第1話 魔女の恋心①
ソーちゃんは夢を見ていた。
ぼんやりとした景色がゆっくりと広がっていく。
どこか懐かしい香り。
甘くて落ち着く香り。
――おばあちゃんの紅茶の香りだ。
子供の頃、大好きだった紅茶の香りが漂っている。
夢なのに、すごくハッキリと感じた。
『ねぇ? おばあちゃん』
夢の中のソーちゃんは、テーブルを挟んで目の前に座る女性を呼んでいる。
『なんだい?』
向かいにいる女性――ソーちゃんのおばあちゃんが、目を細めて優しく微笑んだ。
『おばあちゃんのゆめってなに?』
『夢?』
『うん!』
それはソーちゃんが幼い頃。
魔女になる前の何も知らなかった頃の記憶。
『そうね……』
おばあちゃんは紅茶を一口飲み、窓から見える外の景色に目を向ける。
窓の外では、草花が穏やかな風にその身を揺らしている。
『凄い魔法を作りだすことかな……』
『すごいまほう?』
『そうよ。誰もがあっと驚く魔法よ』
当時のソーちゃんには、凄い魔法というのがよくわからなかった。
『こうちゃをつくるよりもすごいの?』
『ふふっ』
おばあちゃんがくすりと笑う。
『そうよ。私の紅茶よりも凄い魔法よ』
おばあちゃんの紅茶は、とても美味しかったことを憶えている。
幼い頃は、あの紅茶は魔法で作っていると勘違いしていたくらいだ。
『どんなまほうなの?』
『ふふっ、秘密よ』
『ぶぅー……やっぱりおばあちゃんは、せいかくわるいよね! ――あいたっ!?』
『……』
額に小さな衝撃が走った。
ぶつかった物がころん、とテーブルの上に転がる。
飛んできたのは、角砂糖だった。
おばあちゃんは、無表情で紅茶を飲んでいる。
……ソーちゃんの短気さは、おばあちゃん譲りだよね。
おばあちゃんは、ソーちゃんと同じで気が短かった。
弟子たちとよく揉めていたのを憶えている。
『……ソーバにもいずれ教えてあげるわ』
『ほんと!』
『ええ、本当よ。魔女は愛する者には噓はつかないの』
『じゃあ、おばあちゃんはまじょじゃな――あいたっ!?』
再び額に衝撃。
また、角砂糖が飛んできた。
ほんと手が早い。
『ソーバには、噓はつかないから安心しなさい。それに私が作っている魔法はね――』
そこでおばあちゃんの言葉が途切れた。
周囲が霧に包まれていき、姿もぼやけ始める。
匂いや声もどんどんと遠のいでいく。
『おばあちゃん!』
夢の中のソーちゃんは、必死に手を伸ばす。
だが、届くことはない。
「おばあちゃん!」
ベッドから勢いよく飛び起きた。
視線の先には、おばあちゃんはいない。
あるのは、泊まっている宿屋の薄汚れた木の壁だけ。
大きく溜息をつく。
「はぁ……久しぶりにおばあちゃんの夢を見たわね……」
ここ最近は、おばあちゃんが夢に出てくることはなかった。
きっと、あの魔女を拷問したからだろう。
「どうせなら、あの魔法について喋っている所を夢に見たいんだけどなー……」
夢は、いつも良い所で終わってしまうので起きるとガッカリしてしまう。
「まぁ、そんな都合よくはいかないか」
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。
「んっ……眩しい……」
遮られていた朝日が部屋に差し込み、顔を照らした。
今、私は貿易都市ボロニバスの宿屋にいる。
別に、処刑人であるケリンちゃんに会いに来ているわけじゃない。
詐欺師であるシエフちゃんと、この街で会う約束をしているからだ。
両の手で挟み込むようにして、頬を軽く叩く。
「……よし! 準備してシエフちゃんに会いに行こう!」
身だしなみを整え、宿屋を後にした。
◇◇◇
会う場所は、いつもの小さな酒場。
酒場と言っても酒臭い男どもはいない。
若い女の子や、子供を連れた母親たちがお客のほとんどを占めている。
「あ、ソーバさん。いらっしゃい」
「どうもー!」
店に入ると、カウンターの奥から店主であるエルフのアイリスさんが、笑顔で出迎えてくれた。
流石エルフ。いつ見ても綺麗なことで。
「シエフちゃんは、もう来てる?」
「ええ、来てますよ。ほら」
アイリスさんが、吹き抜けの二階席を示す。
視線を向けると、二階席からシエフちゃんがこっちに手を振っていた。
「ありがと! あ、ソーちゃんはいつものでお願いね!」
「はい。すぐにお持ちしますよ」
ついでに注文を済ませてしまう。
ここに来たら、アレを飲まずには帰らないからね。
「シエフちゃん、おひさー!」
「うむ。久しぶりじゃな」
二階席へ上がり、シエフちゃんの向かいに座る。
彼女と会うのは、ギルド極北の風を壊滅させたとき以来だった。
ソーちゃんたち四人は、決して友人という関係ではない。
ただ、同じ人を好きなだけの関係。
どちらかと言えば、敵対関係と言ったほうが正しい。
「詐欺の調子はどう? いっぱい騙してる?」
「ブフッ!?」
シエフちゃんが飲んでいた飲み物を盛大に噴き出した。
きちゃない。
「もー何してんのよー。テーブルが濡れちゃったじゃん」
「お主が変なことを言うからじゃ!!」
「えー? 別に何も変なことは言ってないよ? ソーちゃんはただ、さぎ――」
「それじゃよ!!! 商人と呼ばんか! 商人と!」
シエフちゃんがビシッと指を向けた。
