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街外れ、鬱蒼とした森を歩く。静かなのはリリィの住む森と変わらないが、それとは対照的に気分が滅入るような不気味さだ。
しばらく歩いた頃、うず高く隆起した地面に大きく開いている口が見えてきた。
「あれが迷宮の入口です」
その横には、手槍を持ち、革の防具で全身を固めた若い番兵が一人立っている。俺達が近付くと声を掛けてきた。リリィはやはり俺の背後に隠れる。
「初めて見る顔だが、冒険者か?」
手首に巻いた認識票を掲げると、背後のリリィが認識票を巻いた腕だけを伸ばす。番兵はそれらを一瞥してやや苦い顔をした。
「迷宮に挑むのは構わんが、その番号からして最近登録したばかりだろ? もう少し経験を積んでからの方がいいと思うぞ」
「そうかも知れませんが、あまり悠長にしてはいられないんです」
番兵は軽くため息をついた。
「まあ、止めはしないさ。ただ、何の目的か知らんが無理はするなよ。危険を感じたらすぐに逃げるんだぞ」
頷きを返す。親切な番兵に見送られ、迷宮へと足を踏み入れた。
地下に向かって傾斜している入口を抜けると、全面が石に囲まれた小部屋のような開けた場所になっていた。正面には下り階段が見える。
リリィは部屋の隅に歩くと、床に何かを描くように杖を動かした。
「何をしているんだ?」
「転移魔法用の印です。あまり長距離は移動できませんし、迷宮と外部を隔てる障壁のようなものがあるらしく、迷宮内から直接外に出ることも、その逆も出来ませんが」
凄まじく便利だな。迷宮内を移動できれば充分だろう。
「それでは進みましょう」
階段を下りきると体感温度が一気に下がる。外光は全く届かず、横のリリィの姿も見えないほど暗い。異様なほどの静寂のせいもあって、緊張が高まる。
リリィが何事かを呟きだした。理解できないため、共通語ではないのだろう。魔法の詠唱といったところだろうか。それが終わると、幾分明るさが増し、やはり全面が石造りとなっているのが分かった。
通路は前方と左右に伸びているが、明るくなったとは言え、すぐ先しか見えない。天井は意外なほど高く、通路の幅も相当に広いため、剣を振るのに困ることはなさそうだ。
「この迷宮の探索が困難な理由の一つを教えましょう。このまま前に進んでください」
言われるまま通路を進む。しばらく歩いたが、別段の変化はない。すぐ後ろを歩くリリィが声を上げた。顔色が僅かながら良くないように見える。
「待ってください。何か不調はありませんか?」
リリィは言い終えるとすぐに詠唱を行った。
「いや、特に変わりはないが」
「やはり、我が家の秘法は確かだったのですね」
血色を取り戻したリリィが感慨深げに呟く。
「どういうことだ?」
「この迷宮には強力な瘴気が満ちているのです。野生動物が魔物化する原因とも考えられ、人間はその中にいるだけで体力と気力が奪われるものです。それを防ぐために結界を張る必要があるのですが、それなりに高度な魔法なので、ある程度の魔術師でないと使用することが出来ません」
新米冒険者が挑むような場所ではないのはそのためだろうか。
「その上、術者以外へ行使するためには効果を弱めざるを得ないため、パーティ全体の弱体化を完全に避けるのは難しいのです。それが不要となれば、私も全力を尽くせます」
「頼りにしている」
リリィは一瞬不敵な笑みを浮かべ、すぐに真剣な表情となる。
「ですが、迷宮を進めば進むほど瘴気は強くなるようなので、異変があったらすぐに知らせてください」
「分かった。気を付けよう」
「それでは先に進みましょう。そろそろ魔物が現れるかも知れません。警戒をお願いします」
緊張が更に高まる。心音がうるさいくらいだ。一度大きく息を吐くと、鞘から抜いた剣を右手に下げて再び歩き出した。
しばらくまっすぐに歩くと、壁にくり抜かれたような四角い口が現れた。通路からではその先はほとんど見えないが、小部屋に繋がっているように見える。背後のリリィを見ると、深く頷く。入れということらしい。
あのゲームでは部屋に入った瞬間に魔物と遭遇することが多かったはずだ。
緊張が続き麻痺したのか、奇妙な高揚感のみがある。勢いのまま、剣を青眼に構えつつ足を踏み入れた。
俺の後にリリィが続く。周囲が明るさを増すと、やはり部屋のような開けた場所であることが分かった。同時に、部屋の奥の存在に気付く。
全体のシルエットこそドブネズミのようだが、中型犬程の大きさがあり、凶悪な顔と牙を持っている。ネズミは濁った赤い目でこちらを凝視し、警戒するように姿勢を低くしている。複数体が一箇所に固まっているようで、正確な数は分からない。
背後のリリィがごく短い詠唱を終えるや、掲げられた杖から火球がネズミの群れに向かって一直線に飛ぶ。何体かに命中したようで、耳障りな鳴き声とともに炎が燃え上がった。
