四、扉の外の魔物
吟遊詩人はトランクを開けた。
細長い箱の中には、奇妙な楽器が収まっていた。
小さな木箱に、細長い木材をつなげ、弦を張ったような作りをしている。
吟遊詩人は、慣れた手つきで楽器を取り出した。
——ベェェェン……
不思議な形の木片で弦を弾くと、家中に澄んだ音が満ちる。
「私の生まれ故郷では、怪しげで恐ろしい話を『怪談』と呼びました。光があるところに影ができるように、怪談は、いつ、どんな場所でも、どんな世界でも存在します」
——ベェェェン……
「今日お話するのは『開けてはいけない扉』のお話です」
吟遊詩人はそう言って、静かに語り始めた。
♢ ♢ ♢
ある村に、墓を荒らすモンスターが出ました。
魔物は、夜になると村へやってきて墓を掘り返し、死体を喰らうのです。人々は怯え、苦しんでいました。
村には、老いた英雄が住んでいました。彼が若い頃は、人々のため恐ろしいモンスターを倒し、数々の武勲をあげました。
彼にはもう昔の輝きはありません。しかし、人々のために戦いたいという気持ちを失ってはいませんでした。
彼は墓場の棺の中に隠れ、モンスターがやってくると隙をついて飛び出し、その腕を切り落としたのでした。
モンスターは逃げて行きました。
男は魔物が残していった腕を村に持ち帰りました。
そして翌朝。
モンスターを退治した男を称え、皆で祝杯をあげようとしたちょうどその時、旅の神官が村を訪れました。
神官は言いました。
「おそらく、魔物はまだ生きているでしょう。そして腕を取り返しにやってくるに違いありません」
村の人々は恐怖で震え上がりました。
男は静かに「我々はどうしたらよいでしょうか」と神官に訊ねました。
「魔物は今夜にも、この村を訪れるでしょう。家の扉も窓も全て塞ぎ、夜の間はけっして扉を開けてはいけません。今夜だけ、なんとか乗り切るのです」
神官は何度も念押ししました。
「いいですね。絶対に、扉を開けてはいけませんよ」
その夜の事。
村のありとあらゆる窓や扉を塞ぎ、人々は家の中で息を殺していました。
男はモンスターの腕を木箱に入れ、厳重に封をしました。
そして、窓も扉も固く閉ざし、部屋の中央に座り込みました。
すると。
——ドン、ドンドン
扉が強く叩かれました。
「おい、ここを開けろ。開けないとお前を八つ裂きにするぞ」
と恐ろしい声が聞こえました。
そして、モンスターの腕を封じた箱からは
——カリ、カリカリ
と中から箱の内側を引っ掻くような音がしました。
男は微動だにせず「帰れ! 化物め!」と怒鳴りました。
魔物は扉を強く叩き続けましたが、男は決して扉を開けませんでした。
——コン、コンコン
しばらくすると、扉が弱々しく叩かれました。
「お願いです。ここを開けてください。助けてください」
と女の声が聞こえました。
「私は村長の娘です。モンスターに父が襲われています。私も逃げてくる時に怪我を負いました。どうか助けて下さい」
悲痛な声で助けを求められ、男は立ち上がりました。
しかし、腕を封じた箱を見ると、
——カリ、カリカリ
と中を掻くような音がします。
男は考え直し、家の外に向かって叫びました。
「お前はきっと、魔物が化けたのだろう。とっとと帰れ!」
「そんな事はありません。開けて下さい…開けて……」
そのうち、扉を叩く音が強くなっていきました。
——コンコン……ドン、ドンドン、ダン、ダンダン!
「開ケテ……アケ…ロ……アケロ、アケロアケロアケロアケロアケロ!!」
魔物は扉を強く叩き続けましたが、男は決して扉を開けませんでした。
——トン、トントン
また、しばらくすると、扉を叩く音と共に「おい、俺だ。わかるか?」と声がしました。
男は驚きました。
昔、男と共に数々のモンスターを討伐した仲間の声だったからです。
「どうせまた魔物が化けているのだろう。化物め、とっとと帰れ!」
「おい、よく聞け。お前は騙されているんだ」
仲間の声は必死にそう言いました。
「良く考えてみろ、モンスターの腕を切り落としたタイミングで、都合よく神官がやってくるなんておかしいだろ。いいか、よく聞いてくれ。墓を荒らすモンスターなんていなかったんだ」
男は、ゆっくりと腰をあげ、扉の前に立ちました。
「墓を荒らしていたのは、お前だ! お前の自作自演だったんだよ。モンスターの腕なんてないんだ。それは幻だよ」
「嘘をつくな!」
男は怒鳴りました。
しかし、仲間はなおも言葉を続けます。
「お前は、昔のように英雄と呼ばれたかった。だから、自分でモンスターを作り出したんだ。でも、全ては幻だ。お前はお前に騙されているんだ!」
男は、腕を封じた箱に目をやります。その中身が空だとは、どうしても思えません。
「俺の言葉が嘘だと思うなら、その箱を持って出てこい。俺が一緒に見てやる」
仲間の言葉に、男は箱を持ち上げました。
——カリ、カリカリ
中からは音が聞こえます。
「嘘を言うな! モンスターの腕が、中を掻く音がするじゃないか」
男の言葉に、仲間は必死に答えます。
「だから、それは幻聴だ。騙されるな。お前の『英雄』に対する執着が、お前を騙しているんだ」
——カリ、カリカリ
「開けてくれ。お願いだ。目を覚ますんだ。ここを開けてくれ!!」
——カリ、カリカリ、カリカリカリカリカリカリ
男は扉を開けませんでした。
そして、剣で木箱を勢いよく突き刺したのです。
「ぎゃああああああぁぁぁ」
つんざくようなその悲鳴は、扉の外から聞こえました。
そして、扉を叩く音も仲間の声も、ぱたりとしなくなりました。
朝になって外に出てみると、黒っぽい灰の山が、扉の前にありました。
木箱から剣を抜き、陽の光の元で開けてみると、中には同じような黒い灰が残されていました。掻き出してみると、風に舞ってどこかへ消えてしまいました。
木箱の中には、爪で引っ掻いたような痕が無数に残されていました。