青天の霹靂
翌朝のこと。元より大して体調不良という訳でもないし、いつまでも部屋の閉じこもる必要はない。アイシャはまだ心配そうな顔をしていたが、気づかなかったふりをして食堂へと向かった。扉を開けると、珈琲の匂い。父上が新聞を読んでいた。リラと母上はまだ来ていないようだ。
「おはようございます」
「……ああ。もういいのか」
ちらと視線が持ち上がり、目が合う。リラと同じ桃色の瞳だが、父上のそれは冷えている。今日は、いつも以上に。
「はい、ご心配をおかけしました」
席に着くと、私の前にティーカップがそっと用意される。傍の侍女へ紅茶を頼んだ。父上が新聞を置くと、控えていた執事が一枚の紙を私に寄越す。嗚呼、そうだ。昔、こんな場面もあった気がする。
紙には私の名前と、いくつかの項目。これは、魔力検査の結果用紙だ。
「魔力検査の結果だが……お前には類稀な魔法の才能があるとのことだ」
魔力検査で分かるのは、その時に持つ魔力量と質、そして魔法適性だ。
魔力量と質は文字通り、身体に秘めた魔力の総量とその魔力の質を表す。量が多ければ多くの魔法を扱えるし、質が良ければ少量の魔力で高い効果を発揮する。手元の紙には魔力量、質ともに「S」という評価がついている。Sというのは最高評価であり、本来ならば喜ばれるべきだと思うのだが。父上の表情は相変わらず、凍えるように冷たい。
ティーカップに紅茶が注がれる。場違いに華やかな香りが立ち上った。
「アンタレス家が代々得意とする再生魔法の適性は殆どなく、侵食魔法が最も適性がある」
魔法には大きくわけて五つの種類がある。適性者が多い順に「創造」「分析」「守護」「再生」「侵食」。どれもその文字の通り、創造とは火や氷を作り出す魔法。分析とは鑑定魔法や解錠魔法。守護はバリアや防御魔法。再生は治癒魔法や植物の生育魔法。そして侵食は、あらゆるものを破壊する魔法。
私の適性は創造と分析、守護がA、侵食がS。そして、我がアンタレス家の人間が得意とされている再生魔法は、最低ランクのD。
「私もマリアナも侵食魔法は得意としていない。……お前は一体誰の子なのだろうな」
ため息混じりの言葉と張り詰めた空気。マリアナとは母上のことだ。自分は妾と子をもうけておきながら、8歳の子供に対してこの言いよう。過去の私はどう返事をしたんだったか。少なからずショックは受けた、と思う。だが今は違う。アンタレス家当主である父上が守るべき家名の大きさも、父上が背負う重圧も――父上の弱さと狭量も。理解している。
私は場を和ませるのも、曖昧な誤魔化しの言葉を紡ぐのも苦手だ。無理に返答はせず、目の前のカップへ手を伸ばした。ベルガモットの香り。投獄間際まで朝はノンフレーバーの紅茶を飲むのが日課だったのだが、8歳の私はそうではなかったようだ。
沈黙とこの空気。先に居心地が悪くなったのは父上の方だった。無言のまま席を立つ音が響き、それと入れ替わるように明るい足音が食堂に入り込む。
「お姉さま、おはようございます。お体はもうよろしいのですか?」
春風のように微笑んだ彼女は私の横へと座る。リラのカップには温かなミルクが注がれた。甘い香りは彼女によく似ていた。
「お父様は……」
「父上は忙しいから、もうお出になった」
「奥様も本日は体調が優れないとのことでした」
後ろから、執事長が微笑む。両親の不在は笑顔で報告することでもないと思うが、父に似ても似つかない娘と、妾の娘。父上が私に強く当たるように、母上もリラに強い言葉をぶつけることがある。
使用人たちとて人間だ。主人とその妻を批判こそしないものの、思う部分はあるのだろう。
「では、今日は二人での朝食ですね!」
素直な笑顔は、心底私を慕ってくれているようだ。遡行前はそれを見ても深い感情など抱かなかった。もとより私は愛想が悪い。リラにとっては姉ではなかったのかもしれない。
そういえば、魔王討伐の時に一緒に戦った騎士団長もよく「ヴィオレッタ様はもう少し笑顔を見せると下の者にも好かれると思いますよ」と苦笑交じりに言っていた。その時は他者の評価などどうでも良いと聞き流していたが、それがあの破滅に繋がった可能性も十二分にあるだろう。
――誰にでも媚びるというやり方は、私の尊厳が許さない。けれど、リラになら。リラに笑顔を見せるくらいなら。
「……そうだな。嬉しいよ」
ぎこちなかったかもしれない。上手とは言えなかったかもしれない。けれど、確かに私は笑顔を作った。リラは花色の瞳を大きく見開き、皿を運ぶ侍女たちが手を止め、食堂内の空気が僅かに揺らぐ。……私の笑顔はそんなに珍しかっただろうか。




