如月春香の秘密 (1/2)
翌日の放課後、秀一は如月春香の家を初めて訪れていた。
(……圧巻だな。こんな家に住んでたのか、春香さん)
彼が案内された部屋は、二十畳ほどの広いお座敷だった。
卓袱台と座布団以外に家具はなく、掛け軸のかかった床板にはなんだか高そうな漆器の壺が置いてある。他には何もない、畳の香りだけが漂う、さっぱりした部屋だった。
その気になれば数十人規模の宴会だって許容できる広さなだけに、ぽつんと一人で座っていると、ちょっと寂しい気持ちになってくる。
「どうぞ、粗茶ですが。なんてね」
春香が、いつもよりちょとくだけた調子で、お茶と甘菓子を並べる。光沢の良い瀟洒な絹のワンピースを着ていて、とても品を感じる装いだった。
「……勝手なイメージですけど、てっきり春香さんはヨーロッパっぽい家に住んでるかと。和風ってのは……意外です」
「そう? これでも今の暮らしは気に入ってるのよ。一人で住むにはちょっと広すぎる家だけどね」
ずずず、と茶を啜ると、秀一はさっそく本題を切り出した。
「それで、春香さん。聞きたいことはたくさんあるんだけど……未来から来たってのは本当なの? それと、あのキルロイドってやつに、なんで俺が狙われてるの?」
「……」
春香はなにも答えず、黙って、茶を口に含んだ。
コトン、と茶器を置く音だけが鳴る。
しばらく考え込んだように沈黙すると、春香は警告するようにこう言った。
「一つ先に伝えておくわ。私は確かに未来の存在。そして、貴方の味方をする。そこまでは約束する。でもね、私が貴方になんでも教えるような真似はしないの。……この意味、分かるかしら?」
その意味を、秀一は慎重に考えた。
彼女は未来の存在で、話せないことがあるという。そうなると思いつくことは一つしかなかった。
「……タイムパラドックス……そんな感じの不都合が起きてしまうから?」
彼女は頷いて、その表情を曇らせた。
「心配なのよ。貴方に事情を話すことで、私の存在が消失してしまわないかって」
消失――。
それは間違いなく存在が消える、というような意味だろう。もう彼女とは五年の付き合いだ。こんな極上の美人が身近の環境からいなくなってしまうことは、秀一だって寂しいことである。できることなら避けておきたいところだ。
彼女が黙秘したがる理由を察すると、秀一はそれ以上の詮索を止めておいた。
「じゃあ……質問を変えてみるよ。どうすれば、俺は助かるのかな?」
春香は嬉しそうに笑った。
「正解。こういう時、頭の良い相手だと助かるわね」
春香は席を立つと、秀一の背後のふすまを開けて、そのまま縁側へと座った。
庭先では、セミが騒々しく鳴いている。草木に茂った庭には、ジリジリと夏の日差しが降り注いでいる。彼女はそんな景色を好んでいるのだろう。気持ちよさそうに眺めていた。
「……やっぱり、貴方が助かるためには、昨晩のキルロイドを破壊するしかないでしょうね。その様子じゃ、明確な殺意も持ってるみたいだし。他に止める方法はないわ」
春香がそんな風に語りだした。
「う、うん……」
体の痛みが、昨晩の光景をありありと思い出させる――人間のそれとはかけ離れた圧倒的な戦闘能力。正直なところ、できることならもう遭遇したくない相手である。あんな相手、どう倒すというのか――
そんな不安を取り除くように、彼女は秘密を打ち明かした。
「秀一くん。キルロイドにはね。弱点があるの」
「弱点……あんな化け物に?」
「……だからこそよ。もし敵に悪用されたり、なんかしらの故障で暴走したり――そんな風に持主の命令を聞かなくなったら大惨事になるでしょう? そうならないように、キルロイドには必ず緊急用のスイッチがついてるの」
なるほど、と秀一は思った。あれだけの破壊力を秘めているのだ。制御装置の一つくらい、ついてないほうがおかしい。
「それで、そのスイッチはどこについてるの?」
そう尋ねると、彼女はなぜか突拍子もなく天候の話を始めた。
「ねえ。秀一くん。最近、暑いと思わない?」
「へ? そりゃあもう。そろそろ夏休みですし――」
そう言いかけたところで、秀一は言葉を失った。
なんと春香が急にワンピースのジッパーを外し、服を脱ぎ始めたのである。
もはや暑さどころの騒ぎではなかった。いや、むしろ暑さでどうかしてしまったのか……
秀一は、あらん限りの声をあげて、そのストリップじみた行為を制止した。
「な、な、な。なにやってるんですか! 春香さん! 服着て! 早く!」
などと言いつつ――やはり本能には逆らえないらしい。彼の視線は、ギンギンに見開いたままであった。
おそらく原始時代から脈々と続く、雄遺伝子による逆らえない不可抗力の超自我的な働きによる、神の導きやら宇宙の真理が融合した最終波動がもたらした、運命の象る宿命じみた決定、だったのだろう。
要するに、
(……不可抗力。俺はきっと悪くない……!)
そのように彼はおもっくそ開き直ったのである。
とはいえ、秀一が男としての欲望を抑制できないのも無理はなかった。
それほどまでに――如月春香の後姿は、なんとも艶めかしいものであったのだ。
腰元まで伸びた栗色の長髪によって、隠れた背中。その見えない部分が、これまた情欲をそそるのである。わずかに見える雪のような白い肌や、肩から腰にかけての美しい曲線は、芸術品のように美しい。彼女の肉体は、女子高生にはおよそ捻出することのできない、オトナの女の色気に溢れていた。
さらに、もう一つの重大な要素が、秀一の視線をもっとも釘付けにさせて離さなかった。
(……ノ、ノーブラ……)
金縛りにあって、手足がはりつめたように固まる秀一。
春香は恥ずかしがったように頬を赤らめると、目を半眼にして、色っぽく咎めた。
「えっち。ちゃんと見ててよ」
それはトドメの一撃だった。
(……こ、こんなに嬉しいことはない……)
どこかの大宇宙を漂流するような。
そんな無重力めいた浮遊感と最終回じみた満足感を同時に味わって、彼の煩悩はどこかへと旅立っていった。
――――――
「――って、ええと……。見るって、どこを?」
ほんのしばらく地球を離れてトリップしていた秀一が、ようやく我に返ると、
「……今、見せるわ……」
春香はそう言って、自分の髪をかき上げて、背中の白い肌をすべて露わにした。
そして、秀一はすぐに理解した。彼女がどこを見て欲しがっていたのか、それは言葉を聞かずとも見ればわかることであった。
「……ゼロ?」
数字のゼロ。もしくは英数字のオー。そんなシンボルが彼女の背中に大きく刻印されていたのである。そして――
「春香さん……それって……」
よく見ると、数字の中心には、小さなスイッチがついていた。むろん、ほくろなどではなく。明確に機械的なスイッチだ。
「そう。これがキルロイドの緊急用スイッチなの。三秒ほど長押しをすれば、一時間は無力化させられるわ」
驚く秀一。それを尻目に、春香はしゅっとワンピースを着なおした。
「いや……ええと。そういうことじゃなくて――」
言いよどむ秀一の考えを察知したように、春香は彼の気になっている答えを口にした。
「そう。わたしの正体はね、キルロイドなの」




