手を洗いますので。ああ、作業台には触れないで下さいね。今採集してたので……」
「アリウムさん」
吟遊詩人が、手を洗っている僕をじっと見つめる。
「アリウムさん、そこにあるのは、墓から掘り起こした遺体でしょうか」
吟遊詩人は、僕にそう訊ねた。
カイエンとミミは、手で鼻と口を覆っている。
「そうですよ」と僕は頷く。
作業台の上には蓋を開けた棺。
まだ採集の途中段階だ。
ミミは「嘘でしょ」と小声で呟いていた。カイエンの仮面から覗く目は、鋭くこちらを睨みつけている。
「あんた……そうですよって、なんでそんな軽く言えるの?」
ミミが声を振り絞るように言った。なぜか僕を咎めるような口調だ。
「それも研究か?」
と聞いたのはカイエンだった。
「まさか、死者のよみがえりの研究をしていたのは、あんただったのか?」
「まさか! ちょっとやめてください」
僕は憤慨して言った。
「そんなわけないじゃないですか。この研究は、あなた達にヒントを頂いたんですよ」
「ヒント、ですか」
吟遊詩人が表情を変えず繰り返す。
「ええ、そうですよ。これは、人を変身させる研究に必要なんです」
「変身……だと?」
驚いた様子のカイエンに僕は頷いて見せる。
「そうですよ。おっしゃってたじゃないですか、魔物に変身するヒーローの話。あれから着想を得たんです」
僕はよく洗った手を拭いて、三人の元へ近づく。
「昼間にも言いましたが、魔力のない人でも、魔術を使えるように。体力のない人でも、武術を使えるように。これが僕の研究テーマです」
僕が近づくと、ミミは一歩後ろに下がり、カイエンは一歩前に出た。怯えたようにたじろぐミミと、射抜くように睨みつけるカイエン。その対照的な様子が面白くて、僕は思わず微笑んだ。
「一時的に魔力と体力を高める事ができる薬、その開発を始めたんです。材料となるのが、モンスターの血液です。簡単に言えば、モンスターの血液を摂取して、その力を得るというわけですが、人間の細胞に及ぼす反応は、実験を重ねなければ分からない。そこで、まずは死体からサンプルを——」
「それが、あなたの言っていた『採集』ですか」
「そうですよ」
僕が肯定すると、吟遊詩人は「棺を乗せた荷車を引くあなたを見たんです」と言った。
「まさかと思って墓場まで行ってみると、掘り返された跡がありました。最近、墓が荒らされているとバンクシアさんがおっしゃっていましたし——」
「何で……?」
ミミが、口と鼻を押さえたまま、くぐもった声で言う。
「何でそんな事を——」
「決まってるじゃないですか」
僕は胸を張って言った。
「戦争で勝てる強い英雄を作るためですよ」
「……え?」
ミミは、かすれ声で聞き返す。カイエンも、仮面から覗く目を見開いた。吟遊詩人の男だけが、ずっと無表情のままでいる。
「寄せ集めの兵士よりは、全員が武力にも魔力にも秀でていた方がいいですよね? この薬の開発が成功すれば、誰もが力を得るんです。それがどういうことかわかりますか?」
——石を割り、岩を砕き、木を倒す。
「腕力のない人でも、僕の発明の力を借りてなんでも出来るようになるんですよ」
——女性や年寄りでも、力のある男性がやっている仕事をできるようになる。
「つまり、誰でも戦争に優秀な兵士として参加できるのです」
——そうすれば、生活がもっと豊かになる。そう思いませんか。
「武勲をたてて、褒賞をもらえる。どんどんと豊かになるんです」
——たとえ才能がなかったとしても、努力によりそれをカバーできる、そんな未来を。
「僕の開発した薬で、人々は戦争のヒーローに変身できるんですよ!」
僕の研究を、あいつはいつも軽蔑していた。
『馬鹿げた行い』だとか、『人として軽蔑に値する』だとか、自分の事を棚に上げて僕の研究をこき下ろしていた。
戦争に魂を売ったとまで言われた。
自分の研究を『人を生かす研究』だと言い、僕の研究を『人を殺す研究』だと言っていた。
でも、僕は命を弄んではいない。生命の本質に逆らってはいない。
僕の研究は、人の役に立つ。
「あんた……まさか、みんながみんな戦争で英雄になりたいと思ってるとでも言うの? 人を……人を殺したいって、みんなが思ってるとでも……!?」
ミミの感情的な叫びに、僕が反論しようとした、その時。
扉を叩く音がした。