16.疑心
視線を女性に戻すと、俺は苦笑いを浮かべた。
「いや、いやいや……母なわけないだろ? あんた、何言ってんの?」
女性は、一つ深い息を吐いた。
おそらく、女性も緊張していたのだろう。
息を吸い込むと、女性の背筋がピンとした。
「昨日、あなたが生配信の動画に出ているのを見たのよ。ネットニュースで話題になっていたから。最初は、同姓同名だったから気になって、興味本位で覗いてみたの。……本当にビックリしたわ。信じられなかった。でも間違いなく、翼だと分かってからは、居ても立っても居られなくなって、深夜バスで、ここへ来たの」
俺は、口を半開きにしたまま、女性の話に耳を傾けた。
女性は、一呼吸おいて続けた。
「あなたは、私が死んだという話を、聞かさせていたんでしょう? あれは違うの。あなたが二歳の時、経済的に苦しくて仕方なく、あなたを一時的に児童養護施設に預けたの。ちゃんとした食事も取れるからと思って。父親もいたのよ。でも離婚した後、彼は消息を絶ったわ……」
女性は、少し言葉に詰まりながら、やや苦しそうな顔をした。
当時の事を、思い出したのだろうか。
やがて、芯の強そうな目を俺に向けた。
「……信じて。私は必ず、あなたを迎えに行こうと思ってたのよ。でもその後、付き合った男は、本当に最低な人だったわ。何度も、犯罪に加担させられたの。結局、私は刑務所に入る事になったわ。そうこうしているうちに、あなたはもう小学校、高学年。今さら、会えるわけない……合わせる顔なんて、ない……」
女性が、声を震わせた。
目は赤くなっている。
微かに光るものが見えた。
「……後で知ったんだけど」
黙っていると、女性は話を続けた。
「その最低男が、私が死んだという事にしておいてくれって、児童養護施設の施設長に頼んでいたらしいの。私が、あなたを引き取りたいって話をしたから、あの男はそうしたのよ。もしかしたら、施設長にお金を渡して、頼んだかもしれないわね。あの男は、平気でそういう事をする人だったから……」
女性は、落胆するように俯いた。
同時に、ポロリと涙を落とした。
その涙を見て、俺は逃げるように視線を外した。
すると、相変わらず滝口社長や、スタッフ達の静観する姿が目に入った。
遠くで、カメラを向けている人もいる。
もしかしたら、今もこの状況を、生配信しているのかもしれない。
俺は戸惑いの目を、女性に戻した。
しばらく無言が続くと、とうとう俺は、沈黙に耐えられなくなり吹き出した。
「……はっ、はははっ。な、なんだよ、それ。次から次にベラベラと。どうせ、あれだろ、これもまたドッキリなんだろ? あんた、役者なんだろ? もういいって。うんざりだよ。いい加減にしろって!」
「嘘じゃないわ、これを見て!」
女性は、素早くショルダーバッグから一枚の写真を取り出し、俺の目の前へと差し出した。
一人の若い女性が、小さな子供を抱いて立っている、古い写真だった。
この二人が、俺とこの人なのだろうか。
しかし、まるで他人を見ている様で、ピンとこない。
俺は視線を、親子の背後に移した。
その時、ハッとした。
写真の背景に、教会らしき建物が見える。
屋根に十字架が立っているのだ。
「……十字架? ……教会?」
女性が、目を大きくした。
「覚えてるの? 教会を! 私、毎週日曜日に、あなたを抱いて、ここへ行ってたのよ!」
……そうだ。
俺は女性が出てくる夢を、子供の頃から度々見ていた。
昨日も、神社で気絶した時に見た。
夢の中では必ず、女性の後ろに、十字架が見えた。
もしかしたら、子供心に、覚えていたのかもしれない。
そう言えば、十字架の事は、滝口社長に話していないはずだ。
だとしたら、これはドッキリではない。
……だが、……しかし。
俺は視線を落として、小刻みに顔を左右に振った。
そして、またもや意地っ張りな声を出してしまった。
「う、うるさい! うるさいよ! そんな写真まで、用意して! 何だよ、アンタ。俺が、お母さ~んって、泣いて抱きつくとでも、思ったのかよ! もう、いい加減にしろよ! うんざりなんだって!」
俺は苛立ちながら、ホウキを拾い上げた。
「……たとえ、あんたが本物の母親だったとしても、もうこんな状況で、素直になれるわけないだろ! ……ったく! ふ、ふざけんなよ、ババア!」
女性は、俺の剣幕に一瞬、怯えの表情を見せた。
俺は、さらに凄んでみせた。
「俺は、ここにいる全員を、ぶっ飛ばさないと気が済まないんだよ! もう、ほっといてくれよっ!」
そう言い放つと、振り返り、滝口社長を見下ろした。
「ひぃっ!」とまた、しゃっくりのような悲鳴を上げて、恐怖する滝口社長。
俺は力を込め、ホウキを振り上げた。
その時、「翼っ!」と叫んだ女性が、俺の背中に抱きついてきた。
……えっ?
……あれ?
……なんだ、これ?
知ってるぞ、この感じ。
柔らかな温もり。
懐かしい香り、包容感。
まるで砂時計の砂が音もなく落ちるように、スーッと、力が抜けていく。
あぁ……もう立っていられない。
脱力した俺は、ゆっくりと、その場に膝をついた。
母もまた、俺を後ろから抱きしめたまま、農道の上に膝をついた。
「……うっ……ううっ……」
いつの間にか俺は、ホウキを捨てて唸っていた。
「うう……うおおおおぉ……が……か……」
俺は空を見上げた。
もう限界だ。
必死になって強がっていた心が、遂に崩れてしまった。
「か……か……母ざぁぁぁぁん……あいだがったよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ———————」
俺は空に向かって、声にならない声で叫んだ。
同時に、大粒の涙が、止めどなく溢れ出した。
背後から、母の声がする。
「翼、ごめんね……ごめんね……ごめんね……」
背中が、生温かい。
母が、俺の背中に顔を埋めて、泣いているのだろう。
その温もりは、俺の身体の隅々へと、広がっていく。
まるで枯れた大地に、恵みの雨が、降り注いでいるようだった。
荒んだ心が潤い、鮮やかな虹が広がっていく。
俺は鼻をすすりながら、きつく目を閉じた。
「か……母ざぁん……母ざ……あぁぁぁぁ……あうっ……うっ……ううううううっ…………」
後ろから抱きしめてくる母の手。
俺は、その手を強く握りしめたまま、いつまでも離せなかった。
つづく……
(次回、最終話)




