泥遊びと呼ばれた技術
乾いた音が、謁見の間に響く。ケンジが石畳に打ちつけたのは、こぶしほどの灰色の塊――コンクリートの供試体だった。
二度、三度と打ちつけても、音が高くなるだけだ。欠片ひとつ、剥がれない。
「泥遊びがしたいなら、まずこの王宮から出て行くことだな」
宮廷筆頭魔導師の声が、石の柱に反響する。ケンジは供試体を握りしめたまま、一歩も引かない。
「泥じゃない。コンクリートです。圧縮強度は魔石の防壁の三倍です。データを見てください」
「データ? 魔法陣も刻まれていない石ころに何の価値がある」
「刻む必要がないんです。水と灰と石を正しい比率で混ぜれば、勝手に固まる」
「勝手に、だと。魔力の裏付けもない現象を国庫の予算で試すつもりか」
「裏付けならここに」ケンジが書き付けを差し出す。魔導師はそれを一瞥もせず、床へ払い落とした。
紙が乾いた音を立てて石畳に落ちる。数値の並んだ表は、誰の目にも留まらぬまま裏返しになっていた。
「魔力が測れないものは、この国では『ない』のと同じだ」
「測れないんじゃない。測り方が違うだけです。水セメント比、養生温度、圧縮試験——全部数字で出せます」
「舌先だけは達者な男だ」
「言葉じゃなく、あの石を叩いてみてください。それで分かります」
「叩けと? 王宮の床でか」
「衛兵。この男を辺境まで送れ。二度と王都の土を踏ませるな」
「待ってください、あと一週間あれば——」
「一週間で何が変わる」
「型枠を組み直せば、供試体はもっと強くなります。今のは急いで打った分、気泡が入って——」
「気泡だ配合だと、呪文の一つも唱えられぬ男が偉そうに」
「泥水遊びの狂人に割く時間はない」
抗弁は誰にも届かない。両脇を衛兵に固められたケンジは、握っていた供試体の欠片を上着の内ポケットへねじ込んだ。
取り上げられなかったのは、それだけだった。荷台に押し込まれる瞬間まで、ケンジの目は謁見の間の扉を見つめている。
三日かけて、荷馬車は火山地帯に近い辺境の村へと運ばれていく。荷台の隙間から覗く空は、王都を出てから一日ごとに色を失っていった。
御者は無言で手綱を握り続け、休憩のたびに硬いパンを一切れ、黙って放って寄越すだけだ。
「どこまで行くんです」
「知らん。行き先は伯爵領としか聞いていない」
「そこで俺は何をすれば」
「知らんと言っている」
三日目の夕方、街道の先に木造の柵と、煙の立ち上る煙突が見えてくる。荷馬車の車輪が轍にはまり、大きく揺れた。
村の入口には、灰色のフードを目深にかぶった娘が立っている。荷馬車が止まると、娘はまっすぐにケンジを見上げた。
「あなたが王都を追われた技術者ね。噂は聞いています」
「悪い噂でしょうね、どうせ」
「良い噂よ。泥で城壁より硬いものを作った、と」
「誰がそんな噂を」
「辺境にも商人は来るわ。噂は荷物より軽いから、真っ先に届くの」
「泥じゃなくてコンクリートです。でも——なぜフードを」
「近づかないで。それだけ約束してくれれば、村にいてもらって構わない」
「約束、ですか。理由も聞かずに?」
「理由まで聞いたら、あなたも他の人たちみたいに逃げ出すもの」
「逃げ出すって、これまでにも誰か」
「何人もいたわ。答えなくていい」
娘はそう言って、両手を胸の前できつく握りしめる。指先まで隠すように、袖を強く引いていた。
「私はリリアーナ。この土地を治める伯爵家の娘。あなたに頼みたいことがある」
「頼み事の前に握手くらい——」
「駄目!」
リリアーナの声が、裂けるように響く。ケンジは伸ばしかけた手を止める。その声の強さに、村人たちの手も一瞬止まるほどだった。
「すみません、握手が礼儀だと思って」
「謝らなくていい。あなたが悪いんじゃない」
「なぜです。俺が怪しい男だからですか」
「違う。私に触れたものは、みんな石になる」
「石に、なる」
「呪いよ。物心ついた時にはもう、この手はそういう手だった」
「石になるって、どの程度……木とか、布とか、それとも」
「生きているもの全部。虫も、鳥も、触れれば少しずつ灰色になって、動かなくなる」
「人は。人に触れたことは」
「ないわ。試す勇気もなかった」
「一度も、ですか」
「一度も。両親にさえ、抱きしめてもらった記憶がない」
その時、村の物見櫓から悲鳴が上がった。ケンジとリリアーナは同時に振り向く。
「支柱が崩れる! 下に子供が!」
老朽化した櫓の支柱が軋み、積み上げた石の継ぎ目がずれ始めていた。真下でうずくまる子供に、軋みは二度、三度と迫っていく。
村人たちが駆け寄るが、間に合わない。支柱を支えようとした大人の手も、傾いた重みには敵わなかった。
「どいて!」
リリアーナが叫び、フードを跳ね上げて素手を支柱に押し当てた。
「リリアーナ様、それだけは!」
「今は他に方法がない!」
「誰か止めろ、リリアーナ様の手が!」
「黙って! この子が潰れる方が先よ!」
支柱の表面が見る間に灰色へと変わり、軋みが止まった。
村人たちは歓声を上げたが、リリアーナは崩れるように膝をついた。フードが外れた頭を抱え、肩で息をしている。
「また、進んだ……」
震える指先を見つめるリリアーナに、ケンジは駆け寄った。膝をついた地面には、灰色に変わった石の欠片が転がっている。
「見せてください、その手」
「触らないで。うつるかもしれない」
「うつる呪いなら、あなたが触れた瞬間に俺も石になっているはずでしょう」
「それは……理屈ではそうかもしれないけど」
「理屈で考えていいことです。いいから見せて」
ケンジは膝をつき、リリアーナの指先に顔を近づける。灰色の皮膚には細かい結晶状の光沢があり、境目が不自然なほど滑らかだった。
「熱いですか、その指」
「え……言われてみれば、少し」
「どのくらい熱い。じんじんしますか、それとも表面だけ」
「表面が熱くて、芯はまだ冷たいみたいな」
「支柱のどこに触れました。継ぎ目ですか、石そのものですか」
「石灰岩を積んだ支柱よ。それがどうしたの」
「発熱してるのは水和反応の証拠だ。呪いなら熱は出ない」
「水和……何ですって」
「灰と水と石が化学反応を起こして石になる現象です。俺の故郷では毎日見てました」
「見てた……こんな恐ろしいものを、毎日?」
「恐ろしくない。制御すれば、ただの技術です」
「制御なんて、私にできるとは思えない」
「今だってできてる。折れかけた支柱を一瞬で止めた。あれは制御でなくて何です」
「技術って、私のこの手が? 呪われた手が、道具みたいに扱えるって言うの?」
「道具みたいに、というか——むしろ道具そのものかもしれません。だからちゃんと調べる価値がある」
「調べて、それで何が変わるの」
「変わりますよ。呪いなら祈るしかないが、現象なら数字にできる」
リリアーナは灰色の指先を握りしめ、震える声で問うた。
「じゃあ、私のこの手は……呪いじゃないと言うの?」
ケンジはその手を、初めて正面から見つめる。
「それは呪いじゃない。硬化だ」