事実なんだし、別に否定しなくてもいいのに。
「はいはい、商人ね。わかったよ……狐のおばあちゃん」
「おばあちゃんではないわ!!」
「アハハ!」
ほんとシエフちゃんは、面白い子だ。
一々反応してくれるので、ついからかっちゃう。
……他の二人は、冗談も通じないからねー。
ここにはいない二人のことを考える。
ケリンちゃんは、話は聞いてくれるけど、冷たくあしらわれる。
カノンちゃんに至っては、そもそも話を聞いてくれない。
つまり、ソーちゃんには、シエフちゃんしかいないのだ。
「……まったく。わらわで遊ぶ為に呼んだのか?」
シエフちゃんは、腕を組んでむすっとした顔をしている。
子供がいじけているようで、可愛い。
「違うって。これは挨拶。あ・い・さ・つ!」
「そんな挨拶聞いたことがないわ!!」
思いっきりテーブルを叩いて反論してくる。
ほんと面白い。
まぁ、お遊びはこれくらいにしよう。
「まあまあ、落ち着いてよ。ちゃんとした用事で呼んだことは事実なんだからさー」
「……ふん!」
シエフちゃんは、ぷいっとそっぽを向いた。
そっぽを向くシエフちゃんも可愛い。
まぁ、キルシュちゃんには劣るけど。
◇◇◇
大好物のマギアジュースも届いたので、早速話を始める。
「シエフちゃんには、ちょっと聞きたいことがあるの」
シエフちゃんが首を傾げる。
「聞きたいことじゃと?」
「そう。ちょっと魔法についてね――」
シエフちゃんに、ある魔法について話した。
それは誰もが求める魔法。
そして、おばあちゃんが作ろうとしていた魔法。
話を聞き終えたシエフちゃんは、腕を組んだ。
「うむ……」
目を閉じて、考え込んでいる。
「どう? 何か知ってる?」
「そうじゃの……わらわが憶えている限りは、その魔法については何も知らないのう」
「そっかー、残念」
シエフちゃんなら何か知っているかと思ったが、予想は外れたようだ。
木のコップに入ったマギアジュースを一口飲む。
口いっぱいにガツンとした甘さが広がる。
この甘さがやめられないんだよね。
「じゃが、部下たちなら何か知っておるかもしれんな」
シエフちゃんが、視線を上げて言った。
「ほんと!」
思わず身を乗り出す。
「うむ。うちは魔導書も取り扱っているからのう」
魔導書。
その名の通り、魔法が記されている書物。
特別な魔法がかけられた紙に記されており、風化することはない。
その為、古代遺跡などから大昔の魔導書が見つかることもしばしば。
大昔の魔導書は、高値で取引されることが多く、一攫千金を狙って魔導書を探している者も数多くいるとか。
「さすが商人。魔導書まで扱ってるんだ」
「当たり前じゃ。金儲けできる物をわらわが見過ごすわけなかろう」
シエフちゃんが平べったい胸をポンっと叩く。
「ありがと!」
「うむ! それで? 対価に何を支払ってくれるのじゃ?」
「対価?」
首を傾げる。
シエフちゃんは、呆れたように溜息をつく。
「はぁ……わらわが何の対価もなしに、引き受けるとでも思ったのか?」
「うん」
「まったく……これだから、素人は困るのう」
シエフちゃんは、木のコップに入った飲み物を一口飲んだ。
「わらわは、商人じゃぞ? 対価もなしに引き受けるわけなかろう。仕事を依頼するのだ、ちゃんと対価を支払ってもらわねばのう」
「えー……友達なんだから、ただでやってよー」
「ははっ! 何を言うておる! わらわ達は、友人ではないだろうに。それは、お主が一番そう思っているのではないか?」
「アハハ! まあねー」
バレちゃってたか。
まぁ、みんなもそんなこと微塵も思っていないだろうから、問題ないけど。
「仕方ないなー。じゃあ、いくらで引き受けてくれるの?」
「そうじゃのー……」
シエフちゃんは、顎に指先を当てる。
「……五十万ルクトくらいかのう」
「五十万!? ちょっと! たかが調べるだけで、そんなにかかるのはおかしいでしょ!」
この酒場のマギアジュース一杯が五十ルクト。
この街の一般的な宿屋に泊まっても、三千ルクトしかかからない。
五十万ルクトなんて、大金だ。
「なんじゃ。払えぬのか?」
「払えるわよ。ただ、高すぎるってだけよ」
ソーちゃんは、別に貧乏人ではない。
将来の為にちゃんと貯蓄をしている。
だから、五十万ルクトくらいであれば問題なく払える。
だが、シエフちゃんに払いたくない。
敵である彼女には。
「調べるだけなんだから、五万ルクト程度にしておきなさいよ」
「ダメじゃ。わらわは五十万ルクトでなきゃ、引き受けん」
シエフちゃんは、ぷいっとそっぽを向く。
もう可愛くない。
「この……狐ババアが……」
「ははっ! どうとでも言うが良い! 安い挑発なんぞ商売で慣れっこじゃ。そんなことで値を下げることはせんぞ?」
シエフちゃんは笑みを浮かべながら、どこからともなく鉄扇を取り出し、口元を隠すようにして広げる。
「さて? どうするのじゃ? 払うのか、払わんのか。決めてほしいのう」
「くっ……」
どうしたものか。
ソーちゃんだけでは、調べるのに限界がある。
だから、シエフちゃんの手を借りたい。
だが、彼女に五十万ルクトなんて払いたくない。
……そうだ! あの手があった!
