第002話 ヴァッカスドラゴン
数日後。俺達は男爵領に隣接する魔の大森林に分け入り、奥地の岩場を訪れていた。
周囲には大小の岩が点在していて、岩の周囲には鋭く尖った結晶が剣山のように生えている。
地球世界ではまず見られない、美しくも恐ろしい光景だ。
「デュフフ……無事に到着したな。ベル、結晶に気をつけろ。肉球に刺さってしまうぞ」
「ワン!」
元気に返事するベルの頭を撫でながら辺りを見回すと、岩の少ない開けた場所を見つけた。
「よし。ラミルル、荷物はあの広場の中心に下ろすのだ」
「はいデュラン様。よい、しょっと」
ラミルルさんは俺の声に頷くと、背負っていた巨大な樽をそこへ下ろした。
「ご苦労。俺様ではとても運べなかっただろう……では手筈通り、お前は所定の場所に退避するのだ。
もし日暮までに俺達が戻らなかったら、お前は一人で男爵屋敷に帰らなければならない。
来た道を辿れば強い魔物と遭遇せずに済むだろうが、注意するのだぞ?」
「は、はい……あの、デュラン様」
「ん?」
ラミルルさんが不安そうな表情で俺を見る。
「お怪我、しないで下さいね……?」
「——ふん、誰にものを言っている。さぁ、さっさと行け。そして絶対にここへは近寄るな。これは命令だぞ」
しっしっ、と手を振ると、彼女は何度も振り返りながら岩場から離れていった。
これでいい。俺達が失敗した時、彼女まで巻き添えになる必要はない。
「さて……ふん!」
俺は樽に拳を振り下ろし、上板を割った。すると果実を思わせる芳醇な香りが溢れ、周囲に広がった。
巨大な樽に並々と入っていたのは、魔界の銘酒、竜王の泪だ。
父である男爵に数年分の小遣いを前借りし、ようやく必要な量を買えた超高級酒である。
「ベル。すまないが、お前は付き合ってもらうぞ。俺様はこちら、お前はあちらだ」
「ワフッ……!」
俺達は頷きあうと広場から離れ、酒樽を監視できる位置の岩陰に身を潜めた。
得物の鞭を握りしめながら、じっと息を殺して待つ。緊張からか、俺の心臓は高速で脈打ち、冷や汗が止まらない。
——バサッ、バサッ……
すると、10分もしない内に羽音が聞こえ始めた。
音は段々と大きくなり、俺達の頭上で停止した。
ズズゥンッ……
そして酒樽の側に降り立ったのは、見上げるような巨体のドラゴンだった。
流線形をした頭部の口元からは刀剣のような牙が覗き、強靭な四肢と鋼の鞭のような長い尾を備えている。
全身は青みがかった白銀の鱗に覆われていて、翼を広げた姿は神々しくすらあった。
恐怖と興奮に全身がガタガタと震える。
「ヴァッカスドラゴン……間近で見ると、画面越しとは迫力が段違いだな……!」
ヴァッカスドラゴンは、カオスマキアにおける隠しボスだ。
竜王と呼ばれる最強の竜種の一体で、ストーリーの本筋には関係しないが、倒すと大量の経験値とレアアイテムが手に入る。
今回の作戦の目的は、この強大なドラゴンを手に入れることなのだ。
魔物使いである俺が勇者に対抗するには、規格外に強力な魔物を仲間にするしかない。
不幸中の幸いで、鍛錬をサボっていたせいで俺のレベルは低い。成功率が自身のレベルに反比例する馴化も、今なら成功しやすいはずだ。
問題は、そんな低レベル状態であの化け物を倒せるかだが……
「グルルッ……グルッ!」
ヴァッカスドラゴンは周囲を一瞬だけ窺うと、辛抱たまらんといった感じで酒樽の中に頭を突っ込んだ。
ゴクリ、ゴクリと、美味そうに喉を鳴らす音が響く。
奴は、ゆっくりと酒樽から顔を上げた。
「ゴァ〜〜〜〜……」
天を仰いだ奴が幸せそうな咆哮を上げる。よほど気に入ったらしい。
「よし、ここまでは原作通り……」
俺が小声で呟く間にも、ヴァッカスドラゴンはご機嫌な様子で酒を飲み続けた。
そしてあっという間に全ての酒を飲み干すと、だらしない姿勢で寝転がった。
「ゲフッ……ゴァ〜……」
青みがかった白だった奴の体は、今や全身がほんのりと赤らんでいた。目もトロンとしている。
どうやら完全に酔いが回ったらしい。なら、そろそろ始めよう……
俺は意を決して岩場から飛び出すと、自分を奮い立たせるように叫んだ。
「水を司る大いなる竜王、ヴァッカスドラゴンよ! 我が名はデュラン! 誉高きヨーヴル男爵家が嫡男である! 貴殿に、決闘を申し込む!」
「グルゥ……?」
奴の反応は鈍い。なんだあの小虫。そんな風に横目でこちらを見ている。
そりゃそうだろう。奴と俺との間には、それだけ隔絶した実力差がある。
だがそんな小虫に、酒でいい気分の所を邪魔されたらどうだろうか……?
「酒に飲まれ、無様に醜態を晒す堕竜よ! 我が軍門に降るがいい! 鞭打!」
バシィンッ!
