第15話:奈落の春
二〇二六年、二月二十一日。夜明け。
浅間山の空が、白く、静かに明けていった。
チョ・テシンが連行されてから、六時間が経っていた。
松井浩亮は、旅館の玄関前の雪の上に座り込んでいた。誰かが毛布をかけてくれていたが、いつのことか覚えていない。雪の上に置いたトカレフは、夜明けの光の中でまだそこにあった。誰も触れていなかった。
浅間山の稜線が、薄桃色に染まり始めている。
美しい、と松井は思った。
四十年間、こんなものを見ていなかった気がした。
地下室から解放された人質たちが、毛布にくるまれて救急車へと運ばれていく。
その中の一人、中年の女性が、松井の前で立ち止まった。
「……あなたが、助けてくれたんですか」
松井は答えなかった。首を横に振ることもしなかった。
女性は何か言いかけて、やめて、救急車へと歩いていった。
松井は、その背中を見送った。
助けた、という感覚は、どこにもなかった。
ただ、終わった、という感覚だけが、冷たい雪のように静かに積もっていた。
後輩の指揮官が、松井の隣に屈み込んだ。
「松井さん」
「何だ」
「テシンが、長野県警の取調室で……自分の名前を言いました」
松井は、指揮官を見た。
「チョ・テシンではなく、本名を」
松井の目が、細くなった。
「大橋徹、と言ったそうです。山口県下関市出身。一九五五年生まれ」
松井は、しばらく黙っていた。
「……それだけか」
「それだけです。名前を言った後、黙ってしまって、それ以降は何も話していないそうです」
松井は視線を、浅間山の稜線へと戻した。
大橋徹。
一九七五年、下関の雨の夜に死んだはずの名前。五十年間、書類の外を生きてきた男が、死の直前に、捨てたはずの名前を手渡してきた。
なぜそうしたのか、松井には分からなかった。
分からなかったが、なぜかその事実が、胸の奥の固いところに、静かに刺さった。
取調室。
チョ・テシンは、いや、大橋徹は、パイプ椅子に座っていた。
両手には手錠がかかり、点滴のチューブが左腕に刺さっている。医師が驚くほどの重篤な状態だったにもかかわらず、男は椅子から動こうとしなかった。
能面の顔は、まだそこにあった。
向かいに座った刑事が、調書を開いた。
「氏名を確認します。チョ・テシン、本名大橋徹。一九五五年、山口県下関市生まれ。間違いありませんか」
テシンは答えなかった。
刑事が書類をめくる音だけが、部屋に響いた。
「あなたは一九七五年から二〇二六年にかけて、日本及び大韓民国において複数の殺人事件に関与したとして……」
刑事の声が、遠くなっていく。
テシンは、取調室の白い壁を見つめていた。
壁には何もない。
ただ、白い。
白い壁の中に、テシンには何かが見えていた。
一九七五年、下関の冷たい雨。裸で正座させられた泥の庭。暖かい部屋の中で笑っている家族の顔。ガラス窓の向こうで、自分を見下ろしてくる
「目」。
あの夜から、すべてが始まった。
あの夜から、すべてが終わっていた。
(恨むなら、生まれてきたことを恨むんで)
自分が弟に言い放ったあの言葉が、今になって、自分自身の耳に届いてくる気がした。
テシンの口元が、かすかに動いた。
声は出なかった。
能面の奥で、何かが、静かに瞬いて、消えた。
二〇二六年、三月七日。
チョ・テシン、本名大橋徹は、長野県の病院で死亡した。
死因は肺の多臓器不全。享年七十一歳。
死の直前、担当医によれば、男は一言だけ言葉を発したという。
何を言ったのか、担当医には聞き取れなかった。
山口の訛りで、何か短い言葉を呟いた、とだけ記録されている。
遺体の引き取り手は、なかった。
戸籍上、大橋徹は一九七五年に死亡している。チョ・テシンという名義の戸籍は、書類上、最初から存在しない。
現世のシステムは、この男の死をどの書類にも記載することができなかった。
同じ日。
松井浩亮は、山口県下関市にいた。
港の見える丘の上に、小さな墓がある。大橋家の墓だ。一九七五年に一家が死亡した後、遠縁の親族が建てたものだという。そこには、加害者である大橋徹の名前も、形式上は刻まれていた。
松井は墓の前に立ち、線香を一本立てた。
手を合わせることは、しなかった。
ただ、立っていた。
下関の港から、春の海風が吹き上げてくる。
あの夜、大橋徹が密航船で渡った海が、今日は穏やかに光っている。
松井は、長い時間そこに立っていた。
何かを考えていたわけではない。
ただ、立っていなければならない気がした。
やがて線香の煙が、春の風に溶けて消えた。
松井は踵を返し、港へと続く坂道を、ゆっくりと降りていった。
杖はなかった。それでも、足は動いた。
二〇二六年、春。
世田谷の弁護士一家殺害事件、東京銃器店強盗事件、浅間山籠城事件。これらすべての事件の被疑者、チョ・テシン、本名大橋徹の死亡により、関連する刑事訴訟手続きは終結した。
書類の上では、すべてが綺麗に閉じた。
だが、一九七五年の下関から始まった一連の事件の全貌――韓国・八つ足村での連続殺人、松本の爆弾事件、浦和のバラバラ殺人、渋谷の通り魔事件における大橋徹との関連は、捜査資料の中に記録されたものの、公式には「証拠不十分」として処理された。
現世のシステムは、最後まで、この男の全貌を書類に収めることができなかった。
二〇二六年、四月。山口県下関市。
春の光の中、港の片隅に、一枚の古い書類が発見された。
雨と時間によって半ば朽ちかけた、戸籍謄本の断片。
かろうじて読み取れる文字は、こうだった。
――大橋徹。昭和五十年(一九七五年)十二月。死亡。
死亡日付は、あの雨の夜と同じ日だった。
大橋徹は、家族を殺したあの夜に、書類の上ではすでに死んでいた。
現世に存在しない人間として、五十年間、この世界を歩き続けていた。
書類を発見した港湾作業員は、それが何なのかを理解しないまま、風に飛ばされそうになるその紙切れを、ゴミ箱へと捨てた。
春風が、下関の港を吹き抜けていった。




