[No.50] 青年の腹を食い破り〝黒い蛆虫〟が飛び出す
《ナーダム村》で森番をしている男性・リスコーさん(20)が、腹の痛みを訴えたのは、夕食のスープを啜っていたときだった。スプーンを落としたかと思うと、「痛い痛い」と腹を押さえてテーブルに突っ伏したのである。食あたりには早すぎた。
「森で悪いものでも食べたんじゃないのかい?」
母親が訊くと、リスコーさんは一度横に振った首を、縦に振りなおす。
「……そういや、腹が空いて茸を食べた」
「ほらやっぱり。原因はそれさね」
両親は、彼をベッドに寝かせて一時様子を見ることにした。しばらく安静にしていれば良くなる。そう思っていたのだが、夜が更けていってもリスコーさんの様態は回復しない。そればかりか、悪化の一途をたどった。「痛い痛い」という回数は増え、声も大きく喚き散らすようになり、手足を激しくばたばた動かしてベッドを叩く。
これはただ事ではない、と父親はすぐに医者を呼びに出た。といっても、ナーダム村には村医者がいない。隣村から連れてくる必要がある。夜番の自警団に知らせ、馬車引きの団員を叩き起こしてもらい、同村内に滞在中だった冒険者を警護人として雇う。そうして隣村までの暗夜行路を急いだ。
父親が医者を連れて戻ってきたのは、日の出の時分になった。
「様子はどうだ!?」
リスコーは叫ぶことはなくなっていた。しかし快方に向っているわけではない。掛け布団で腹を覆ったまま、奥歯をかみしめ、ひきつけを起こしたように身を固くしている。全身汗だくだった。
「この子、腹をちっとも見せようとしないのよ……」
母親は痛がる腹を何度も見せてもらおうとしていた。だがそのたびに、「なんでも無い! さわるな!」と鋭い剣幕で手を払われてしまい、おろおろするばかりだったのだ。
医者が服をまくるように言っても、きかず、これでは埒が明かない。リスコーの体を両親が力づくで押さえつけ、その間に医者が診察をすることになった。
「な、なんだこれは!?」
リスコーの腹が蠢いていた。痙攣のたぐいとは訳が違う。皮膚が荒波のようにうねっている。腹の内側に何かが巣くっているのは明らかだ。
「うわーっ!」
ベッドに押さえつけられているリスコーが体をエビ反りにさせた。へそ上の皮膚がこんもりと隆起してくる。その盛り上がりが増すにつれ、ひっぱられた皮膚が薄く伸び、内部にいる〝それ〟の形を浮き彫りにしていく。
バチンッ!
喰い破って出てきたのは、〝黒い蛆虫〟だった。大人の前腕ほどの大きさと太さ。先端に付いた口の牙を不規則に動かし、筒状をした蛇腹の体を上下に気色悪く伸縮させる。まだ何匹か潜んでいるようで、静かになったリスコーの腹部でもごもごと蠢き続けている。
「おのれバケモノ! よくも息子を!」
「待て! こやつは〝ベルゼブブ〟の幼体じゃ! 傷つけたらいかん!」
医者の制止をふりきり、父親は医療鞄に入っていたメスをつかんで、蛆虫のバケモノを袈裟がけに斬りつけた。黒い水ぶくれのような皮膚はやすやすとメスを通し、切り口から鮮やかな青色の体液がドロドロ出てくる。
キィーーーッ!
甲高い奇声を発し、蛆虫は黒光りする体をくねらせてのたうつ。青い体液が撒き散らされ、付着した床板や布団が、見る間に溶かされていく。胴体を裂かれた蛆虫も自身の体液で体を溶かされ、下方で蠢いていた数匹も連鎖的に溶けていく。そして、リスコーさんの腹も溶け切ってしまったのだった……。
◯
医者の診断どおり、リスコーさんの腹を突き破ったのは、ベルゼブブの幼体である。成体は、ハエの姿に似た魔物で、豚ほどに成長する。
ベルゼブブは卵を他の動物に産み付ける寄生育成型の生物だ。体内で孵化した幼体〝黒い蛆虫〟は、その宿主の体を食料にするのである。
彼らの青い液体は血液であり、体外へ排出されたときには強酸に変わり、孵化後、外敵から身を守るために口から吐き出す武器にもなる。人体の臓器内部に潜むことになるので、手術で腹を割いて体内から取り除くことは難しい。たとえ外科医療が進歩したとしても無理だろう。刃物で幼体を傷つけてしまえば、一巻の終わりだからだ。今回の事例のように、最悪、連鎖崩壊を招き、体が腹から真っ二つになってしまう。
産み付けられた卵が孵るまでは、早くとも3日。この期間が生死のわかれ目である。ベルゼブブの卵には特効薬があるのだ。薬師ギルドの研究機関が開発したもで、卵のうちにその〝虫くだし〟を服用しさえすれば、体内で死滅させることができ、助かるのである。
だが、リスコーさんのように黙っている人が少なくない。ベルゼブブの成体は、卵管を『肛門』から挿入して産み付ける。ゆえに、恥辱感などにより、誰にも言えないままでいてしまうのだ。手遅れになる被害者は、男女ともに多感な年頃の若年層が多い。