俺が放った鞭の武技が奴の顔に炸裂した。
ダメージが入った様子は全くないが、しかし……
「グッ……!? グルルッ……ゴァァァァァッ!!」
怒らせるには十分だったようだ。奴は咆哮を上げて立ち上がると、仰け反るように大きく息を吸い込んだ。
ブレス……!
俺は一目散に逃げ出し、近くの岩陰へと身を隠した。
ビュゴッ!!
「ぐっ……!」
直後、極低温の強風が俺を襲い、全身に激痛が走った。
絶対零度のブレス……! 岩を盾にして直撃を避けているのに、なんて威力だ……!
隣の岩を見ると、ブレスにさらされた根元の結晶が一瞬で凍りつき、氷の槍衾が形成されつつあった。
「グルァァァァッ!」
異様に長く感じられたブレスが止み、咆哮と共に奴の足音が近づいてくる。
だがその足音は突然途切れ、直後に交通事故のような轟音が響いた。
「ギャッ……ギガャァァァァァッ!?」
奴の絶叫が岩場全体に木霊する。
岩陰から顔を出してみると、奴は自身がブレスで生成した氷の槍衾に突っ込み、血だらけになっていた。
「よし……! よし! 行けるぞ!」
俺は会心の笑みを浮かべて拳を握った。
これがヴァッカスドラゴンの攻略法だ。
素面の奴は理不尽なほどの強さを誇るが、見ての通り酒に目がなく、特に竜王の泪を飲むとベロンベロンに酔っ払ってしまう。
そして泥酔状態の奴は、攻撃されると激怒しながらブレスを連射し、千鳥足でこけまくる。そのモーションしかしなくなるのだ。
この剣山のような結晶が生えた岩場は、奴と戦うには絶好の環境だ。何せああして勝手に傷を負っていくからな。
ちなみにこの攻略法の発見以降、奴にはヴァカゴンとか、酒カスドラゴンとか、不名誉なあだ名が沢山ついてしまった。
「グルルッ……」
痛みに悶えていた奴が憎々しげに俺を睨み、再び息を吸い込んだ。
「ベル!」
俺の声とほぼ同時に、奴を挟んだ反対側の岩陰からベルが飛び出した。
「ガオンッ!」
ベルの口から火球が放たれ、奴の背中に直撃した。
やはりダメージは無いようだが、奴は俺への攻撃を中断してベルに向き直った。
「グルルッ……! ゴァァァァァッ!」
「いいぞベル! このまま挑発し続けるんだ!」
「ワン!」
その後俺達は、岩を盾にしながら交互に挑発を繰り返し続けた。
酔いと怒りに狂ったヴァッカスドラゴンは俺達に翻弄され、文字通り出血を強いられ続けた。そして……
「——グル、グルォォォォ……」
ズズゥン……
岩場全体が氷に覆われ、日が傾き始めた頃、奴はようやく地面に倒れ伏した。
息も絶え絶えで、その全身どころか、そこら中が奴の血で真っ赤に染まっている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……や、やっと倒れた……ベル、生きてるか……?」
「クゥーン……ハッハッハッ……」
一方、俺とベルもひどい状態だった。体中に凍傷と裂傷が刻まれ、無傷の場所が無いほどだ。
「はは、お互いボロボロだな……さて、最後の仕上げだ」
俺は足を引き摺るようにヴァッカスドラゴンに近づくと、その巨体に手を翳した。
「馴化!」
唱えたのは、倒した魔物を仲間にする魔法だ。
俺の手を中心に魔法陣が展開され、光を放ちながら奴を包んでいく。しかし……
パキィィンッ……
魔法陣は途中で砕け散ってしまい、奴は俺を嘲笑うように牙を剥いた。
「グッグッグッグッグッ……」
「く、失敗か……ならもう一度だ……! 馴化!」
だが、俺が何度馴化を唱えても成功する様子は無く、奴は不敵な笑みを絶やさなかった。
くそ、成功率はそんなに低くないはずなのに……何か見落としがあるのか……!?
「あ……もう、魔力が……」
この世界にはステータスウィンドウは存在しないが、ふらつく感覚で魔力切れが近いことが分かった。
馴化を使えるのはあと一回だけだろう。何か……何か他にできることは……
その時、視界の端に、空になって転がっている酒樽を見つけた。ふむ……
「ヴァッカスドラゴンよ。俺様の軍門に降るなら、先ほどの酒を毎月、いや、毎週くれてやるぞ?」
「グルッ……!?」
反抗的だった奴が、俺の言葉に「マジで!?」という感じに目を見開いた。
「今だ……! 馴化!」
キィィィン……!
最後に放った馴化の魔法陣は、砕け散ることなく奴の巨体を包み込み、そのまま沈み込むように消えていった。
先ほどまでとは違う反応、手応え。
これは、と思ってヴァッカスドラゴンの様子を見ると、奴は観念したように息を吐き、静かに目を瞑った。
そして奴との間に、確かな繋がりが生まれたのが感覚的に分かった。
「せ、成功した……? は、はは……確かに、対価無しで仲間になれってのは都合が良すぎたか……はぁ〜〜〜、よかったぁ……」
俺は長い安堵の息を吐き、よろよろとその場にへたり込んだ。
——しかし、あの馬鹿みたいに高い竜王の泪を、大樽で毎週かぁ……酒代がえらいことになりそうだ……




