001 はじまりの異変
俺と奴は友人ではない。
家族、でもない。
俺たちは、『共犯者』なのか。
別に俺ーー山村葉一だって、最初はあの男ーー千賀睦月のことをどうとも思ってなかったはずなのに。
これは、人外が『人間』として暮らす物語。
「栄養バランスが、偏っている」
どうとも思っていないというのは嘘だ。
俺にいちいち口出ししてくる面倒な奴だと思っていた。
今だって、ドカ盛りの豚骨カップ麺を啜っているだけでこんなことを言われる。
翻って奴はどうだ。
今日も今日とて弁当のおかずを箸で摘み上げている。
余裕ぶって、カッコつけているのか、いちいち所作が美しいのが癪に障る。
いつ咀嚼しているのか分からないほど、静かなのも気に食わない。何食ってんだ奴は。
奴はモテる。さっきも誰かと話していた。
どうせ奥さんが作っただろう弁当は、普通に栄養があってうまそうだったので、俺は何も言い返せない。
「別に、あんたに関係ないですよね」
「良くはない。私の助手には健康でいてもらわねば困る」
何とか絞り出した言葉には、心配とも取れる返事が来たが、俺は知っている。
この男は、そういう言い方しかできないのだろう。
まるで道具にかけるような言葉に、俺はむっとした。
「この先君を待ち受けるのは、塩分過多による高血圧。脂肪過多による高脂血症。言ってしまえば生活習慣病だな」
「だから、何だってんだよ」
「これからの研究を担う若者が、そうなっては困ると言っている」
「関係ないだろ」
「まぁまぁまぁ! 千賀さんも山村さんのことを考えての言葉なんですから。ね?」
いつものように剣呑な雰囲気は、同じ部屋の海堂女史に嗜められる。
実はこの海堂女史に、俺は少しだけ好意を抱いていたのだが、いつぞやか奴に憧れているという話を聞いてすっかり気が削がれたということがあった。
もちろん千賀は海堂女史にはこんな言い方はしない。
あーあ、どうせ俺は嫌われているんだろう。いつもそうだ、貧乏くじばかりを引く。
正直、千賀がいなければと思ったことは一度や二度ではない。
だが、奴は研究者としても優秀この上ないことは間違いない。
だから俺は、鬱陶しいと思いながらも、奴の下でこうして研究助手として働いている。
正直気に食わないことばかりだが、海堂女史や飯の時間が癒しになっている。
いや、やっぱなし。飯の時間も文句言われるから鬱陶しいわ、マジで。
後から思い返せば、
どれだけかけがえのない日々だったか。
次の週の月曜日、今週はじめて出勤する時研究室に電気が灯ってなかったので誰もいないのかと思ったが、鍵はボックスに入っていなかった。
(これは誰か前の日に施錠忘れたか?)
と思っていたので、「おはよう山村君」と暗がりから声をかけられた時は「うわぁ?!」と声を上げてしまった。
「なんで灯りつけないんですか」
すかさず電気を点けると、千賀は眩しそうに目を細めた。
「ああ……」
そう言う奴の手にはペンと紙があった。
まさか、文字を書いていたのか?
「目ぇ悪くしますよ」
俺はいつもの仕返しに、嫌味を言ってやったが、
「そうだな。ありがとう」
奴は素直に受け止めた。正直肩透かしだ。
何かモヤモヤする気持ちを打ち込みを頼まれたデータにぶつけたら、「ここ、ミスしている」と指摘され、更に苛立ちが募る。
今日は千賀に客が来る日だったようで、奴は手ずからお茶を用意している。丁度用意が終わったところで奴の席の電話が鳴り、来客を知らせた。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださった」
奴は俺に向ける憮然とした表情ではなく、柔和な笑みさえ浮かべている。
「えー、先生。今日はよろしく頼んます。ご存知と思うですけど、『林田』っちゅうもんですわ」
林田と名乗った男は、猟友会のオレンジのキャップを脱いで、ハゲかけた頭をこちらに見せた。
意外にも加齢臭は少なく、昔ながらの洗剤と汗の臭いがした。
別に俺は同席するつもりはなかったし、千賀の奴からも何も言われてないので仕事をしていたのだが、自分の机の隣で話をしているのが聞こえるのだから仕方がない。
「で、先生は何ができるってんですか?」
「その地域だと、カメラトラップによる調査が現実的でしょう」
「人手は? 対策は? うちはもう畑もやられてるんですわ。先生、獣は、あんたらの山から来てるんですよ」
「私に打てる手は限られている。それに、そこに隣接する裏手の山は私有地だ」
「先生は地域に貢献しようってお気持ちはないってことですか、へいへい。お偉いこって」
林田は嫌味ったらしく千賀に絡む。
俺は一発ガツンと言ってやりたくなり、立ち上がって一歩、林田に踏み出した。
「千賀先生は」
「山村、座ってなさい」
有無を言わせない声だった。
出鼻を挫かれた俺はとりあえずそこに置かれていたコップを手に取り、自分のお茶を注ぎに行った。
その際、空席なはずの千賀の席から何らかの気配を感じ、顔を向けた。
見知らぬ男性が座っている。
いや、誰もいるはずがない。
少し不思議に思って自分のために紅茶のティーパックの上からお湯を注いだ。
淹れ方がうまかったのか、甘い香りの漂うそれを持って席に着く。
「少し、席を外してくれるかな」
紅茶を飲み終わった頃にそう言われて、はたと本日の森の見回りをしていなかったことを思い出したので、帽子を被って外へと繰り出した。
林内は春めいてきており、そろそろイチリンソウの花が盛りを迎える頃であった。本日もイノシシに荒らされている場所を記録し、研究室に戻った時には既に林田と名乗った男はいなくなっていた。
「またイノシシに荒らされていたぞ」
「そうか」
千賀はまたいつもの仏頂面に戻り、お茶の片付けをしていた。
そのまま会話もなく定刻になり、俺は帰宅した。
嗅ぎ慣れない甘い香り、それだけが引っかかっていた。
※カメラトラップ
山林に自動撮影カメラを仕掛け、そこに生息する野生動物を観察する非侵襲的な調査方法。
だが、既に獣害被害が出ている地域では、調査よりも捕獲が望まれる場合が多い。
2026/6/13 ルビ追加




