幕間3 ミッシング・イン・アクション(6)
【Side:月ヶ瀬 千沙】
「……行ってしまわれましたか」
田方ダンジョンから程近いたこ焼き屋の近く、電信柱の上であの方を見つめておりました。
同僚の方と語り合い、たこ焼きを召し上がり、帰ろうとした時に私の視線に気がついたのでしょうか。あたりをキョロキョロと見回していました。
そしてすぐに二輪車に乗って、この場を離れてしまいました。
警戒している気配が見て取れました。怖がらせてしまいましたでしょうか。
私も……私も、自分が一体何をしているのか分かりません。
原爆ドームの魔の巣窟を美沙さん達と討伐して以来、私はおかしくなってしまいました。
あの方の事が頭を離れなくなってしまいました。
月ヶ瀬の力を封じられ、それでも姉として、魔を討つ者の長姉として、人々を守るべく命を賭して火の鳥の前に出ました。
火の鳥の吐く炎の息に呑まれて死ぬのだと覚悟を決めた時……あの方は私の後方より火の鳥に向かって矢のように飛びかかり、強く打ち据えました。
そしてあの方は私に生きろと吠えました。呆然とする私の体を抱き上げて、安全な場所に降ろして戦いの場へと戻っていきました。
私は、生まれて初めて殿方に命を救われました。守られました。
月ヶ瀬の家に生まれついてから、力を追い求めて来ました。それが長姉として生まれた責務でした。
しかし、それはつまり誰にも頼らず戦うと言う事。第一相にも至れないような弱い者は足手纏いにしかならず、助けになんかならない。
その傾向は、私が強くなれば強くなる程に顕著になっていきました。
……今回、私は力を失い、市井の生娘と変わらない足手纏いな女となりました。
そんな私を救ってくださったあの方のお姿が、脳裏に焼きついたまま消えません。
あの方に抱き上げられたこの体が、触れられた場所が、今も甘く痺れているようです。
決して整っているとは言えないお顔、体格がいいと言うよりも少し太っていらっしゃるお体、愛想の良くない物言い……世間で言う所の魅力には欠けているとは思いますが、私には何故か目が離せませんでした。
一昨日なんて、あの方が夢に出て来ました。
どこまでも広がる芒の野原、頭上に輝く青白い月の光を浴びて、私の手を取るあの方。
心の臓をぎゅっと掴まれるような、それでいて体の心底が痺れるような喜びの只中にいました。
……目を覚ました時、涙が溢れました。何故起きてしまったのかと。ずっと夢の中にいたかったと。
魔の物に叩き伏せられた幼少のみぎりにも、父上の辛い修行を受けていたみぎりにも、涙一つこぼさなかったこの私が、殿方を想って泣いていたのです。
私は──私は、あの時決定的に壊れてしまったのです。
美沙さんが芒の君である高坂殿が行方をくらまし、失意から寝込んでしまったと聞いたのはそれからすぐの事でした。
本当なら、この壊れてしまった私の事を相談したかった。しかし、これは仕方がない事です。
これまでの私なら、間違いなく美沙さんを叱責していた事でしょう。
我ら月ヶ瀬は魔を討つ者、弱みになるような世人を側に置いたのが悪い。失いたくなければ守れば良かったのに、みすみす指の隙間からこぼしたのは美沙さんの過失である……などと言って、弱音を切って捨てていた事でしょう。
今の私には、そのような事を美沙さんに言えようはずがありません。
もし居なくなったのがあの方だったら……そう考えると、苦しくてたまらない。
ただ想像しただけなのに、足元が抜けたような喪失感と臓腑をくり抜かれたような空虚感に苛まれます。涙が溢れてきて、体を震えが襲います。
そんな私が、美沙さんに「失ったのが悪い、弱いのが悪い」などとどうして言えましょう。私もまた、弱い女に過ぎないのですから。
「……おや」
懐にに入れておいた電話が震え、メッセージの着信を知らせています。
父上にねだって買っていただいた、とにかく頑丈な物です。いつかあの方とお話がしたくて、先んじて用意しておきました。
まだ連絡先は家族としか交換しておらず、父上と母上、それから久美子さんと電話が出来るだけです。
インターネットは……よく分かりません。SNSとやらも試してみましたが、みなさん独特な文語を使われているので、今一つ交流する気持ちが湧きません。
携帯電話を操作して通知を確認すると、そんな数少ない連絡先のうちの一つ、父上からのメッセージでした。
内容は三行にまとめられていました。
《高坂渉君の事で、みんなに話があります。
明日の午後六時頃に月ヶ瀬本家に集合。
みーちゃんは辛かったら寝てていいよ》
「父上から呼び出し……珍しいですね」
父上は奔放な方ですし、日本各地を走り回っているので、広島にいる事はあまりありません。
その上、月ヶ瀬の仕事は基本的に単独行動です。依頼や出動要請があれば、直接父上の伝書鳩が来ます。
皆で揃って話をする事もあまり無く、家族全員に招集がかかる場合は盆暮れ正月を除けば大体重要な議題がある時くらいです。
「仕方がありません、明日はあの方をお見守りするのは諦めましょう。……でも」
明日、あの方が起きて仕事に出かけるまでのお姿を眺めるくらいは許されますよね?
あの方は美沙さん達の住んでいる区画内にある古びたマンションに住んでいらっしゃいます。
いつもカーテンが少し開いているので、そこから中を覗く事が出来ます。
小さなネズミに餌をやったりしている姿や、お夕飯を即席麺で済ませている姿を隣のマンションの屋上から見続けていました。
誰かの姿を見続けても飽きないなんて、今までの私ではありえない事でした。
……昨日は眠りが浅く、何度も寝返りを打ったり起きて水を飲んだり、厠へ向かったりしていらっしゃいました。
高坂殿を助けられなかった事を悔いていらっしゃるのでしょう。お優しい方です。力になれないこの身を恨めしく思います。
こんなはしたない私を、あの方は嫌ってしまうかも知れない。ですから、見つからないようそっと見守るのです。
私は電信柱から大きく飛び上がり、あの方の帰る部屋がしっかり見通せる場所に戻るため、広島の夜空を翔けました。
一瞬でも長く、街の夜景よりも輝くあの方を見ていたいのです。




