【プロローグ:あるいは地獄】
「ねえ寧々、これ、全部聞いたの?」
テーブルの上には古いボイスレコーダーがいくつも無造作に積まれ、その周りにはオカルト雑誌が散らばっていた。オカルトマニアの友人である凛は、興奮で目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「ううん、最初のいくつかを聞いただけ。あまりにも不気味で、一人では抱えきれなくなって……。だから、すぐに凛に相談しようと思ったの。これ? これは先月、急に心不全で亡くなったおじいちゃんが、遺言でなぜか私に全部譲るって……」
私は、氷がすっかり溶けきったアイスコーヒーのグラスを両手で包み込みながら、震える声を必死に悟られないように答えた。喉の奥がひどく渇いていた。
祖父は地元の大学で教鞭をとる傍ら、郷土史家としてあちこちの伝承を調べて回っていた。真面目で温厚な、誰もが尊敬する人だったはずだ。しかし、遺品のボイスレコーダーを何気なく再生してしまった夜、私のその記憶は根底から音を立てて覆された。
『……ごぼ、ごぼごぼ。』
どの録音も、必ずあの不気味な水音で終わる。そして、奇妙な失踪や怪死の直前に立ち会っている「郷土史家」の声は、疑いようもなく私の祖父のものだった。まるで祖父自身が呪いの「呼び水」となり、あるいは意図的に相手を深い水底へ沈めているかのように。その事実に、私は吐き気がするほどの悪寒を覚えた。
一人で抱えきれなくなった私は、オカルトや都市伝説に目がない凛のアパートに駆け込んだのだ。
「やばい、やばすぎるよこれ!」
凛は身を乗り出し、興奮を隠せない様子で言った。
「本物の呪物じゃん。しかも『水』にまつわる呪いばっかり集めてるってことは、何か強烈な儀式があるんだよ、絶対」
「嬉しそうにしないでよ……。私、もう気味が悪くて。警察に届けた方がいいのかな」
「ダメダメ! こんなの警察に持ってっても相手にされないって。それに……」
凛はテーブルの上のボイスレコーダーを一つ手に取り、ゆっくりと親指で再生ボタンを撫でた。その指先が、まるで凛が実家で飼っている猫でも愛でるかのように繊細に見えた。
「全部の録音に、寧々のおじいさんの声が入ってるんでしょ? なんでおじいさんは、こんなものを可愛い孫娘に遺したのかな。ただの嫌がらせ? それとも……寧々に『知ってほしかった』か、あるいは『引き継がせたかった』か」
「引き継ぐって……何を?」
「さあね。でも、それを知るには全部聞くしかないでしょ」
凛の言う通りだった。祖父はなぜ、私を名指ししてこれを遺したのか。あの優しかった祖父は、裏で一体何をしていたのか。そして、私に何をさせようとしているのか。
ふと、閉め切った部屋の中だというのに、足元にじっとりとした湿気を感じた。まるで、どこからか海の底の匂い、あるいは淀んだ沼の底の腐臭が漂ってきたような気がする。背筋が凍りつく。
「……じゃあ、とりあえず、1つ目、再生するよ」
凛が容赦なくスイッチを押し込む。
カチャ、という小さな機械音が鳴り、スピーカーからノイズ混じりの「新しい地獄」が流れ始めた。
私たちは息を潜め、深淵の底から這い上がってくるかのような、その録音音声に耳を傾けた。




