第89話
定期的な揺れに意識が引き戻されると同時に、全身の痛みが襲いかかる。
眠っていたか、もしくは気絶していたか。そんな状態から強制的に覚醒させられた俺は、誰かに負ぶわれていた。
迷彩柄でごつごつとした大きな背中にしがみつくような形だ。……一体誰だ、この大男は?
俺が意識を取り戻したのを察知したのか、大男の隣を歩く白銀のポニーテールの女性が早口でまくし立てて来る。
だが、何を言っているのかさっぱり分からない。
見た目はアジア人っぽいし言葉の感じは中国語っぽいのだが、あいにく俺は英語すらよく分からないモノリンガルだ。
俺は痛みで再び吹き飛びそうな意識をどうにか押し留めながら、辛うじて覚えている英語で答えた。
「そーりー、じゃぱにーず、おんりー」
俺の返答を聞いたアジア人女性が目を見開いてパタパタ両手を動かし、俺を背負っている大男もビクッと反応した。何だ? 日本人が珍しいのか?
アジア人女性がしきりに「ステータス! トランスレーション!」とジェスチャー付きで指示をしてくる。
……そういや、俺が知らないうちに行われたアップデートでステータスに翻訳機能が付いたんだっけか。
俺はステータスを開き、コンフィグメニューから翻訳機能をオンにする。
いくつかの注意事項が記載されたダイアログボックスが表示され、俺は半ば感覚の薄れた手でOKボタンを押した。
「大丈夫かなー、伝わってるかなー? ねーねーセル、日本語でステータスって何て言うのかな? 翻訳って何かな?」
「知らん。ステータスはステータスだろう」
「あーもー! 便利の弊害ーーーーー!!!」
アジア人女性と俺を背負った大男の会話がナチュラルに理解出来る物に変化した。
これは凄い。スマホの翻訳機能も結構進化したとは思うが、それとは違う機序で動いているんじゃないだろうか。
明らかに個々人の性格と言うか、喋りのクセが日本語に翻訳されている。
スマホの翻訳だと杓子定規の丁寧なですます調で統一されるはずだ。
俺は内心驚きながらも、俺に翻訳機能をどう伝えるかを喧々諤々の言い争いをしている二人に声を掛ける。
「……翻訳機能をオンにした。君達の喋っている内容が分かるようになった」
「お? やったー! じゃあ私の喋ってる言葉も分かるね? 日本人がどんなステータスシステム使ってるか分かんないから翻訳機能が無かったらどーしよーって焦っちゃったよー!」
「日本の翻訳機能も同じ理屈なら、ステータスの翻訳は耳から聞こえる言葉にのみ働く。喋る言語が変わる訳ではないから、翻訳機能が無ければここでは意思疎通も難しい」
なるほど、てっきりダンジョン語的な共通言語にでも切り替えてるのかと思っていたが……
ん? ここでは? そういやここはどこなんだ?