とある方法を思いついた。
それは以前、ソーちゃんがケリンちゃんにやられた技。
子供じみた方法だが、我々四人には絶大な効果がある技。
これを使えば、シエフちゃんは私の要求に応じずにはいられない。
「そっかー……なら払うしかないかー」
「おお、払う気になったかのう」
「うん……仕事を頼む以上は、仕方ないよね」
あえて支払いに応じるふりをする。
シエフちゃんも満足げに鉄扇を閉じる。
「では、これで決まりじゃな」
「そうだね。……あーあ、痛い出費だなー。これはキルシュちゃんに慰めてもらわないといけないなー」
「!」
キルシュちゃんという言葉に、シエフちゃんの肩が揺れる。
……さぁ、ここからだよ。
必殺技を使おうじゃない。
子供じみた必殺技をね。
「シエフちゃんに、ぼったくられて五十万ルクトも支払ったと言えば、きっとキルシュちゃんは慰めてくれるはず。だって……友達にぼったくられたんだからね……」
何度も言うがソーちゃん達は、友人同士などとは思っていない。
あくまで協定を結んでいるだけの関係。
協定が無ければ、殺し合いをしている関係。
だが、キルシュちゃんにとっては違う。
彼女からすると、ソーちゃんたち四人は仲の良い友人だと思っている節があった。
「きっとキルシュちゃんは悲しむよね……友達を騙してお金を巻き上げたなんて知ったら」
「ふ、ふん! そんな脅しは通用せんぞ! この対価は正当な報酬じゃ。仕事もせずに巻き上げたわけじゃない!」
確かにただ巻き上げたわけじゃないね。
でも、キルシュちゃんはどう思うだろうか。
「そうだねー。シエフちゃんは何も悪くないから、気にしないで。ただ……ソーちゃんがぼったくられたと思って、キルシュちゃんに慰めてもらうだけだからさ」
「……」
「キルシュちゃんのことだから、自分のお金をあげるとか言い出しそうだなー。裕福じゃないのに、ソーちゃんの力になる為にさ……」
キルシュちゃんは、優しい。
女神様のような人間だ。
そんな彼女が、困っている者を放っておくわけがない。
きっと自分の身を削ってでも、助けるはずだ。
「ぐっ……」
シエフちゃんが顔をしかめる。
そうだよー。キルシュちゃんのことを考えてね。
「じゃあ、ソーちゃんはお金を準備してくるね。五十万ルクトなんて大金、持ち歩いていないからさ」
そう言って席を立とうとする。
すると、シエフちゃんが口を開く。
「待つのじゃ」
「何? ソーちゃんは急いでるんだけど?」
「……五万でよい……」
「え? 聞こえないんだけど?」
わざとらしく、聞こえないふりをする。
シエフちゃんは、グッと何かを堪えている。
「……五万ルクトで良いと言っているのじゃ!」
そして言った。
大金を払わなくて良いと。
「アハッ! 流石、シエフちゃん! 心の優しい商人だね!」
「ちっ……覚えておれよ……」
これで交渉は成立した。
キルシュちゃんには、何か美味しいものを買って行ってあげよう。
「ありがと! じゃあ、五万ルクトで交渉成立ね!」
シエフちゃんに右手を差し出す。
「……まったく、商人としては最悪の結果じゃよ」
シエフちゃんは、差し出した右手を強く握りしめた。
「じゃあ、ソーちゃんは帰るから、調査の方は宜しくねー」
「うむ。何かわかったら連絡する。代金は、後で支払いにくるのじゃぞ」
「わかってるって! 踏み倒さないから安心して!」
そう言い残し、不機嫌なシエフちゃんを残して酒場を後にした。
もちろん、マギアジュースの代金はシエフちゃんが支払うとアイリスさんに伝えてある。
たった五十ルクトだし、問題ないよね。