火球を回避したらしい3体が、こちらに向かって猛然と突進してくる。中型犬程の大きさとは言え、剣で相手をするには低すぎることに僅かに戸惑うが、刃を右背面に向けた脇構えをとり、地面に付くほど切っ先を下げる。3体の内、突出した1体の左に向かって鋭く踏み込み、すれ違うと同時に剣を持ち上げるように振り抜く。手応えがないが、確認する間もなく2体目と3体目が同時に飛び掛かってきた。どちらも喉を狙っているようだ。振り抜いた状態のまま地面を向いた切っ先を、手首を返して円を描くように左に向け、その勢いで剣全体を右へと水平に薙ぎ払う。当たりさえすれば良いと思っていたが、手応えはないままに、2体のネズミは顎から上の頭部とそれ以外に分断された状態で地に落ちた。
右を見ると、全身が左右に分断された状態のネズミが転がっている。自分でやったこととは言え、余りの酸鼻、凄惨たる光景に吐き気がこみ上げて来た。目を閉じて上を向く。ちょっとした弾みで戻してしまいそうだ。
どうもこの剣は斬れ味が鋭すぎるらしい。妖刀、魔剣の類ではなかろうか。
「素晴らしいです! ヒロ!」
リリィの声が聞こえる。どうやらいたく喜んでいるらしい。この惨状の中で狂喜する美少女は、さぞや絵になることだろう。
しばらく上を向いたまま浅い呼吸を繰り返し、ようやく吐き気も落ち着いてきた。目を開けて振り返ると、頬を上気させたリリィが立っている。
「やはり凄まじい剣技を持っていたのですね! これならば、すぐにでも2階層、いえ、3階層にでも行けそうです!」
不思議と冷静に動くことが出来たのは確かだが、斬るどころか当てることが出来たのすらまぐれとしか思えない。買い被りが過ぎる。
「落ち着け。凄いのはこの剣であって俺じゃない」
右手の剣を掲げる。改めて見ると、刃こぼれどころか僅かの血糊すら付着していない。あるいは当てることが出来たのもこの剣のお陰かも知れない。
「謙遜も程々にしないと、嫌味に聞こえてしまいますよ」
リリィが微笑む。心の底から言っているのだが、このロリババアには謙遜に聞こえるらしい。
「とりあえずは巨鼠の死体を回収しましょう」
やはりこのネズミが目的の魔物だったらしい。
改めて部屋を見回す。これを回収するのか。泣きたくなってきた。
重い足を部屋の奥に進め、折り重なった焼死体を見る。3体分の死体があるようだ。焼けただれているが、何とか原型は留めている。戦闘中は考える余裕がなかったが、リリィはリリィでかなり強力な魔術師なのではないだろうか。
「これだけの数だと、全身を運ぶことは出来ないので頭部だけで良いでしょう」
心を無にし、首を切り落とす。内部まで焼けているようで、血液等はほとんど出なかった。後は麻袋に入れるだけだが、どう入れよう。手袋をしているとは言え触りたくない。しばし考え、袋の口を開いて地面に下端を付け、剣の峰でネズミの首を叩いて転がし入れることにした。ホウキとチリトリの如しだ。ジジイが見たら激怒するだろうな。
「さあ、残り3つです」
残る内の2体の頭部を袋に入れる。顎から上しかないが、まあこれくらいは大目に見てもらえるだろう。
問題の1体が最後に残る。頭部を含む全身が左右に分断されている。なるべく断面を見ないように、それぞれから首を切り離したが、血やら何やらの粘液めいたものがまとわり付いている。吐き気が再びこみ上げるが、何とか袋に叩き込む。袋から液体が滴るようなことはないが、それでも背負ったりする気にはなれない。仕方なく左手にぶら下げる。かなり重い。
「今日のところはこれで充分ですね。ここに転移用の印を置いたら、地上に戻りましょう」
言いながら、リリィは部屋の隅に印を描いた。
「ここに転移するのは危ないんじゃないか?」
「確かに危険ではありますが、迷宮に安全な場所はありませんし、広大さ故に転移魔法なしでの踏破は不可能です。浅い階層のうちに慣れておくためにも、多少危険な場所への転移を行っておいたほうが良いでしょう」
一理ある。が、この惨状をいきなり目にすることになるかと思うと気が滅入る。時間が経てば更に酷いことになりそうだ。病気が蔓延らないとも限らない。
「残りの死体は放っておいていいのか?」
「この迷宮内では、魔物に限らず全ての死体が数時間、長くとも1日ほどで分解されてしまいます。一説によると、迷宮自体が消化、吸収しているそうです。実際に、迷宮は成長するかのように徐々に広がっているようです」
「それなら尚更なんとかしたほうがいいんじゃないか?」
「炭化するまで魔法で焼き尽くすことも出来なくはないですが、それだけでかなり消耗しまいます。魔物同士の戦闘も活発なようなので、そうしたところで大した影響はないでしょう」
元の世界における環境問題のようだな。とは言え、あらゆる死体が迷宮に吸収されるのであれば、リリィの言う通りか。
「それでは、地上に戻りましょう。私の肩に手を置いてください」
やはり綺麗なままの刀身を鞘に収め、リリィの肩に右手を置く。見た目に違わず華奢な肩だ。
リリィがこれまでで最も長い詠唱を終えると、一瞬の暗闇の後、小部屋に立っていた。僅かながら外光が差しているのを見るに、転移魔法用の印とやらを描いた、迷宮入口のようだ。便利なものだな、全く。