「……すまない、ちょっと聞きたいんだが……ここはどこだ?」
「ここはエリアG、Gordian Knotだよ? とりあえずエリアAまで戻る所だよ」
アジア人女性がさも当たり前のように答える。いや、そのエリアとやらを統括しているこのあたり一帯が何なのかを知りたいんだが……
「ユーシン、恐らく意味が違う」
「どゆこと?」
大男からユーシンと呼ばれたアジア人女性が首をこてんとかしげる。
「日本人が言いたいのは、エリアの話ではなく……つまり、このダンジョンがどこなのかと言う事だろう」
「クロッド・ワンでしょ?」
大男の地よりも深い溜息が背中越しにも伝わる。そのクロッド・ワンとやらが何なのかを知りたいんだ、こっちは。
「日本人。ここはダンジョンが発生した際に対処を誤り、複数のダンジョンが氾濫を起こした結果発生した巨大な複合ダンジョン群だ」
「それがクロッド・ワン……?」
「ああ。Collapse Region of Overflooded Dungeons……その第一号だからCROD-1。ここはかつて北朝鮮と呼ばれていた場所だ」
北朝鮮……つまり何だ、ここはラピスが飛んできたダンジョンって事か。思ったよりは近場だ。
俺はてっきり異世界や平行世界みたいな帰還不可能なレベルで離れた場所に飛ばされたとばかり思っていた。
少し安心した事もあってか、俺の意識が痛みに耐えきれず薄れていく。
俺はユーシンのうろたえる声を聞きながら、眠るように意識を手放した。
§ § §
「……」
次に目が冷めた時、俺は緑色の天幕の下で寝かされている状態だった。
知らない天井だ、と言った所でいつぞやの美沙のようにツッコミが返ってくるはずがない。
俺は黙って上半身を起こして状況を確認する。
ここは俺が原爆ドームダンジョンのベースキャンプで泊まっていた時の物より大きく、無骨かつ頑丈そうで、かなりの使用感が感じられる軍用テントのようだ。……いや、規模を見るとシェルターと言ってもいい。
俺は服を全て引っ剥がされ、包帯でぐるぐる巻きにされた状態でパイプベッドに寝かされていたようだ。
古くてボロボロのブランケットが掛けられており、俺の脚を枕にするようにしてユーシンがよだれを垂らしながらくかーっと寝息を立てている。
俺が脚を揺すると流石に目が覚めたのか、ユーシンががばっと起き上がった。
「わー! ヤバい! 寝ちゃってた! あ、おっちゃんおはよ! 傷は大丈夫? まだ痛い? 一応ヒールポーション注射しといたから多少は回復はしてるはずだけど……」
「大分マシになったよ。もしかして看病してくれてたのか? ありがとう」
「いやいや、気にしなくていいよー。私も心配だったからねー。あ、そうだ! おっちゃんお名前は?」
「俺は高坂渉だ。日本の広島から来た」
「ひろしまー! 知ってる知ってる! 友達が先月遊びに行ったよ! あ、私は林 玉馨! 台湾の花蓮市から作戦に参加してるよ! でねでね、一昨日高坂さんをおんぶしてたのがロシアから来てるセルゲイ・ヴォルコフさん! 他にもパーティメンバーがいるんだけど、その前に……」
テンション高く自己紹介をしていたユーシンの表情が途端に曇る。
「んーとね、司令がね。高坂さんが目を覚ましたら連れて来いって」
「司令?」
「そう。国際探索者連盟から派遣されたアメリカ人の軍人さんでね、いきなり落ちてきた事情を聞きたいんだって。ベッド横のキャビネットに高坂さんが着られそうなシャツやらズボンやら色々入ってるから、それを着たら連れてったげるね。私、外で待ってるから」
ユーシンがぴょんと跳ねるように立ち上がり、小走りにテントを出ていった。
急な話に少し戸惑いながらも、ベッド横のキャビネットを開け、そこに入っていたうぐいす色のTシャツとカーゴパンツを拾い上げる。
……すると、服の下には俺のスマホと財布と破損が目立つボディアーマーと少しヒビの入ったカードデバイス・神楽が鎮座していた。
神楽を確認すると、カードが出て来た。フェニックス戦でダウンしたタゴサクとケラマ、東洋鉱業から借り受けた冷蔵庫と携帯用キッチン、美沙から預かっていた食材一式、原爆ドームダンジョンでのドロップ品もある。
あれ? ラピスのカードもあるぞ? 送還した覚えは無いんだが……?
ラピスはカードの中で俺に視線を向け、人差し指を唇に当てている。「黙ってろ」って事だろうか?
