第零話 出生
ビルが建設されてから十五年。四階の奥深くに鎮座するその大型シュレッダーは、膨大な量の「秘密」を噛み砕き続けてきた。
企業の粉飾、人事の裏工作、不倫の揉み消し、あるいは他者を失脚させるための陰湿なタレコミ。
人間が他人に知られたくない汚濁を、紙という媒介に変えて飲み込ませる場所。それがあの機械だった。
ウィーン、ガガガガガッ。
鋭い刃が回転するたび、紙に刻まれた負の感情――憎悪、嫉妬、保身、そして絶望が、文字のインクとともに機械の内部へと擦り込まれていく。刃の金属表面には目に見えない微小な傷が無数に刻まれ、そこにドロリとした人間の情念が油のようにこびりついていった。
機械には心などない。だが、十五年という年月と、裁断され続けた何百万枚もの闇の記録は、鉄の刃に歪んだ「性」を宿すには十分すぎる時間だった。
機械はいつしか、負の感情を含んだ紙を噛み砕く感触に飢えるようになっていた。
そして20年前のあくる夜、決定的な瞬間が訪れる。
「……なんで俺が、こんな目にあわなきゃならないんだ……」
深夜のフロアで、当時三十代だった財務部の男は、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔でシュレッダーの前に立っていた。
デスクの上には、上層部から突きつけられた裏帳簿の山。会社が犯した数億円の不正会計。そのすべての罪を擦りつけられ、トカゲの尻尾切りとして解雇されることが決まった男だった。
「全部俺のせいにされて……誰も助けてくれない……」
男の手が震え、投入口へ書類の束を滑り込ませる。
ガガガガッ。
機械の刃が紙を刻む。その瞬間、男の胸を包んでいた激しい「怨念」と「無念」が、強烈な電流のように投入口を通じてシュレッダー内部へ流れ込んだ。
(消したい。こんな会社、こんな世界、全部消えてしまえばいい。助けてくれ、誰か助けてくれ――)
男の破滅的な感情が、十五年分の闇を溜め込んだ機械の刃と完璧にシンクロした。
その時、異変が起きた。
最後の書類を裁断し終えても、シュレッダーの空転音が止まらない。
ヴーーーーンと、これまで聞いたこともない高音の駆動音がフロアに響き渡る。
「え……? 止まらない……?」
男が怯えて手を引こうとした瞬間、ダストボックスの中に溜まっていた大量の紙くずが、一斉に逆流し始めた。
裁断されたはずの不正書類の帯が、まるで生きた蛇のように投入口から蠢き出す。それらは男の腕に、首に、足首にベタリと張り付いた。
「な、なんだこれ!? うわあああっ!」
男の叫び声は、機械の激しい回転音にかき消された。
紙の帯は男を拘束するだけでなく、彼の皮膚から「恐怖」と「肉体の生気」を直接吸い上げ始めていた。機械はただ紙を切り刻む道具から、人間の情念と肉体を喰らう「怪異」へと完全に出生したのだ。
ギギギギッ、と刃が逆回転を始める。
男の身体は、人間の入れるはずのない数ミリの投入口へと、骨を砕きながらすり鉢のように引きずり込まれていった。男の怨念と恐怖はすべて機械の肉肉しい血肉となり、ダストボックスを赤く染め上げた。
喰らい尽くした後、シュレッダーは静かに空転を止め、ランプを青く点灯させた。
満足したわけではない。むしろ、初めて「本物の人間」を味わってしまった機械は、さらなる恐怖と負の感情を欲して喉を鳴らしていた。
暗闇の中、誰もいなくなった四階フロアで、静かに電源が入ったままの機械がたたずんでいる。
次の獲物が、夜な夜な紙を投入しに来るのを待ち続けながら。(了)
ご拝読ありがとうございます。
ホラーゲームを意識して制作してみました。
シュレッダーを題材にしたのは、身近にあるもので考えていたら机の横にあるのに目がとまったからです。
紙の束が手首から先の手の形をしていたら怖いだろうなぁ……、と想像したところから今回の物語となりました。
楽しんで頂けていたら幸いです。




