第50話 豹変
初夏の日差しの下、ラプノス大平原でオリヴィアの空中移動の練習に付き合っているマリアンヌとシャルロットの二人。彼女たちが見守る中、オリヴィアは平原を逃げ回るシルバーウルフを追いかけていた。
普段なら、逃げられてしまうことがあるシルバーウルフもシルフ・フォームなら空中戦に限り、追いつくことができる。なかなか、攻撃をしてこないオリヴィアに対し、シルバーウルフは振り切ろうと右へ左へと大平原を走り回る。
「急に方向転換しないでください」
「Wa、Hun……」
「今、鼻で笑いましたよね!?」
「なに、魔物とじゃれついているのよ、あの子……」
シルバーウルフに振り回されているオリヴィアを見ながら、シャルロットは深いため息をつく。コーチ役として付いてきているはずのマリアンヌは愛しい人を見るような目で見つめていた。指導はどこへやらである。
「そろそろ攻撃しなさい」
「分かりました。エリアル・ブレード展開。クロス・スラッシュ!」
半透明の緑色に輝く光刃が狼をX字に切り裂く。思ったよりも簡単に狩れたせいか、斬った本人が感激している。
「なに、感動しているのよ」
「接近戦の実技試験、いつもドベだったのですごく感動しています」
「剣を振るおうとしたら、そのまますっころんだときは何事かと思ったわ」
「でも、これで大丈夫ですわ。今度の試験、底辺脱出しましょう」
「はい。この恥ずかしい格好もインナーだと思えば平気です」
「解除したら来ていた服が復活するけどね。どういう技術なのかしら」
「その辺の難しいことは考えないことにします。飛行の練習、続けます」
ピューンと空に舞い上がり、手を広げてくるくると旋回する。二人の飛行魔法が制約の都合上、直線的な動きしかできないのに対し、オリヴィアのシルフ・フォームは曲線的な動きも可能だ。古代魔法は現代魔法の劣化と思っていたマリアンヌからすれば、驚くほかしかない。
「飛行時間のわりに疲れている様子もなし……と」
「魔力効率に優れているのでしょうか?」
「その可能性はあるわね。コロシアムの地下の魔法陣を起動したとき、思ったより魔力を消費しなかったのよ。出力より効率を重視したのかしら、昔の人は」
「そういえば、昔の人よりも今の人の方が生まれ持つ魔力量が多いと習いましたわ。もしかすると、そのあたりも関係しているのかもしれません」
「そこは専門家に任せるわ。ひとまず、休憩しましょう。オリヴィア、降りてきなさい」
「はーい、うわ!?」
突風にあおられてバランスを崩し、シャルロットの頭とごっつんこ。頭がぶつけ合った二人が何事もなく起き上がったことに、駆け寄ったマリアンヌはほっと一安心する。
「あいたたたた……お姉さま、大丈夫ですか?」
「触らないでくれる!」
態度を急変したシャルロットが差し伸べた手をバシンと振り払う。普段とは異なる態度に二人はきょとんとした様子で彼女を見つめる。
「平民と没落貴族と戯れていたなんてどうかしていたわ」
「だ、誰が没落ですって!?そりゃあ、貴女ほど裕福じゃないですけど!」
「お、おお落ち着いてください、マリアンヌさん!」
オリヴィアは煽られて怒っているマリアンヌを必死に取り押さえる。まるで人が変わったかのような態度をとったシャルロットはぷりぷりと怒りながら、学園へと戻っていく。
様子のおかしいシャルロットをみたアンナは真っ先に一緒にいたはずのオリヴィアたちに何があったのか問い尋ねる。
「――ということがあったんです」
「ぶつかったのは悪いと思うけど、あんなに怒らなくてもいいじゃない。しかも没落呼びなんて、冗談にもほどがありますわ」
「う~ん、実は私も奴隷呼びされたんですよね。間違ってはいないんですけど、お嬢様がそう言うのは違和感があって……」
まるでシャルロットが話していた夢に出てくるような悪役令嬢っぷりにアンナはそのことを尋ねたが、なにそれと知らん素振りだった。
問題はシャルロットが幼いころにみた夢の出来事を知っているのはアンナだけということ。無暗にそのことを広めるわけにはいかないと思ったアンナはそのあたりをぼかして話すことにした。
「私とお嬢様しか知らないことを尋ねたら、知らないような反応だったんですよ」
「いわゆる記憶喪失かしら。私たちを肩書きだけで判断すれば、ああいう反応もおかしくないかもしれないわ」
「記憶喪失!? 大変です。どうしたら治るんですか?」