……まあ、ここでラピスを出そう物なら国際問題に発展しかねない。何せここはラピスを取り逃がした組織のど真ん中なのだから。
俺は手持ちのカードを確認した後、神楽に戻した。
とりあえず美沙達に無事を伝える為にスマホの電源を入れたが、あいにく圏外だった。
俺が気を失っている間にメッセージが飛んで来たりしていないかと思ったが、あの落下の直後から今まで全く電波が届いていないと言う事になる。
通信が出来ないのでシーカーズにログインも出来ないし、メッセージアプリも全滅だ。
俺はスマホの電源を切って神楽と一緒にベッドに置き、用意された服に着替え、改めてポケットにスマホと神楽と財布を突っ込んでテントから出た。
「あ、高坂さん! 準備出来た?」
「ああ、おかげさまでな。どこに行けばいい?」
「案内するよー。ついてきてー」
ユーシンが先導し、軍幕が整然と並んだ大通りを抜けていく。
ついこの間までお世話になっていた、原爆ドームダンジョンの前室にこしらえたベースキャンプとは比べ物にならない広さだ。
もはやちょっとした村や町くらいの規模のこのテント群は住宅地のような区画らしく、多国籍軍の様相を見せる多種多様な人種の探索者達が闊歩している。
そして彼らから投げつけられる視線がどうも痛い。
言いたい事は大体分かる。「何でこんな所に日本人がいるんだ?」だろう。
日本は国際探索者連盟に加盟しておらず、迷宮対策における国際協力条約への批准もしていない。
日本の探索者界隈は、世界に比べてかなり出遅れた。
降って湧いた面倒事を嫌っていたお偉いさんが観念してダンジョン対策に本腰を入れて取り組み、国際協調路線に舵を切ろうとした頃には既に大国同士が手を組んでおり、資源や人材が集まりやすい仕組みが出来上がっていた。
バスには乗客が乗り込み済み、後はバスを動かす燃料を確保するだけ……そんな状況でネギを背負ったカモになるほど、日本は間抜けではない。
石油産出国に首根っこを掴まれている化石エネルギー関連と違い、魔石を産出するダンジョンは日本にも平等にばら撒かれている。
持ち前の変態的な技術力とシャープな着眼点、同盟国からのリークや既存技術のリバースエンジニアリングで出遅れを一気に取り返したのが近年の日本だ。
これでやっと対等な条件での交渉の土台が出来上がったに過ぎず、未だ条約批准に向けた話し合いは難航している……とニュースサイトで読んだ事がある。
金も資源も技術も人材も出さない日本の探索者なんて、国際協力の名のもとに集まった各国の探索者からしたら面白くない存在だろう。
言わばここは完全なアウェーであり、俺は招かれざる客だ。出来る事ならさっさと帰りたい。
ここが旧北朝鮮だと言うのなら、どうにかして韓国か中国に入り、日本大使館に駆け込むのが一番確実だ。
何せ俺はパスポートを持っていない。財布の中に探索者証があるが、こんな所では役に立たないだろう。
異能封じが効いている今、御山でやったようなゴリ押しポータル開通は出来ない。
ラピッドフライトは使えるかも知れないが……いや、無駄に目立つ事はしたくない。国境をなんの手続きも無く飛び越えるのは法律的にもアウトだろう。
ちゃんとした手続きを経て日本の地を踏まないと、国際的な警察組織に捕縛されそうで怖い。
痛くない腹を探られるのは俺だけとは限らない。梨々香や美沙を巻き込みたくはない。
「高坂さーん? 着いたよー? どしたの、お腹痛い?」
ユーシンの後ろを歩きながらぼんやりと考え事をしていたせいで、目的地に到着した事に気がついていなかった。
これまで広がっていたテント村と違い、プレハブ工法ではあるが立派な二階建てのユニットハウスが鎮座している。
木製と思しき観音開きのドアの横には看板が掛かっており、何やら英語で書かれている。
俺にも分かる程度の英語なので読めなくはない。インターナショナルだとかエクスプローラーだとか……で、オフィスだ。何かの事務所かな?
