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第34話 霧島誠一の浄化

「そして…」クロは続けた。「あなたが最後に書いたノートの断片は、この旅館の地下室に今も残っている」


霧島の表情が歓喜に変わった。そして彼は何かを言おうとしているようだ。


ルカはカメラを構え、最後の写祓のシャッターを切った。カシャリ。


閃光が走り、部屋全体が青白い光に包まれた。霧島の姿が透明になっていく。しかし消える前に、彼の声がはっきりと聞こえた。


「ありがとう…そして、気をつけて。湯気の下に…約束の欠片が…」


その言葉と共に、霧島の姿は完全に消えた。湯気が薄くなり、空間がより明瞭になる。だが、写し世の試練はまだ終わっていなかった。彼の魂は浄化され、あの世へと旅立ったが、旅館に染み込んだ他の記憶たちはまだ残っている。


湯気の人影たちが、より強い意志を持ってルカに迫ってくる。彼らの存在が、ルカの中の忘れられた記憶と共鳴しているようだった。


「約束を破った」「忘れてしまった」「許されない」


彼らの声が、ルカの心の内側から聞こえるようだ。彼女自身の罪悪感が形となって迫ってくる。


「彼らは…」


「この旅館で過ごした人々の記憶だ」クロが言った。「彼らも約束を果たせなかった存在。そして…」


「私自身の心も映し出している」


ルカは胸ポケットの懐中時計に手を当てた。七時四十二分。封印の時間。チヨが消えた瞬間。懐中時計が微かに震え、金属が温かさを帯びてくるのを感じた。一瞬、心臓が早鐘を打つ。その指先で鼓動を感じた。時計が、彼女の心臓と同期して動いているかのよう。


「どうすれば…」


「自分自身と向き合うんだ」クロの声が遠くから聞こえる。「お前が果たせなかった約束と」


ルカの胸が締め付けられた。果たせなかった約束。それは…


「チヨとの約束…?」


耳の奥で、チヨの声が囁くのを感じた。心の中で温かく響く感覚。湯気の中から、一つの声が聞こえた。それはチヨの声ではなく、幼い頃のルカ自身の声だった。


「お姉ちゃん、約束する。私、感情を表さなくても、ちゃんと覚えてるよ。お姉ちゃんのこと、ずっと…」


その言葉が引き金となり、記憶が流れ込んだ。両親を失った悲しみの中、感情を閉ざし始めたルカを心配するチヨ。「大丈夫、ルカ。あなたの感情は、私が代わりに表現してあげる」と笑う姉。そして朽葉温泉旅館で、二人で交わした言葉。「いつか一緒に来よう」「約束だよ、必ず」「ここなら、心も体も癒される」。


ルカの目から涙がこぼれた。久しぶりに感じる、解放されるような温かさが胸に広がる。


「約束したのに…忘れてしまった」


湯気の人影たちが近づき、ルカを取り囲む。彼らも同じだ。大切な約束を破り、それを悔いている存在。彼らの冷たい手が、ルカの体に触れる。震えが走る。


「私は…チヨを忘れてしまった。だけど…」


ルカは胸ポケットから懐中時計を取り出した。七時四十二分を指す針が、かすかに震えているように見えた。


「忘れたわけじゃない。奪われたの。だから…」


時計を強く握り締めた。その感触が彼女に勇気を与える。


「約束を果たすために、ここにいる」


彼女はカメラを構え、湯気の渦に向けてシャッターを切った。カシャリ。眩い光が部屋を満たし、湯気の人影たちが後退し始めた。だが完全には消えない。彼女の写祓だけでは足りないようだった。


ルカは静江から受け取った影写りの粉の袋を取り出した。「強い感情や記憶が渦巻く場所で」という言葉を思い出す。ためらいつつも、粉を湯気に向かって撒いた。


粉が空中を舞い、青銀色の光を放ちながら湯気と混ざり合う。一瞬、彼女の視界が白くなり、耳に強い音が響いた。時間の波紋のような音。それから空間が反転したように感じた——天井が床に、床が天井に見える不思議な感覚。写し世の境界が薄れ、ルカ自身も半分、写し世に引き込まれていくような浮遊感。


湯気の人影たちの声が、より明瞭になった。


「約束は破れる」クロが静かに言った。「だが、それを認め、向き合うことで、新たな約束が生まれる」


クロの声には、かつて聞いたことのない感情が込められていた。紋様が静かに脈打ち、彼自身の悔いが言葉に滲む。


湯気が完全に晴れ、湯船の底から微かな青い光が漏れ始めた。


ルカは湯船に近づいた。中を覗き込むと、底に小さな青い結晶が光っていた。声の欠片だ。


「これを…手に取ればいいの?」


「ああ。だが、代償を覚悟しろ」


クロの警告に、ルカは深く息を吸った。欠片に手を伸ばす前に、彼女は自分に問いかけた。失っても構わない記憶とは何か。代償として何を差し出せるのか。チヨの声を取り戻すために、失うべきものはあるだろうか。


「欠片は願いに最も強く結びついた記憶を代償として選ぶ」クロが静かに言った。「自分でコントロールできるものではない」


ルカは懐中時計をしっかりと胸に抱き、欠片に手を伸ばした。水面に触れた瞬間、冷たさではなく温かさを感じた。指先が結晶に触れると、鮮やかな青い光が広がった。


「これが…神の欠片」

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