「右斜め45度でチョップすれば治ると聞いたことがあります」
「なるほど。45度でチョップ……」
「それ、壊れた魔道具の直し方……しかも壊すほう。誰に聞いたのよ」
「ギルガーさんです。『いいか、人も物も調子が悪いときは叩けばなおる』と仰っていました」
「……その人に言いなさい。叩いても治らないと」
「では、どうすればいいんですか?」
「そ、そうね。本で見た限りでは同じ衝撃を与える……」
「「同じです」」
「う、うるさいわね。他にも催眠系の魔法で記憶を戻すなんてものもあるけど、そうやすやすと使えるものではないわ」
「となれば、やっぱり右斜め45度チョップ……」
「いい加減、それから離れなさい!とにかく、あのひとにダメージを与える方法について考えましょう」
「では、レオナさんも呼びましょう。あの人なら私たちよりも戦闘が得意です」
「構わないわ。あの人も豹変したシャルロット様の違和感に気づいているでしょう」
「はい。呼んできますね」
オリヴィアがレオナを呼んでいる間、マリアンヌはツッコミで疲れた自分を癒すため、ゆっくりとお茶を楽しむことにした。
レオナが珍しく腕組みをしながら、座っている。何があったのかは知らないが相当怒り心頭のようだ。
「おかしかったのはそういうことね」
「そういうわけでお姉さまにガツーンと衝撃を与えるための対策を考えているんです」
「まずエアーダッシュとエアームーブがあるから、不意を撃たない限り生半可なスピードでは避けられるわ」
「そもそも鈍足だとアース・バインドでぐるぐる巻きにされます」
「その時点でアタシとアンナは脱落。バインドを躱すだけで対応を取られて、反撃の糸口を探す暇はないでしょう」
「魔力量もお嬢様曰く『人の十倍以上はあるわ』と仰っていました」
アンナはラスボスだからという一言は付けずに話すと、マリアンヌはげんなりとした表情となる。
「十倍……エレメンタルマスターと言われているだけあって頭おかしいですわ」
「持久戦も無理ね。こうなると取れる手段は、超スピードによる短期決戦か不意打ちのどっちかよ」
「私とマリアンヌさんの共同作業です」
「きょ、共同!?」
「なに、赤くなっているの?」
「マリアンヌさんは恥ずかしがり屋なんです。ところで、お姉さまとどうやって戦うんですか」
「そ、そそ、そうよ。果たし状をたたきつけても、今のあの人なら中身を見ずに、衆人の前でびりびりと破きますわ」
「そこはあの人に任せますわ」
「「「あの人?」」」
「貴女の知っている人ですわよ、アンナ」
(私の知っている人でお嬢様に意見できる人……誰でしょうか?)
アンナは必死で考えをめぐらせるが、思い当たる人物が居ない。学園の先生であったとしても、今のシャルロットは一蹴するかもしれないからだ。
翌日、町はずれのカフェで盗聴防止の魔道具を設置したシャルロットはぶつぶつと文句を言いながら、待ち人が現れるのを待っていた。その様子を隣のカフェからマリアンヌとオリヴィアが眺めていた。
「ここで待つように言われましたけど、誰が来るか聞いていますか?」
「私も知らないわ」
「あっ、長髪の人が座りました。あの人みたいです」
髪をゴム紐でポニーテールのように一纏めにし、女性のようにすらりとした体つきの男性がシャルロットの向かい側に座る。
「どれどれ……って、あの人は!?」
「知合いですか?」
「知り合いも何も公爵家の長男、レオンハルト様じゃない!」
「誰ですか?」
「えっ~と、わかりやすく言うなら……この国を政治面でおさめているお偉いさんの跡取り息子だった人で、幼いころに不治の病にかかって姿を消していた人よ。姿を消したと言っても、ごまをすりに時々見舞いに来る貴族はいたらしいけど。公爵家の肩書きがあるから無碍に扱うわけにもいかず、侯爵家の長女のシャルロット様と婚約を結んでいたはずだわ」
「でも、お姉さまの婚約者はレオナさんじゃないんですか?」
「そんなわけ……って公言していたわね。冗談だと聞き流していたけど。同性愛者のカモフラージュ結婚だとしたら、レオンハルト様も災難ね」
「なるほど、そういうことですか。お姉さまは同性愛者だったと!」
「実は私も……」
マリアンヌの最後のつぶやきは愛しいシャルロットに振り向いてもらえるチャンスはあると思ったオリヴィアには聞こえなかった。そして、オリヴィアたちは二人の行く末を注視する。