「こーーーさかさーーーーん?? きーいーてーるーー???」
「うおっ!?」
再び意識が思考の底に沈みそうになったが、突如視界を埋め尽くす程の至近距離に現れたユーシンの顔に驚き、変な声を上げて後ずさってしまった。
美沙達に見劣りしないレベルの綺麗どころに急接近されたら、いくら美女に慣れ始めた俺でも流石にビビる。
「ここが国際探索者連盟CROD-1分室とDEO軍……えっと、迷宮探索機構軍のオフィスだよ!!」
ユーシンが自慢げに胸を張って、立派な建物を指差しながら説明する。ユーシンも建物に負けず劣らずご立派な胸囲をお持ちのようで……いや、何でもない。
しかし、国際探索者連盟だけでなく迷宮探索機構軍と来たか。これは非常にマズい。
北大西洋条約加盟国の集団的自衛権を保持するための北大西洋条約機構……いわゆるNATOのように、国際探索者連盟の加盟国が被ったダンジョン被害に迅速に対策するために独自の軍備を有するのが迷宮探索機構、ならびに迷宮探索機構軍だ。
その構成は自前の軍隊がコアとして存在し、加盟国からの出向という形で召集された探索者達がサブ要員として参加する。
召集される探索者達はレベルやスキルの習熟度、個人の各種能力から探索者としての経歴に至るまで高水準を求められる……らしい。日曜夜にやってたニュース番組でやっていた。
つまり、ユーシンや俺を担いでここに連れて来た大男セルゲイはただダンジョンに稼ぎに来た職業探索者ではなく、DEO軍外人部隊所属の軍人と言うことになる。
壊滅して空白地帯となった旧北朝鮮エリアを奪還する為か、はたまた加盟国である中国・韓国にまで迷宮漏逸の影響が出始めたかのどちらかだろう。
……随分きな臭くてグローバルな話になってきたぞ。脳裏に日本国憲法第九条がよぎる。
「あ、ああ……分かった。ここの偉い人に会えばいいんだな?」
「そだよー! あ、でも割とガチめに偉い人だから挨拶とかはちゃんとした方がいいよー」
日本国と関わりのない軍事組織の割とガチめに偉い人とかマジで勘弁して欲しいんだが?
急激に緊張してきた俺を気にするそぶりもなく、ユーシンは自宅のドアを開けるような気軽さで入って行く。
中に入ってすぐに木製のカウンターと、その向こう側で暇そうにしているドレッドヘアの恰幅の良い黒人女性が俺達を出迎えた。
グレーを基調にした警察官っぽい制服を着ているが、これが迷宮探索機構職員の制服だろうか?
勝手な物言いになるが、ニューヨークで交通違反の切符を切ってそうな女性だ。
ユーシンが親しげに黒人女性に話しかける。
「やっほー、アイリーン! 例の日本人、意識取り戻したから連れて来たよ! 傷も大分治ったみたいだしね!」
「あら、見た感じ随分元気そうじゃない? ダンジョンの天井を突き破って落ちて来たって聞いたからプルドボークみたいにズタズタになってるとばかり思ってたけど……そうそう、ボスなら上よ」
「ありがと! さ、高坂さん。こっちだよ」
カウンターを迂回して奥へと進むユーシンを追いかけつつ、アイリーンに頭を下げる。アイリーンはひらひらと手を振ると、書類仕事に手を付け始めた。
チラッとオフィスに目をやると、使用感が見て取れる事務机が並んでいるが、皆出払っているのか人影はない。奥のソファで仰向けに寝そべり、顔に雑誌を掛けている男性職員の姿があるくらいだ。
オフィスを抜けて階段を上り、「この先はお偉いさんの部屋です」と言わんばかりに立派な観音開きのドアの前でユーシンは足を止め、ドアをノックした。
「パーティコードC39、ストームコーラーの林 玉馨ですー! ストレンジャーをエスコートしましたー!」
「よろしい、入れ」
扉越しの入室許可を聞いたユーシンがドアを開ける。どうやらユーシンは部屋に入るつもりはないようで、ドアの側にまで立ったままだ。
俺が入室すると扉が閉められた。少しだけビクッとしてしまう。俺は首と体を前に向け、周囲に視線を漂わせる。
そこはまさしくお偉いさんの執務室を思わせるレイアウトの部屋だった。
ガラスのローテーブルを挟んだソファは明らかに品質が良く、先程職員が寝ていた物とは別物だ。しっかり手入れが行き届いており革が艶やかに輝いている。
