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闇より目覚める紫は


 あつい、くらい、くるしい。そう叫びたくても、声も出ない。魔法の詠唱が出来ないよう、真っ先に喉を潰されたからだ。

 嗚呼、憎い。全てが。私を裏切った全てが憎い。ありとあらゆる手を使い、地獄すら生温いと思えるほどに苦しめてやりたい。生まれたことさえも後悔し、死を懇願するほどの苦痛を味合わせてやりたい。憎い。


「悪しき魔女に、裁きを!」


 聞き覚えのある声だ。数ヶ月前まで私を英雄と褒め称えていた声だ。臆病で卑怯な、性根の腐った男の声だ。忘れるものか。絶対に。例えこの身が焼け落ちて灰になろうとも、頭と胴体が分かれようとも。必ずこの報いを受けさせてやる。呪ってやる。葬ってやる。絶対に、復讐してやる――!


「お嬢様!」


 はっと世界が明るく霞む。それから緩やかに世界の色が訪れた。目が見える。息が吸える。天井。光。空気。清潔な匂い。柔らかな感触。さっきまでの苦痛が嘘みたいだ。すっかり消えている。


「とても魘されていらして、熱もあるようなので……今、ローレント様をお呼びいたします」


 困惑する私に優しい言葉を投げてくれたのは、侍女のアイシャ。幼少の頃から世話をしてくれていた。忠義に厚く、私が信頼する人物のひとりだが、それ故に私を庇って処刑されたはずだ。最期に会った時よりも、ずっと若い。彼女は一礼をして、扉を出ていく。


「……ここは」


 咄嗟に喉へ触れる。潰れた筈の喉から声が出た。それも随分と幼い。袖を捲ると、傷ひとつない小さな子供の腕。手のひらも小さく、これではペンを持つのも一苦労しそうだ。

 一体どういうことなのだろう。さっきまで、私は民衆の前で火に炙られ、斬首の直前だったはずだ。まさか走馬灯にしては長すぎるだろう。


「幻術……いや、それにしては特有の揺らぎがない。幻ならば痛みが残るはず。痛覚遮断魔法も同時に? ……いや、床の冷たさはちゃんと伝わってくる」


 思い付いた可能性を口にしつつベッドを抜け出す。明らかに目線が低い。部屋の奥、クローゼットの前の鏡に自らを映した。

 肩にかかる黒髪と、深い紫色の瞳。この姿は私だ。間違いなく、ヴィオレッタ=デア=アンタレスだ。


 遠く、声がする。恐らく先程見送ったアイシャがローレントを連れて戻ってきたのだろう。状況が把握しきれない今、あまり動き回るのは得策ではない。ベッドに戻り、布団の中に潜り込む。牢屋には無論こんな上等な寝具なんてなかった。柔らかい布に包まれることがこんなにも幸せなことだなんて。つい、じわりと涙が浮かぶ。

 嗚呼、いけない。気を抜くのはまだ早い。出来る限り情報を集めなくては。自分の身を守るために。そして、私を裏切ったすべての人間へ復讐するために。


 ◇


「たしかに、熱がありますね。ほかにお辛いことはありますか?」


 ローレントはアンタレス家に仕えている医師だ。基本的に呼吸器の弱いお母さまの専属医だが、必要とあらばこうして他の家族や使用人たちの診察をしてくれる。

 物腰柔らかく誰にでも懇切丁寧なのだが……実は、私は少し苦手だ。何故かと問われると難しいのだが、彼の前に患者として座るとすべてを見破られている気分になる。それに、こうして見ると……最後に会った時と何も変わっていない。年齢不詳にも程がある。


「……ヴィオレッタ様?」


 名を呼ばれ、はっとする。顔色を伺う深緑の瞳から逃れるように視線を逸らし、片手で頭に触れた。

 

「あー、ええと……少し、ぼうっとして」

「これから熱が上がるかもしれませんね」


 心配そうに話す二人に、僅かに胸が痛む。復讐を誓う『悪しき魔女』にも罪悪感を覚えるだけの善良さが残っていると思うと我ながら滑稽だ。

 

「昨日の疲れが残っているのでしょうか」

「ああ……昨日は魔力検査の日でしたからね。その可能性も否定できません」


 魔力検査。この国の習慣として、貴族の子供たちはみな、8歳の誕生日に魔力検査を行うことになっている。つまり、私の年齢は8歳で、季節は春ということだ。

 

「薬を用意して来ますので、アイシャさんは水差しの準備をお願いいたします」

「すぐに戻ってまいりますので、お待ちくださいね」


 優しい声を残して二人が退室し、再び室内に静寂が訪れる。足音が離れていくのを確認してから、息を吐いた。まずは状況を整理しよう。

 

 この国、『リヴァーレア』は沿岸沿いに領土を持つ王国。美しい海に豊かな土壌、安定した気候。自然に愛された良国なのだが、魔獣と呼ばれる存在に脅かされている国でもある。

 魔獣自体はどこにでも存在するし、人間と魔獣が共存している国もある。けれどリヴァーレアに現れる魔獣は何故かみな凶暴で、対話の余地もなく人を襲う。

 私はそんな魔獣を数多く討伐し、そのうえ魔獣の長である魔王をも打ち破ったのだが――

 

 臆病で卑怯な国王には、私も恐ろしい魔獣に見えたのだろう。騙し討ちのような形で捕縛され、牢屋に入れられた。罪状は国家反逆。命懸けで国を守った私が、だ。喉を潰され声を奪われた私には弁明も出来ぬまま、火に炙られて処刑された。これが私の最期だった筈。

 なのに、気が付いたら此処にいた。

 

「幻術でも、走馬灯でもない。となれば……」


 時間の遡行。そんな言葉が頭に浮かぶ。だが、そんな魔法は聞いたことがない。有り得ない。けれど、私は今、8歳の頃の自分に戻っている。これは紛れもない事実だ。


「朝食とお薬をお持ち致しました」


「ん……」


 ノックとともに、アイシャが戻ってくる。薬と水だけだと思っていたが、彼女が近づくと甘い匂いが鼻を擽った。


「ミルク粥でしたら召し上がれそうですか?」


 投獄されてから食事なんて摂れなかった。ミルク粥がこんなにも美味しそうに見える日がくるなんて。すぐにスプーンへ手が伸びそうになったが、ぐっと堪える。いくら久々の食事でも、いくら8歳の姿になっていても。アンタレス家の令嬢として恥ずかしい振る舞いはしたくない。


「置いておいて。あとで食べるから」


 アイシャは少しだけ躊躇って、でも何も言わずにベッドサイドのテーブルへそれを置く。僅かな迷いはきっと、私への気遣いだ。熱を出す子供をひとりにすることへの躊躇。ほんの些細な部分にも、彼女の優しさと誠実さが滲んでいる。


「その……あり、がとう」


 言ってからはっとする。私はいままで使用人にそんな言葉を――いや、人生の中でそんな言葉を口にしたことがあっただろうか。内心感謝することはある、けれど。敢えて口に出した記憶が、ひとつとして思い当たらない。


「……ヴィオレッタ様。身に余るお言葉ですわ……どうか、ゆっくりとお休みになってくださいませ」


 アイシャは、ゆっくりと。丁寧に言葉を紡ぐ。なんだかとても居心地が悪い。気分が悪いわけではないが、胸の裏側を優しくなぞられるような。そんなこそばゆさがある。

 考えるべきことも、分からないことも多い。けれど、今は。久しぶりの温もりを味わうことにした。

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