壁には本棚が二台あり、本のみならず書類用のファイルも整然と納められている。
最奥に実務机があり、その横には見覚えのない二本の旗が飾られている。多分、国際探索者連盟と迷宮探索機構の団体旗だろう。
その机の向こう側で着席したままこちらを睨みつけていた壮年男性が立ち上がり、部屋の真ん中へと歩み出た。俺はなるべく緊張を露わにしないよう気をつけながら、男と相対した。
高身長ながら軍人にしてはやや細身で、長めのロマンスグレーをソフトモヒカンに仕立てたおじさまだ。
まるで将校用を思わせるやや飾りの多いグレーの軍服の胸にはバッジがいくつも付いている。軍人の階級や技能を表す徽章みたいな奴だろう。
何と言うか……オーラのある人だ。威圧感と共にどことなく安心感を覚える。まさに「ボス」って感じがする。
「CROD-1攻略隊の司令をやっている迷宮探索機構軍特務大尉、イーサン・ウォーカーだ。怪我はどうだ?」
「日本の広島で警備員に従事しつつ、企業所属の探索者としてダンジョンに潜っている高坂 渉です。治療のみならず着るものまでお貸し頂いて、感謝の言葉もありません」
普通こういうパターンだとお互いに挨拶した後握手……となるはずだが、イーサン氏は微動だにしない。つまり親睦を深めるつもりはないと言う意思表示だろう。
そりゃそうだ、厄介事の種が転がり込んで来た訳だし日本は非加盟国だもんな。
俺も俺で握手を求めるでもなく、室内の敬礼……お辞儀で謝意を示した。
「……自分の置かれている立場を良く理解していると見える」
「勿論です。連盟加盟国ならまだしも、私は日本の探索者ですから。目の上のたんこぶ、招かざる客って所ではないかと……出来れば早いところ中国か韓国の日本大使館に転がり込みたい所です。パスポートもありませんし」
「そうだな、立場上歓迎は出来ない。実際、君の扱いをどうすべきかを決めあぐねている所だ。普通ならトラブルを避けるため隣国経由でお帰り頂くのが筋だろう。……普通なら、な」
「……普通ではないのですか、今は」
俺の問いかけに、イーサン氏は顎に手を当てて考え込む様子を見せた。
「時期ではない、ここが特殊なのだ。ダンジョンに出入りするにはダンジョンゲートを通る必要があるが……ここはおよそ一ヶ月に一度しかゲートが開かない。前回は二日前に開いたばかりだ」
「つまり……閉じ込められた訳ですか? これから一ヶ月近くもここから出られないと?」
「そうなる。まあ、我々は逐次的な物資の供給や人員補充が受けられない程度にしか不便は無いがね。すぐにでも帰りたい君には不都合だろう」
「参ったな……こんな事になると思ってなかったので、食糧や消耗品があまり無いんです」
「我々の作戦活動も慈善活動の一環ではあるが、戦う力がある者を遊ばせておいて、資源を浪費させる程の余裕が無いのが実情だ。……そこで、一つ提案がある」
イーサン氏が机の上に置かれた一枚の書類を取り、俺へと差し出した。……ああ、ダメだ。全部英語だ。目が滑る。
「被災地域の探索者を臨時雇用する為のプログラムがある。秘密保持の契約を結んでもらう事になるが、上げた成果に応じて各種物資やサービスを受けられる手票も配給される。やってみないか?」
「なるほど……働かざる者食うべからずって事ですね。ただ施しを受けるのも居心地が悪いですから、お話を受けさせて頂きます」
「よろしく頼む。……そうそう、このCROD-1は外部との通信が取れない。テレビ、ラジオ、衛星通信……電波もだ。通信ケーブルも通っていないので、CROD-1内で起こった事を外部に報告する為にはダンジョンゲートが開くのを待つしかない」
「では……私は家族や会社に連絡を入れる事も出来ないんですね?」
「そうだ。連盟未加盟国の探索者がアグレッシブな方法でダンジョンに侵入し、その探索者を現地判断で雇用契約を結んだ事もな。この件は超法規的措置として扱う。日本に帰ったとしても追及したりしないように」
「分かりました、事なかれ主義は日本人のお家芸ですから」
俺がそう返すと、ようやくイーサン氏が一歩歩み出て手を差し出してきた。これで秘密を共有する仲間ですよって事だろうか?
俺は苦笑いを浮かべながらイーサン氏の手を取り、しっかりと握手をした。
§ § §
司令官室を辞して階段を降りると、ユーシンが待っていた。俺の手にある書類を見て何かを察したユーシンが俺の腕を引っ張ってカウンターへ連れて行く。
「ほらー! やっぱり言った通りでしょ!? ほらほらアイリーン! 早く加入処理やってー!」
「ちょっと待って! まだミスター・テリヤキの雇用登録も済んでないんだから待ちなさい!」
「何だ何だ? 慌ただしいぞ? あと何だそのミスター・テリヤキってのは?」
ユーシンが俺から書類をかっぱらってアイリーンに渡す。アイリーンの方は大袈裟なため息をついてそれを受け取った。
「アンタの情報は隠されてたのよ、日本人が落ちてきたって事以外はね。でも名前が分からないんじゃ話題に出来ないでしょ? だからアタシが仮にニックネームを付けた訳。悪の魔法使いみたいに『名前を呼べないあの人』とでも呼ばれたかった? ご愁傷様、今じゃすっかりミスター・テリヤキよ」
「ねぇねぇねぇ高坂さん! ここで探索者やるでしょ? 私達のパーティに来ない? 楽しいよー!」
「だーから雇用登録が先って言ってんでしょうがこの爆竹娘! 話が進まないから一旦外出てなさい! ちゃんとそのあたりの説明もしとくから!」
シッシッと手で追い払われたユーシンが不満そうな膨れっ面を引っ提げてオフィスから出て行くと、アイリーンが書類にペンを走らせる。
「どうせコレ読めないでしょ? 日本人は英語が苦手って聞いてるからね。読み上げたげるから答えて、アタシが代筆するから」
「ありがとうございます」
「お礼は今度ドーナツでも差し入れしてくれればいいわ。……名前は?」
「高坂渉……あ、いや、ワタル・コウサカか……?」
確か海外は姓名が逆になるんだったか? このあたりはちゃんと翻訳してくれるんだろうか? 疑問だ。
「ファーストネームがワタルね? ……オーケー、国は日本でしょ、区分は探索者……ジョブは?」
ジョブか……正直に答えた所で信じてもらえないだろうし、目立つのも良くはない。
俺はメサイアである事を隠す事に決めた。……ボロが出なければいいんだが。
「……ナイトです」
「ナイト? じゃあタンクが出来る訳ね? ……あらやだ、そしたら本当にあのパーティに入れるのが最適解じゃないの。爆竹娘の言う通りにすんのはシャクだけど……ウチでは単独でダンジョンには潜れないの。パーティを組んでもらう事になるんだけど、あの子のパーティでいいかしら?」
「ええ、構いません」
「じゃ、そこの椅子に掛けて待ってて。作戦参加証明カードを発行してくるから」
アイリーンがカウンターを離れ、事務机で何か作業を始めた。俺はカウンターの横に置いてある埃を被った椅子の座面を手で払い、腰を下ろした。
……ふと、スマホを取り出して電源を入れてみる。表示されたのはデフォルトの壁紙と変わり映えのしないアプリ欄、そして無情な圏外の二文字だ。ついでに充電も十七パーセントしか残っていない。
当然のことながら、シーカーズも読み込まない。タイムアウトしましたと表示されて強制終了された。
やはり、美沙達に連絡は出来ない。無事であると伝える事は出来ない。
美沙は俺が死んだと勘違いしていないだろうか。ヤケを起こしたりしないで欲しい。
梨々香も心配しているだろうか。いや、皆がついてるから心配はいらないだろう。一桜達もいる事だし。
栄光警備の皆……特に嶋原さんには迷惑をかけてしまった。無事に帰ったあかつきには一杯奢らされるのも覚悟しないといけない。
いや……それよりもまず、俺は生きて日本に帰らなければならない。
隠し持ったメサイアとアビリティの力で完全アウェーのダンジョンを生き抜かなければならない。
俺はスマホをポケットにしまうと、両手を組んでしっかりと握りしめた。
この身を襲う震えが恐怖から来るものなのか、はたまた武者震いなのか。
今の俺には、分からずにいた。
ここまでが第四章となります!
毎度ご愛読頂きましてありがとうございます!




